第二千九百八十九話 自由というもの(四)
場面がつぎつぎと変わっていく。
セツナにとっての初陣は、バルサー要塞奪還作戦だった。その直前、傭兵集団《蒼き風》との出逢いがあり、ルクスと初めて対面したのもそのときだ。
戦闘そのものは、使者の森とカランで経験していたとはいえ、大人数同士での激突というのは初めてのこともあり、不安や緊張があったことを覚えている。初陣だったのだ。その記憶こそ、なによりも鮮烈であり、鮮明に焼き付いているのは、当然なのだろう。
いまでも、開戦直前の震えを想い出すことがある。
恐怖とは違う。
未知の領域に足を踏み込むことになるという確信が、手を震えさせた。しかし、その震えがセツナの中の弱さや臆病さを呼び起こすことはなく、むしろ、勇気を奮い立たせた。
それが本当に勇気と呼べるものだったのかは、いまとなってもわからない。
ある意味自棄になっていたのかもしれないし、無理矢理にでも奮い立たせていたのかもしれない。
そうでもしなければ、戦闘直前の緊張を乗り越えられなかったから。
そして、その結果、セツナは、初陣において数多くの敵の命を奪い、ガンディア軍の勝利に大きく貢献した。
燃え盛る紅蓮の炎が視界を塗り潰す。ログナー兵の集団を一瞬にして焼き払い、大地を舐め尽くした灼熱の炎は、カランを灼いた炎であり、絶望そのものといっても過言ではない真紅は目の前の敵を容易く飲み込み、消し去った。
ひとの命を奪うという一線を、飛び越えたのだ。
それもただ飛び越えたのではない。
凄まじい勢いで、大きく飛び越えてしまった。
だから、なのかもしれない。
視界を染め上げた炎が消えると、周囲には、無数の死体が堆く積み上げられていて、炎よりも暗く深い赤が意識を埋め尽くしていった。屍の山が尾根を連ね、血の河が数多に流れている。死臭が鼻をつき、怨嗟の声が耳朶に刺さる。
それは、断末魔の叫びだ。
死闘を演じることもなく命を落としていったものたちの絶望の声。
セツナを呪う数多の意識。
彼は、ただ、受け止めるしかなかった。
それが自分だ。
自分のしてきたことだ。
バルサー要塞を巡る戦いだけではない。
それが始まりなのだ。
セツナの輝かしくも呪わしい戦歴のすべての始まり。
故に、その程度の数の屍がどれだけ怨念に満ちた声を上げようと、怯みはしない。
いまさらだ。
なにもかもいまさらなのだ。
(そう、なにもかも……)
そう思ったのも束の間、目の前に映る光景が変わった。
王都ガンディオンで起こった皇魔との戦闘。アズマリアがセツナを試すために引き起こした戦いは、セツナとルウファを引き合わせることとなった。まさか、ルウファと長い付き合いになるとは想像だにしなかったことだが、それは、ファリアにもいえることだ。
そもそも、イルス・ヴァレに滞在し続けることになるなどと、考えてもいなかった。
いつかは元の世界に帰ることができるものだと考えていたし、そう信じていた。
いや、信じたかっただけかもしれない。
本当は、最初から薄々感じていたのではないか。
召喚された以上、元の世界に帰ることは容易いことではなく、帰れない可能性のほうが高いということを頭の中のどこかで考えていたのではないか。察していたのではないか。
戦場が、周囲に展開する。
皇魔の群れにログナーの軍勢、ガンディアの将兵が入り乱れる混沌とした戦場。
カイン=ヴィーヴルと名乗ることとなったランカイン=ビューネルやラクサス・ザナフ=バルガザールとの共同作戦から続くログナーとの決戦もまた、セツナが活躍する戦いとなった。
その直前、ログナーの青騎士ウェイン・ベルセイン=テウロスとの決闘は、セツナの糧となり、精神的成長を促したことは、鮮明に覚えている。ウェインがいなければ、いまのセツナはいなかったかもしれない。そう想うくらい、ウェインの存在は大きく、強烈だった。
