第二千九百八十八話 自由というもの(三)
父がいて、母がいて、自分がいた。
物心つく前から、それが当然であり、当たり前のことだった。
父も母も、自分を愛してくれた。ほとんどすべての親がそうするように、限りない愛情を注いでくれたのだ。それは、子供心にもなんとなく理解できていたのだろう。だからこそ、いまになってはっきりと想い出せる。暖かく柔らかい、春の日差しのような記憶の数々。
そうして描く想い出は優しく、柔らかい。
それが、自分の始まり。
父と母、そして自分という三人家族は、幸福そのものであり、永遠にその時間が続くものだとだれもが信じていた。疑う理由はない。それが当然だったのだ。
しかしその当然は、突如として終わりを迎える。
父が死んだ。
その事実は、まだ自己を確立していない子供には、理解できないことだった。
ただ、父の姿を見なくなった。
母は、父は遠いところへいったのだ、と、いった。
それは悲しいことだけれど、いつかまた、逢えるに違いない、と想った。母も、そのようにいったはずだ。おそらく。たぶん。
父を失った前後の記憶は、曖昧だった。どうして父が死に、どうして母がひとりになったのか。泣いて暮らしていた母があるときから笑顔を絶やさないようになったのか。その心境の変化については、結局は他人である自分には、想像するしかない。
きっと、我が子に余計な心配をさせまいという母の気遣い、親心が、そうさせたのだろう。だとしても、相当な努力が必要だったはずだ。愛する夫を失ったのだ。
その苦しみ、哀しみが癒えることなど、あるのだろうか。
癒えることがあったとしても、数年では足りまい。
自分が大きくなってからも、ずっと、胸の内に抱え続けていたのではないだろうか。
ずっと、苦しみ、哀しみ続けていたのではないだろうか。
そのことを気遣えなかった自分が、少しばかり恨めしい。
母の笑顔の奥底に隠された哀しみを感じ取ってやることさえできなかったことが、ただただ、心苦しい。
それと同時に感謝もする。
母が笑顔を絶やさないひとだったから、幼少期を幸福に過ごすことができたのは紛れもない事実だったし、そんな母の愛情を目一杯受け止めることができたのだ。
そして、そのような母に育てられたことは、幸運そのものだ。
それに、もう二度と逢えない、という事実も――。
はっと気づくと、そこは森の中だった。
鬱蒼と生い茂る木々が枝葉の天蓋を作り上げた森には、見覚えがあった。記憶が加速度的に呼び起こされていく中で、視線の先、森の中の開けた空間に女と男が対峙していることに気づく。
燃え盛る炎のような髪の女と、学生服の少年。
アズマリア=アルテマックスと神矢刹那。
(これは……)
セツナは、自分がいま見ている光景がどういったものなのかを理解して、目を細めた。
マスクオブディスペアは、セツナにこういった。
『今一度、自分が何者なのかを知るべきなのでしょう』
つまり、これは、セツナが何者かを知るための光景であり、セツナ自身の記憶なのではないか。
(いや……違う)
自分自身の記憶であれば、視点が違うはずだ。自分の姿は見えず、アズマリアの肉感的な肢体と美貌にこそ視線は集中したはずだ。見取れ、意識を奪われかけたことを思い出す。
ではこれは、だれ視点の記憶なのか。
だれかの視点ではなく、セツナの記憶を元に再現しただけの光景なのかもしれない。
そうするうち、森の木々の影から皇魔の群れが出現する。のっぺりとした顔面に鉈のような爪を持つ、四つ足の化け物。見るからに異形の怪物そのものといっていいそれは、セツナへの敵意と殺気を振りまき、襲いかかる。セツナは、アズマリアにいわれるがままに呪文を唱え、黒き矛の召喚に成功した。
破壊的なまでに禍々しい漆黒の矛は、ただの学生に過ぎなかったセツナに強大な力を与えた。人外異形にして凶悪な化け物たる皇魔の群れを圧倒し、森に破壊をもたらすほどだった。
その光景の一部始終を第三者視点から見届けたセツナは、なんともいえない気分になった。
それまで、セツナは、イルス・ヴァレとは異なる世界の、ただの学生に過ぎなかった。陽気というよりは陰気に近く、積極的というよりは消極的であり、他人との関わりを持とうともしない、そんな人間。成績も決して優秀とはいえなかったし、身体能力も高いわけではない。一般的な学生。ごく普通の十七歳。
そんな一般人が、魔王の杖とも呼ばれる召喚武装と出逢ってしまったことが、始まりなのだ。
場面が変わる。
アズマリアの紅い髪よりも猛然と燃え上がる街の中で、それまでただの一般人だった少年は、悪魔のような男と対峙していた。
当時ランス=ビレインと名乗り、ガンディアに潜伏していたランカイン=ビューネルとの対決。カランの街を焼き尽くし、多くのひとびとに不幸を撒き散らした悪意の塊に対し、ただの一般人がなぜ、立ち向かったのか。
その理由は、覚えている。
子供が泣いていたからだ。
エリナ=カローヌ。
彼女の涙が、セツナを突き動かした。
(そうだ。そうだった)
それは、紛れもなく、自分の意思だ。
だれかにいわれたわけでもなければ、だれかに命じられたわけでもない。仕方なく、そうなったわけでもない。状況に迫られたということでもない。
自分の意志。
彼女の涙が、セツナの心に火を点けた。
だから、燃え盛るカランに飛び込み、ランカインに戦いを挑んだ。
その結果、死にかけるのだが、それでいいとさえ想えたのは、きっと、それが初めて自分の意志で行動した結果だったかからだ。
原因は自分にあり、故に結果もまた、自分に帰ってくる。
それならばそれでいい。
それで死ぬのも、悪くはない。
そう想えた。
(ああ……そうだった……)
でも、死ななかった。
死ななかったから、ここにいる。
ここに在る。
ファリアとの出逢いは、いまでも運命的なものだと想っているし、信じている。
もしあのとき、ファリアの到着がわずかでも遅れていれば、セツナは、間違いなく命を落としているのだ。ファリアが間に合ったのは幸運以外のなにものでもなかった。
オーロラストームの能力・運命の矢が、まさにセツナに命を運んでくれた。
場面が変わり、病床には、ファリアとエリナとセツナがいた。
なにを話し合ったのか、はっきりとは想い出せないが、ファリアに様々なことを聞かれ、様々なことを答えたはずだ。虚実織り交ぜつつ、話せることを話した。そんな記憶。
そして、もうひとつの運命の邂逅が待ち受けていた。
レオンガンドとの邂逅だ。
カランを訪れたレオンガンドとの邂逅は、セツナにとって大いなる転機となった。
レオンガンドは、ただ、戦力を欲していた。王位を継ぎ、“うつけ”を脱却する必要があった彼にとって、まず必要だったのはなによりも戦力であり、そのためならば大罪人であっても構わないという覚悟があった。そんな彼がセツナに興味を持ち、セツナを勧誘するのは当然の帰結だったのだろう。
必然だったのだ。
セツナは、ただ、居場所を欲した。
ここは寄る辺なき異世界で、心落ち着ける場所などどこにもなかったからだ。
自分を認め、許容し、受け入れ、必要としてくれる場所が欲しかった。
だから、レオンガンドの申し出を受け、ガンディアの一員として、バルサー要塞奪還に赴いた。
それもまた、もうひとつの始まり。