第二千九百六十七話 父と娘(十)
「ところで、ウルクの最終調整とやらは終わったのか?」
ラグナがミドガルドに質問したのは、ミドガルドが会話に入ってきたからだろう。
彼は、それまで調整器上部側面の端末にかかり切りだった。端末の近くには、文字や図形を表示するための装置が存在し、そこに表示される無数の文字の羅列を見ても、セツナにはなにがなんだかわからなかった。ウルクの躯体および、ウルクの旧型術式転写機構の核と思考機構についての様々な情報が表示されていたりするのだろうが、詳細は不明だ。聞いたところで理解できるものかどうか。
ミドガルドが端末を操作することで、装置に表示される文字に様々な変化が起きていたのだが、それも、見ていてなにがわかるわけもなく、途中で理解しようと試みるのも諦めていた。それからだいぶ時間が経っていて、いまやミドガルドは端末を操作してもいないのだ。
「終わりましたよ。後は、ウルクが目覚めるのを待つばかりです」
「では、上手く行ったんですね」
「当然でしょう。旧型術式転写機構と思考機構の整合性については、何度となく実験し、正常に作動することを確認しておりますし、ウルクの躯体にも異常は見受けられません。なんの問題もないでしょう。とはいえ」
ミドガルドは、調整器を見つめた。調整器の中で目覚めのときを待つ、愛娘のことを見たのだろう。
「ウルク自身は、大いに戸惑うことでしょうがね」
「ウルクが戸惑う?」
「弐號躯体と肆號躯体では、勝手が違いますから」
「肆號躯体……」
そういえば、同志の神々がそのようにいっていたことを思い出す。
壱號躯体、弐號躯体ときて、肆號躯体だ。参號躯体は、存在しないのか、どうか。
「この城が完成して以来、わたしは日々、魔晶人形、魔晶兵器の研究および開発を続けていました。それもこれも、エベルを出し抜き、打倒するため」
ミドガルドが力強く語れば、神々が反応した。
「同志ミドガルドの執念には、我々を引き寄せるだけのものがあった。故に我々も協力を惜しまなかった。彼は人間だが、人間にして神を打倒しうると想えたからだ」
「我らは、ミドガルドの熱さに胸を打たれたというわけだ!」
「違うが」
「違わないだろう! 我らは、ミドガルドとともにエベル打倒に燃えに燃えた! それはもう燃え尽きて真っ白になるほどにな!」
「否定する要素はないのではありませんか? フォロウ」
「……はあ」
熱く語るラダナスの暑苦しさとにこやかに同意を求めるミュゼの強引さの前には、フォロウは憮然とせざるを得なかったらしい。やはり、ラダナスとミュゼに振り回される損な役回りのようだ。同情を禁じ得ない。
「同志たちの協力を得、魔晶技術は大いに発展しました。それこそ、人間の研究者が頭を突き合わせて考え込んでいるだけでは到達できない次元に。おかげで魔晶兵器の質も大幅に向上し、半自動的に魔晶兵器を製造する工場として、この魔晶城を造り替えることができたのです。同志諸君には、本当に感謝しています」
「感謝するのは、こちらのほうだ。同志ミドガルド。君のおかげで、我々は目的を達することができた」
「その通りだ! ミドガルド! エベル打倒が成ったいまとなっては、あの研究の日々が懐かしく思うぞ!」
「ええ、まったく……」
「量産型魔晶人形の開発計画を実行に移せたのも、同志の協力有ればこそ。とはいえ、初期の量産型魔晶人形の躯体は、弐號躯体を元にし、改良を加えた程度に過ぎない。小型軽量化および様々な効率の向上により黄色魔晶石の副心核でも活動を可能としてはいますがね」
ミドガルドが、イルとエルを見遣ったのは、彼女たちこそ、初期の量産型魔晶人形だからだろう。魔晶城に配備されていた量産型魔晶人形とは、出来が違うに違いない。