ランスオブデザイアの使い手となったウェインとの死闘の果て、セツナは、自分の弱さ、甘さを多少なりとも克服したのだ。
そして、ログナーとの決戦があり、ガンディアの勝利に貢献することとなったが、そこでセツナはまたしても数多の死体を生み出した。死を生み出すとは矛盾にもほどがあるが、実際、その通りなのだから仕方がない。
膨大かつ大量の死こそ、セツナの戦歴を飾るものだった。
ログナーを下したことは、ガンディアにとっても歴史的快挙であり、レオンガンドが“うつけ”を脱却し、獅子王としての覇道を歩み始める第一歩として、周辺諸国、いや、大陸小国家群の国々に記録される出来事だったはずだ。
その一助として、セツナの名もまた、記されたかもしれない。
それほどの死がセツナの戦場には横たわった。
戦うたびに奪う命の数が増えた。
ログナー戦争は、まだ生温いほうだ。
ザルワーン戦争となると、さらにその数は増した。
周囲に積み上がる屍の数が増え、血の河が増水するのも納得がいく。当然であり、必然だ。これは結果なのだ。セツナが積み上げてきた死という結果。それがいま目の前と周囲に形となって現れている。
ナグラシア攻略から始まるザルワーン戦争は、セツナにとって初めての大きな戦争だった。
ログナー戦争は、いつの間にか始まり、いつの間にか終わっていた印象が強いのだ。
その点、ザルワーン戦争は最初から全力全開だった。
ナグラシアの門を叩き壊して暴風のように攻め込めば、バハンダールには超高空からの急襲で敵陣の懐に潜り込んだ。いや、飛び込んだ、というべきか。
いずれにせよ数多の命を奪ったことに変わりはない。
そこからバハンダールを北上したのだが、そこでミリュウ率いるザルワーン軍との戦闘があった。
相手の召喚武装を再現する幻竜卿の使い手であったミリュウは、セツナの前に強敵として立ちはだかった。ミリュウは、黒き矛を再現することでセツナを圧倒し、後一歩、寸前のところまで追い詰めたのだ。しかし、再現した黒き矛の力を制御しきれなかったがために、セツナを殺しきれなかった。
セツナがミリュウとの戦いで生き残れたのは、結論から見れば必然以外のなにものでもない。なぜならば、黒き矛は、セツナ以外には扱えないからだ。
魔王の杖は、選ばれたものにしか扱いきれない。
そしてそれは、セツナただひとりなのだ。
ミリュウが黒き矛を再現し、操ろうとしたとき、勝敗は決した。別の召喚武装を再現するなり、幻竜卿の能力のみで戦ったのであれば、話は別だったのかもしれないが。
ミリュウとの戦いが印象として強烈に残っているのは、やはり、それが彼女との出逢いだったからであり、彼女との長い付き合いの始まりだったからだろう。
そして、再現された黒き矛を手にしたことで絶大な力を得た結果、死を呼ぶ嵐となって戦場に吹き荒れ、大量の命を奪ったからだ。
ひとを傷つけてはならない、と、教わった。
ひとだけではない。
ひと以外の動物も、植物も、昆虫も。
なんであれ、むやみやたらに傷つけてはいけないのだ、と。すべての生き物に優しくありなさい。慈しみをもって、触れなさい。触れずとも、そうありなさい。それが正しい人間の生き方なのだ、と。
ひとの命を奪うなど以ての外であり、そんなものは大罪以外のなにものではない。
そう、教わった。
けれども、この世界で生きて行くには、自分の居場所を護るためには、ひとの命を奪わなければならなかった。
ひとを殺さなければならなかった。
気がつくと、来た道を振り返れば、血みどろの足跡がついていた。
もう、後戻りは出来ない。
そんなわかりきったことを考えるだけで、空恐ろしくなったのは、まだ覚悟が足りていなかったからだ。