第二千九百七十三話 父と娘(十六)
「俺たちに近づく……ですか」
「そうですよ、セツナ殿。肆號躯体は、弐號躯体のように戦闘面だけでその力を発揮するわけではないのです」
「ええと……ウルクはこれまでも、戦闘以外でも俺たちに尽力してくれていましたよ」
「それはもちろん理解していますが……」
ウルクは、ふたりの会話を聞きながら、両手で包み込んだままだったラグナを解放した。すると、小飛竜は目一杯に翼を広げ、ウルクの頭の上に乗った。ラグナの体重と体温を感じ取るのは、肆號躯体の繊細かつ鋭敏な感知能力おかげだろう。
「弐號躯体……いえ、参號躯体以前の躯体は、戦闘兵器としての魔晶人形という先入観に囚われたものでした。無論、元来が戦闘兵器なのですから、それでいいはずです。ただの戦闘兵器として突き詰めるのであれば、ですが」
「その窮極形が、窮虚躯体、ですよね」
「ええ。窮虚躯体は、現状における最終強化形といっても過言ではない代物です。戦闘に特化し、神さえも圧倒しうる性能を備えた躯体。現状ではもう一度作り上げることは不可能なのが多少、残念ではありますな」
ミドガルドは、言葉通り残念そうにいったが、それは、ウルクも同じ気持ちだった。もし、窮虚躯体がもう一体でも存在するのであれば、肆號躯体ではなく、窮虚躯体にこそ、自分を移植して欲しかったからだ。
窮虚躯体ならば、セツナの力になれる。
ただ、力になれるだけではない。状況次第では、セツナ以上の力を発揮し、セツナを守り抜くこともできるのだ。それだけの力があれば、二度とセツナを失うような事態にはならない。セツナの従僕として、それほど嬉しいことはないのだ。
しかしながら、窮虚躯体は、一体のみが作り上げられ、それが限界だということだった。
「とはいえ、窮虚躯体が最大限の力を発揮するには、黒魔晶石の心核を搭載する兵器が大量に必要であり、実用的とはいえません。その点、肆號躯体は、強制同期を必要とせず、単体でも弐號躯体とは比較にならない戦闘能力を有する上、平時おいては人間同様に生活が可能なのですから、実用的ではありませんか?」
「ですから、ウルクは元々、俺たちと生活できていましたよ」
「弐號躯体と肆號躯体では、圧倒的に違うのですよ」
ミドガルドが断言する。
「まず躯体が違う。女性の体の持つ柔らかさをできる限り再現した躯体は、その肌触りからして、弐號躯体とは比べものにならないはずです。触ってみて、わかりませんか?」
「それはまあ……わかりましたけど」
「でしょう。これからセツナ殿と行動をともにし続けるウルクには、窮虚躯体のような物騒な代物よりも、肆號躯体のほうが遙かに相応しいはずです」
「そう……なのでしょうか?」
「そうだよ、ウルク。肆號躯体こそ、君のための躯体だ。君専用の、君だけのものなのだ」
「わたしだけの……?」
「君のためだけに考え、頭を悩ませ、研究に研究を重ね、ついに完成を見た君の体だ」
「わたしの……体」
ウルクは、改めて自分の躯体を見下ろした。見た目からして、弐號躯体とは違っている。というのも、壱號躯体、弐號躯体ともに外骨格を覆う装甲が剥き出しであり、それ故にひとびとに無機的な印象を与えていたらしいのだが、肆號躯体は、まるでセツナたちと同じ人間の体のようだった。
無論、躯体は躯体であり、全身が金属で覆われているのだが、擬似筋肉の存在や外骨格を覆う人工皮膚のおかげで、見た目には金属の塊であることがわからなかった。
自分で自分の体に触れてみると、なおのこと、よくわかる。これまで金属の硬質感に覆われていたはずの体が、人工皮膚、神精合金、擬似筋肉により、人体のような柔らかさを持っていた。そして、指先が感じる温度により、体温さえも再現していることに気づかされる。
