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第二千九百八十一話 兄弟(二)


「ひゅー」

 どこかすべてを馬鹿にしたような口笛は、左前方から聞こえた。見れば、トウヤが無傷のまま、感嘆するような仕草をして見せていた。

 セツナが怒りに駆られて振り抜いた矛は、空を切り、柄頭が激突した地面が大きく陥没していた。穂先のほうで斬りつけなかったのは、理性が働いていた証拠だ。トウヤからは情報を引き出せる可能性があり、であれば、問答無用で殺しにかかるのは止めるべきだ。

 それでも制御しきれない部分の感情が暴走したことは、否めない。

 神経を逆撫でにされている。

 家族。父親。兄弟。

 トウヤが口にする単語のひとつひとつが、セツナの意識を揺さぶり、感情を激しく揺らす。

 この世界に召喚され、日々を過ごしていく中で、極力考えないようにしていたことだ。特に家族、母親のことを考えると、まるで底なし沼に浸かってしまったかのようにならざるを得ない。

 セツナにとって、母親はこの世のなによりも大切な存在だったのだ。

 考えれば考えるほど、申し訳ない気持ちになってしまう。

 謝って済む問題ではないということも理解している。

 異世界に渡り、そこで多くの人命を奪い、膨大な数の屍の上に生きている。

 そんな人生、母が望むはずもない。

 そのことを想うと、息が詰まる。胸が苦しくなる。壊れそうになる。

 だから、考えないようにしてきたのだ。

 見て見ぬふりをしてきたのだ。

 それなのに、トウヤたち黒衣のものたちは、セツナの心の中の聖域にずかずかを踏み込んできては、荒らし回っていく。

「さっすが兄貴。まったく見えなかったぜ」

「そのわりには避けきってるじゃねえか」

「脊椎反射ってやつ?」

「俺に聞くなよ」

「なんだよ、いいじゃねーかよー。兄弟なんだからさあ」

 馴れ馴れしさが増す一方のトウヤの態度には、セツナも呆れ果てるしかなかった。ただひとつ、否定だけはしておく。

「何度も言わせるな。俺に兄弟はいねえ」

「ぶーぶー」

「てめえ……」

「そんなこというと、ヒトカやフタハが泣いちゃうぞ」

「知るかよ」

「鬼、畜生、悪魔! この、ひとでなし!」

 猛然と抗議してくるトウヤの在り様は、どうにも子供じみていた。外見年齢としては、十代後半くらいだろうか。少なくとも、セツナよりは年下に見える。目元を覆い隠しているため、はっきりとはわからないし、外見だけで判断できるものではないだろうが。それにしても、幼稚だ。見た目以外のなにもかもが幼く、故に素直過ぎる。

「なんなんじゃ……いったい……」

「調子が狂うな……」

 ラグナに続き、マユリ神も困り果てたような反応を見せた。

「ま、兄貴がこっちに来てくれるってんなら、俺も皆も大喜びなんだけどな」

「どこへ行くって?」

「ネア・ガンディアに、だよ」

「は……」

 セツナは、無意識に矛を強く握り締めていることに気づいた。指の骨が悲鳴を上げるほどの握力は、黒き矛を手にしているが故のものだ。

「ネア・ガンディアで、陛下の元で一緒に戦おうぜ、兄貴」

「ふざけるな」

「ふざけてなんてないって。俺は本気なんだ」

「それをふざけているといっているんだ」

 男を睨み据え、黒き矛を掲げた。切っ先を彼に向け、告げる。

「俺はネア・ガンディアには与さない。ネア・ガンディアを滅ぼし、獅子神皇を滅ぼす」

「やっぱり、頭固いなあ、兄貴は」

 トウヤの言葉を飲み込んだのは、黒き矛の矛先から迸った純白の奔流だ。破壊的な光の奔流が、黒衣を白く塗り潰し、彼が立っていた場所そのものを爆砕する。轟音と閃光が吹き荒れ、消滅すると、そこにはなにも残らなかった。

 ただし、トウヤは死んでいない。

「だから、戦うつもりはないって、いっただろう、兄貴」

 トウヤは、セツナの左後方に浮かんでいて、困ったような表情をしていた。

「その呼び方を止めろ」

「じゃあ、お兄ちゃん」

「本当にふざけているな、おまえ」

「冗談だよ、冗談。家族同士、兄弟同士なら、これくらいの冗談、普通だろ?」

 トウヤの発言の内容そのものは、常識的とさえいえるようなものだったが、セツナは、まったく納得しなかったし、故に飛びかかっていた。が、やはりトウヤはこちらの動きを見切ったように姿を消し、まったく別の場所に出現して見せる。

