第二千九百七十九話 船のこと(二)
ミドガルドは、ウルクナクト号の船内をひとしきり見て回ると、そそくさと船を降りた。セツナたちも彼の後に続いて船を降りたが、彼がなにを見て、どう感じ、なにをどう考えたのかは想像もつかない。彼の足取りは速く、セツナたちは置いてけぼりを食らうことが多かったからだ。
「ウルクナクト号を初めて目の当たりにしたとき、わたしは驚くほかなかった。船が翼を生やし、空を飛んでいたのです。驚き、興味を抱いた。まあ、魔晶技師のサガですな」
ミドガルドが船の残骸を見遣りながら語るのを聞きながら、セツナは、当然の反応だと思った。空飛ぶ船など、飛翔船の登場までは、この世界には存在しなかったのだ。驚くのは当然であり、好奇心を持つのも、不思議な話ではない。特に彼のような技術者、研究者ならば必然といってもいいだろう。
「飛行能力を有した魔晶兵器の案はいくつかありましたし、多数の魔晶兵器を運搬するための飛行構造体を考案したこともありますが、いずれも実現には至りませんでした」
「ウルクは、飛べましたよね?」
「魔晶人形のそれは、飛行というよりは跳躍に近いのですよ。飛行翼は、その跳躍能力を増強している過ぎませんし、それが実現できたのは、魔晶人形だからこそ、なのです」
魔晶兵器の重量では、空に浮かせることはままならない上、運搬用の飛行機となればなおさらだ、と、彼はいった。
魔晶人形の躯体も十分に重量があるのだが、それでも、ほかの魔晶兵器と比べると軽いということなのだろう。
ウルクはかつて、飛行用の装備で超長距離を飛んできたし、窮虚躯体にも空を飛ぶための機構や、空中を自在に飛び回る小型兵器があった。が、それらは、魔晶人形ならではのものであり、ミドガルドが求めるような飛行能力を有した魔晶兵器などではないらしい。
「では、ウルクナクト号の修復は不可能だと?」
「いえいえ。ウルクナクト号の内部構造は把握できましたし、改良案も思い浮かびましたから、御安心のほどを」
「え……?」
「ふむ……さすがは窮虚躯体を作り上げただけのことはあるな」
「さすがです、ミドガルド」
「賞賛は、船が完成し、空に浮かぶことに成功してから、にしてもらいましょうか」
ミドガルドの声が若干弾んでいるように聞こえたのは、気のせいではあるまい。ウルクナクト号の修復および改良という大仕事を前にして、生粋の研究者にして技術者は、喜びに打ち震えているようだった。彼にとって、飛翔船に手を加えるというのは未知の領域であり、故に好奇心が掻き立てられるのだろう。
「しかし、そのためには皆様の協力も仰ぎたいのですが」
「わたしは、元よりそのつもりだ。船のことは、だれよりも理解しているからな」
マユリ神が当たり前のようにいうと、ミドガルドは頭上を仰ぎ見た。ミドガルドの同志たる三柱の神は、彼に対し、友好的な表情を浮かべている。
「わたくしは構いませんよ、ミドガルド殿。あなたとの協力関係は、いまもなお確かに存在するのですから」
「我も協力しよう! より良い船を作るのだ!」
「……まあ、よかろう。魔王の使いのために協力するのは癪だが、しかし、そうもいっていられる状況ではないのだからな」
ミュザ、ラダナス、フォロウの三神は、それぞれに意見を述べながら、ミドガルドへの協力を約束した。
マユリ神を含め、四柱もの神が協力するとなれば、ウルクナクト号の復活にはそれほど長い時間は必要しないように思えた。おあつらえ向きの工場がすぐ側にある。
魔晶城には、魔晶兵器や魔晶人形を大量生産するための資材がそれこそ大量に保管されているに違いなく、ウルクナクト号のような巨大な構造物を復元するにせよ、作り出すにせよ、それくらいは余裕であるということだった。
「船が破壊されたときはどうなることかと思ったが……これで一安心だな」