セツナとラグナがいっていたことでもある。
体温を感じる、と。
「エベルはいった。人間が人間に似せたものを作り出すなど、あってはならない、ありえないことだと。そもそも、そんな技術も知恵も持っていないのだ、と。実際、わたしが魔晶人形を作り上げることができたのは、エベルのいったとおり、エベルが見せた天啓のおかげであり、エベルの気まぐれなくしては、魔晶人形は誕生しなかったのだろう」
ミドガルドの独白に顔を上げる。ミドガルドの躯体は、肆號躯体とは異なるのだが、それはつまるところ、肆號躯体がまだ量産可能ではないということなのかもしれない。
「そして、窮虚躯体も肆號躯体も、完成させることができたのは、同志たる神々のおかげだ。わたしひとりの力では、エベルに対抗することもかなわなかった。なにもできないままエベルに翻弄され、滅ぼされていたに違いない」
「ミドガルド……」
「わたしは人間だ。人間なのだ。ひとりでは生きていくことすらできないただの人間に過ぎない。それを理解したとき、わたしの道は開けた。ひとりでなにもできないのであれば、協力を仰げばいい。助力を求めればいい。なにもひとりで戦う必要はない。なにもひとりで、立ち向かうことはない」
力強い言葉だった。
「そうして、同志たちと巡り会えた」
「素晴らしい出逢いだったな!」
「それには大いに同意しよう。同志ミドガルド。君との邂逅は、この世界で唯一無二の幸運だった」
「わたくしも、ミドガルド様と巡り会えたことには、感謝しかありません」
同志と呼ばれた神々が、口々にミドガルドを賞賛する。
その事実がウルクには嬉しかった。
「同志のおかげでわたしは、魔晶技術を発展、進化させた。そして窮虚躯体を作り上げることができたのだが、それだけでは、あまりにも虚しかった。窮虚躯体は、エベルとの戦いのためだけの躯体だ。復讐のためだけのね。戦いが終われば破棄せざるを得なくなることもわかっていたし、ウルクの新たな躯体が必要であることもわかっていた」
「それで、肆號躯体を?」
「ええ。ただし、肆號躯体を造るに当たっては、これまでの躯体とは一線を画するものでなくてはならないと肝に銘じていました」
「一線を画する……」
ウルクは、胸に手を当てて、その柔らかさに驚きつつ、つぶやいた。確かにミドガルドのいうとおりだ。肆號躯体は、これまでの躯体とは、なにもかもがまるで異なっていた。
「ウルクがこれから先、セツナ殿や皆さんと日々を送る上で、なにが重要なのか。そればかりを考えました。ウルクの幸福にとって必要なものはなんなのか。ウルクがなにを望み、なにを求め、なにを願っているのか。こればかりは、ウルク本人に聞くしかないのですが、残念ながら、ウルクはおらず、想像に頼るしかなかった」
そこまでいって、彼は、苦笑した。
「まあ、聞かずともわかりきっていることではあるのですがね」
「わかりきっている?」
「そうだよ、ウルク。君の望みは、わかりきっている」
ミドガルドのまなざしを優しく感じたのは、気のせい、というものなのだろうか。ウルクには、よくわからない感覚だった。そもそも、他人の気持ちというものがあまり理解できないのだ。わかるのは、セツナの想いくらいであり、だからこそ、ウルクはセツナのことばかりを想う。
「君はこれから先、ずっとセツナ殿の側にいるのだろう」
「はい」
はっきりと、断言する。
それ以外に道はなく、それだけがすべてといっても過言ではなかった。
「ならば、答えは簡単だ。セツナ殿との日々を素晴らしいものにするための躯体を完成させる必要がある。そう、わたしは結論した」
「それがこの躯体……なのですか」
「そう、肆號躯体こそ、君の望みを叶えてくれる躯体になると、信じている」
ミドガルドの柔らかな声音が、ウルクの耳に染みいるようだった。