第二千九百七十五話 救世の騎士(一)
頭上には、星空があった。
晴れ渡った夜空に無数の星が瞬き、月ととともに夜空を飾る。まばゆいというほどではない。ただ音もなく光り輝き、廃墟を照らし出す。
廃墟。
魔晶城は、徹底的に破壊され尽くしていて、もはや見る影もない。訪れた当初は、高層建造物が建ち並ぶ厳めしい城塞であり、砲台や兵器が設置されたその様は、この世界の城塞の常識を覆す代物といってもよかったのだが。そういった兵器類も、エベルと窮虚躯体の激闘の余波に飲まれ、壊滅的被害を出している。
建物という建物が倒壊し、それらの残骸と瓦礫が地上を埋め尽くしており、それらの撤去作業を地上に残っていた魔晶人形たちが黙々と行っていた。窮虚躯体の強制同期によって動力の大半を失ったとはいえ、残存する動力の限りを使い、魔晶城を建て直すための作業を行うよう命じられたのだろう。
無論、ミドガルドによって、だ。
「建て直すんですか?」
セツナが問えば、ミドガルドはうなずいた。
「この世界に平穏が訪れない限り、魔晶人形や魔晶兵器はいくらでも必要でしょう。この地の治安を確保し、維持するためにも戦力は必要ですし」
「この地の治安……」
「わたしは、この国の人間ですから」
ミドガルドが、少しばかり遠慮気味にそういったのは、この国の神であったエベルを討ち斃したという事実があるからだろう。その際、ディールの王ルベレスも死んでしまっている。
ルベレスを殺したのはエベルではあるが、エベルがルベレスという依り代から抜け出さなかった場合、窮虚躯体は間違いなくルベレスごとエベルを破壊し尽くしただろう。そして、弱り切ったところをセツナが止めを刺す。それが、エベルが窮虚躯体に乗り移らなかった場合の決着の付け方だった。
いずれにせよ、ルベレスは死ぬことになっていた。
そして、それを見越した上で、ミドガルドは、計画を立て、実行に移した。
彼がディール国民であると告げるのに複雑な心境を抱くのは、当然かもしれない。
セツナたちが地上に上がってきたのには、ふたつの大きな理由があった。
ひとつは、ウルクナクト号の落下地点に赴き、その惨状を確認すること。
もうひとつは、フェイルリングたちの無事を確認すること。
ウルクナクト号のことに関しては、朝まで休んでからでも良かったが、後者に関しては、すぐにでも確認するべきであり、それならば、ついでに船の様子も見に行くこととしたのだ。
フェイルリングたちは、セツナたちを救援するうべく助勢してくれたのだから、その無事を確認するのは当然の話だった。
エベルとの死闘の最中、エベルによって吹き飛ばされた彼らがどうなったのか、セツナは確認するのを怠っていたが、ラグナとマユリ神によれば、皆、生きているとのことだった。だからこそ、フェイルリングたちに感謝を伝えるべく、彼らを探しにきたのだ。
セツナとミドガルド以外にも、あの場にいた全員が地上に上がってきている。ラグナは当たり前のようにセツナの頭の上に乗っかっており、イルとエルも一緒だ。マユリ神はセツナたちの後ろにおり、ミドガルドの同志の三神もついてきていた。
気にかかるのは、ウルクのことだ。
彼女は、最新型の躯体である肆號躯体にその頭脳を移し替えたばかりだった。調整器によって様々な調整が行われ、最適化も済んでいるとはいえ、すべての面において刷新された躯体は、ウルク自身に違和感を覚えさせるようだった。
立って歩く、という、それだけのことにもいままでとは異なる感覚があり、それに慣れるまで少し時間がかかるかもしれないとのことだった。そのため、彼女はいま、セツナの腕にしがみつくようにしていた。そうやって力を込められても、以前の壱號躯体や弐號躯体のような強烈な圧迫感を感じないのは、肆號躯体の特徴なのだろう。