セツナは、なにやら神々に指示しているミドガルドの様子を見遣りながら、嘆息とともにいった。ウルクナクト号がああもあっさり破壊されるとは、想像もしないことだった。
「わしが飛び回っても良かったのじゃぞ?」
「それもいいが、それだとおまえに負担がかかりすぎるだろ」
「いまもマユリのやつに負担をかけておるではないか。同じことじゃ」
「そりゃあ……そうだけど」
ラグナのいいたいことはわからないではないが、マユリ神がウルクナクト号の動力機関の役割を果たしてくれているのは最初からであり、互いに納得済みのことだった。もちろん、当たり前のように船を動かしてくれているマユリ神には感謝しかなかったし、そのことは、セツナのみならずファリアたちも、だれもが思っていることだ。
故に負担を減らせるというのであればそうしたいと常々思っていることだが、だからといって、ラグナに負担を移せばいいという問題ではないだろう。
「おまえの背中じゃ、快適な空の旅、だなんていえないからな」
「むう……それは大問題じゃな」
「大問題、ですか」
ウルクが小首を傾げると、ラグナがセツナの頭の上でなにがしかの仕草をした。
「ミリュウや先輩がうるさそうじゃ」
「かもな」
セツナは、彼女の導き出した結論に肯定するほかなかった。確かに、ミリュウやレムは、ラグナの背中に乗って移動し続けることに納得しないだろう。彼女たちだけではない。セツナ一行は大所帯なのだ。ラグナは、超大型飛竜態となれば、ウルクナクト号を背に乗せることすらできるくらいの巨体となれるが、先もいったように快適なものではないのだ。
短距離ならばともかく、何日もの間空の上を飛び続けることになるとすれば、ラグナの背の上で生活しなければならず、それには多数の文句や不満が出るのは明らかだった。
セツナ自身、困り果てることは目に見えている。
だからこそ、船が必要なのだ。
空を飛ぶ船が。
そんな風にしてミドガルドたちの様子を見守っているときだった。
不意にラグナが固まった。
「む……」
「どうした?」
普段ならばなんとも思わないラグナの反応を訝しんだのは、ただならぬものがあったからにほかならない。
「セツナ、気をつけてください。この場所に接近中の飛行体を感知しました」
「飛行体?」
「船じゃな。空飛ぶ船」
ウルクへの疑問に答えたのは、ラグナだ。続いて、マユリ神がこちらに顔を向けてきた。
「セツナ、飛翔船が接近中だ。おそらくはネア・ガンディアの船だろう」
「ネア・ガンディアの……船?」
セツナが疑問に思ったのは、ネア・ガンディアはいま、消極的だという情報が入ったばかりだったからだ。だからこそ、フェイルリングたちがここに来られたと、聞いたところだ。
ウルクや神々が見遣ったのは空の彼方であり、遙か遠方、星の海を泳ぐ天使の姿がセツナの目にも映った。それこそ、飛翔翼を展開した飛翔船以外のなにものではなく、六枚の光の翼を羽撃かせるそれは、ウルクナクト号よりも一回り二回り小さい船だった。
ネア・ガンディアの飛翔船なのは、間違いあるまい。
飛翔船を用いるのは、ネア・ガンディアだけだ。
マユリ神がセツナたちのすぐ側に飛んできたのは、ネア・ガンディアの動向を警戒してのことだろう。ラグナも警戒を強め、ウルクも同様に臨戦態勢に入っている。セツナも、船が接近するに従い、警戒を強めるべく、呪文を唱えた。
「武装召喚」
術式を完成させる一語が全身から爆発的な光を発生させ、右手の内に収斂していく。そして一振りの矛が具現した。黒く禍々しい矛は、セツナの手に馴染むと、神々への敵意を剥き出しにしたが、彼はそれを宥めつつ、空を睨んだ。
黒き矛によって強化された視覚が、小型飛翔船の外観をはっきりと認識させる。
もちろん、星の海を泳ぐ天使などではない。
それは、星の海を渡る悪魔そのものだった。