「先もいいましたが、弐號躯体は、いまにして思えば出来損ないといっても過言ではない代物です。なのになぜ初期の量産型には弐號躯体を元にした躯体を用いたのかといえば、ウルクの所在地が不明であり、探し出すのに時間がかかるだろうという核心があったからでした。世界中を捜索しなければならないとなれば、捜索用の量産型の完成を急ぐ必要があった。その結果、弐號躯体に多少の改良を加えた半端物になってしまったことには、多少、悔いが残っています。しかしまあ、目的を果たせたのだから、いいとしましょう」
イルとエルは、ミドガルドの視線に気づいたのか、彼に目を向け、小首を傾げた。二体の量産型は、ミドガルドの命令を受け、ここを旅立ったはずなのだが、そのことをすっかり忘れているようだ。ミドガルドのことすら記憶していないのではないか。そんな雰囲気さえ漂っている。
「さて、ウルクの新たな躯体が肆號躯体であることについて、ですが、当然、弐號躯体と肆號躯体の間には、参號躯体が存在しています。残されていた弐號躯体の資料を元に抜本的に見直し、設計思想そのものから手を加え、改良に改良を重ねたものが参號躯体となります。これは、現在の量産型魔晶人形の躯体、その原型となっています」
「つまり、現在の量産型はイルたちより高性能だと?」
「その通りですよ。お望みとあらば、彼女たちの躯体を交換いたしますが、どうされます?」
「そうですね……」
ミドガルドに提案され、セツナはイルとエルのふたりを見た。ふたりは、話の内容を理解していたのか、セツナに向かってこくこくと首を縦に振った。躯体を最新型に交換して欲しい、という意思表示だろう。その反応を見る限り、イルとエルには、確実に自我が存在していた。
「交換して欲しい、とのことです」
「ふむ……」
「どうしたのじゃ?」
「量産型がみずからの意思を持つなど、本来ありえないことなのでね」
「それをいえば、ウルクだって、そうでしょう?」
「ふふ……確かにその通りですね。彼女たちにも奇跡が起きている、ということですか」
とはいいながら、ミドガルドがイルとエルをひとりの人間のように扱っていることには、セツナも気づいていた。意思を持たない人形として扱うのであれば、彼女たち、などと表現することはあるまい。セツナたちを尊重してのことかもしれないが。
「奇跡……」
元来意思を持たない人形が、みずからの意思を示し、行動する。確かにそれは奇跡以外のなにものでもない。しかし、なぜそのような奇跡が起こったのかは、まったくわからない。原因は不明のままであり、想像もつかなかった。ウルクに関してもそうだし、イルとエルに関しても、だ。ウルクは、セツナたちとの触れ合いの中で精神的成長を遂げていったというが、自我そのものは元々持っていたのだ。つまり、セツナたちがなにがしかの影響を与えたことで、魔晶人形に自我が芽生えたわけではない。
「話を戻して、よろしいですかな」
「ええ、お願いします」
「参號躯体を量産型の躯体とする一方、さらなる改良を加えることで、エベルとの決戦兵器を完成させました。魔晶技術の粋を集め、神々の叡智と御業を駆使し、作り上げたそれこそ、窮虚躯体です。量産型魔晶人形および魔晶兵器との同期によって絶大な出力を得、神をも封じる器としての役割をも持つこれには、その圧倒的な力と機能を制御するための頭脳を必要としたのです」
「だから、ウルクの頭脳が必要だった、と」
「ええ。ただし、それには大きな懸念もあった」
それこそ、エベルと躯体ごと、ウルクの頭脳を破壊してしまう可能性だ。ミドガルドは、その可能性を極限まで廃するべく、窮虚躯体の頭部をなによりも頑丈なものとして作り上げた。それでも不安は残ったが、賭けるしかなかった。
そしてミドガルドは、賭けに勝った。
最愛の娘を犠牲にすることなく、エベルの打倒に成功したのだ。
これほど完璧な勝利など、そうあるものでもあるまい。