「本当、おっかねえ」

「おまえたちはいったいなんなんだ」

 矛を振りかぶったまま着地して、セツナは、つぶやくようにいった。トウヤの居場所を見遣れば、彼は、こちらに顔を向けている。黒い帯で覆われた目には、セツナの姿は映っているのかどうか。

「なんで俺の兄弟を演じている? どういうつもりだ? なにが目的なんだ?」

「目的?」

 彼は、小首を傾げた。その仕草そのものも子供じみている。大袈裟で、激しいのだ。

「いっただろう。俺の目的は、エベルを取り込むことで、兄貴の勧誘はついでだったんだよ」

 そして彼は、困り果てたように頭を振った。

「ま、そのどっちも失敗に終わったから、帰ったら怒られるだろうなあ。エベルの件は親父にこってり絞られるだろうし、兄貴の件は皆にぼこられそうだし。あーやだやだ」

 トウヤの嘆きは、セツナにはなんの感情も抱かせなかった。ただ、質問の意図と異なる返答だったことが、苛立ちを募らせただけのことだ。しかし、トウヤは、セツナの感情など素知らぬ様子で続けてくるのだ。

「あ、そうだ」

 彼は、なにかとても重要なことを思いついたようにして、人差し指を立てた。

「ひとつ、説明しておくと、兄貴を呪ったアシュトラはね、俺たちが殺したから」

「え……?」

 セツナは、予期せぬ通告に一瞬なにかを聞き間違えたのではないか、と思った。それくらいあっさりと、事も無げに言い放ってきたことは、とてつもなく重要な事実であり、事件といっても過言ではなかったのだ。

「兄貴の呪いは、もう二度と解けないよ。陛下以外には、ね」

 トウヤが付け足すように告げた言葉。それもまた、重大な新事実だったが、そのことについて問い質すことは出来なかった。頭の中に生じた混乱を抱えたまま、話に思考が追いつけず、状況が進行していく。時は止まらない。

「だからさ、陛下の元へおいで、ってこと」

「なにをいって――」

「まあ、考えておいてよ。じゃあね、兄貴」

 彼の姿は、あっという間もなく、セツナの視界から掻き消えた。

 そして、しばらくして黒い飛翔船が動き出すと、あっという間に魔晶城付近の空から離れていった。

 セツナたちを襲った緊急事態は去り、静寂と平穏が訪れたものの、彼自身の胸中に安らぎが生まれることはなかった。むしろ、忌々しい記憶が鎌首をもたげ、音もなく忍び寄ってきているような状況だ。

 しかし、セツナの頭の上の小飛竜は、わけがわからないとでもいわんばかりだった。

「あやつは最後なにをいっておったのじゃ? アシュトラ? 呪い? なんのことなのじゃ」

「それは……」

「マユリ様、それについては俺から話すよ」

「ああ、そうだな。それがいい」

 マユリ神は、セツナの制止に静かにうなずいた。

「なんなのじゃ」

「なんなのでしょう」

「おぬしにもわからぬか、後輩」

「はい、先輩」

 セツナは、ラグナとウルクのやり取りを聞きながら、黒き矛を送還した。黒き矛は、この場にいる神々を皆殺しにしたいと騒いでいたが、黙殺した。協力者を皆殺しにされていいはずもない。

 衝撃的な事実が頭の中を渦巻いている。

 アシュトラは、殺された。

 それも、トウヤたちの手によって、だ。

 アシュトラは、神だった。

 神だった、のだ。

 神のままであれば、不老不滅の存在であり、黒衣のものたちの手で殺すことなど不可能だったはずだが、しかし、アシュトラは大きな過ちを冒した。

 セツナとの戦闘で圧倒されたがために、セツナを呪ったのだ。

 神は、人間の祈りによって生まれ、信仰を力の源とする存在だ。

 老いることも滅びることもないのは、祈りや願い、信仰が神をそう定義しているからだ、という。

 故に神は、ひとを呪ってはならないのだ。

 神がひとを呪うということは、みずからの存在を否定することにほかならない。

 その結果、神は神でいられなくなり、堕ちるのだ。

 アシュトラは、セツナを呪ったがために堕ちた。

 そして、トウヤたちによって殺されたのだ。

 神の末路としてはあまりにも哀れだが、同情はしなかった。

 むしろ、なぜ殺されたのか、と、無意味に憤ったりもした。

 呪いは、通常、呪いをかけたものにしか、解けない。

 絶望的な現実とは、こういうことをいうのだろう。

 セツナは、魔晶城への移動中、そんなことを想った。


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