ミドガルドが散々説明してくれたことだが、肆號躯体は、極めて人間の女性の肉体に近い感触があった。人間めいた肌の質感も、人工皮膚というミドガルドの発明品によるものだろうし、皮膚の下に隠された最新型の装甲に用いられる神精合金や擬似筋肉が、人体の柔軟性を再現しているのだ。
顔を見れば、さらに人間に近づいていることがわかる。腰辺りまである灰色の頭髪のみならず、眉毛や睫もあり、瞼もしっかりと動いていた。さらに眼球だ。おそらく魔晶石を加工したものであろう眼球は、人間の眼球にそっくりだった。不自然さがない上、以前のように暗闇の中で強く輝くこともなかった。
薄紅色の唇も、人間そっくりに再現されている。
戦闘特化の窮虚躯体には見られなかった拘りの数々は、それこそ、ミドガルドがウルクの今後のためにと力の限りを尽くしたものだと思えた。
もしかすると、窮虚躯体を完成させる以上に肆號躯体の開発に神経を使ったのではないか。
そんなことを思ってしまうくらいに、肆號躯体の完成度は高く、セツナは、必然的にウルクの横顔を見取れてしまった。ウルクの容貌というのは、元々、絶世の美女といっても過言ではないものだが、人間に近づけられたことで、より一層、美しさに磨きがかかったといっていい。
すると、ウルクがこちらの視線に気づく。
「ど、どうしたのですか? セツナ」
普段通りならばきょとんとするだけの彼女が必要以上に驚き、その上顔を赤らめるものだから、セツナは想わず狼狽えた。
「な、なんでもない」
「そ、そうですか……それならいいのですが……」
ウルクの普段らしからぬ反応があまりにも初々しく、可憐に感じられてならなず、それがセツナには衝撃的に過ぎるのだ。ウルクといえば、感情を持ちつつも、表面に現れないのが当たり前だった。彼女がセツナを強く想ってくれていることは理解していたし、それ故の言動の数々は思い至る。しかし、これほどまではっきりと感情が表面に現れたことはなく、そのため、セツナも反応に困るのだ。
感情や本能に正直すぎる女性を知っているというのに、だ。
「先程からどうしたのじゃ、ふたりとも。らしくないのう」
「戸惑っているのだろう。ウルクは、変わった」
「確かに変わったが、後輩は後輩。そこは変わらぬ」
「竜王におかれては、そういった心の機微はわからないか」
「む……そんなことはないぞ」
ラグナとマユリ神が言い合っているうちに、セツナは、銀光を発見した。それは、瓦礫の山の上に立ち尽くす騎士であり、その人物は、月を仰ぎ見ていた。そして、彼の周囲には、四人の騎士がいて、それぞれ廃墟を見渡しているようだった。
フェイルリング率いる騎士たちだ。
皆、無事のようだった。
「セツナ殿、御無事でなによりです」
セツナたちが歩み寄ると、フェイルリングは、こちらに顔を向けた。月を背後に佇む騎士は、夜風の中で神々しくさえあった。
その神々しさというのは、エベルのような強烈な圧力ではなく、柔らかで穏やかなものだ。不快感がない。
「フェイルリングさんこそ、よく御無事で」
「ええ。生きているのが不思議なくらいですが、生き残ることができたのであれば、なにもいうことはありません。結局、セツナ殿に御助力することがかなわなかったのは、無念ですが」
「そんなこと、ありませんよ」
セツナは、自虐的に告げてくるフェイルリングに正直な気持ちを伝えた。
「皆さんが力を貸してくれたからこそ、あの場を脱出できたのは紛れもない事実です」
「しかし、エベル討滅には、我々はなんの寄与もできなかった。それもまた、事実」
「フェイルリングさん……」
「当然の帰結ではあるのです。我々とエベルの力の差は、あまりにも大きい。我々がネア・ガンディアを打ち倒せなかったのも、圧倒的な戦力差故」
「ネア・ガンディアと、戦われていたのですか?」
「無論」
フェイルリングは、至極当然といわんばかりにうなずいた。