第二千九百六十六話 父と娘(九)
ミドガルドが調整器の端末を操作する間、セツナたちは、暇を持て余すくらいの時間を待たなければならなかった。
しかし、苦痛ではなかったし、むしろ有り難かった。というのも、セツナは、エベルとの戦いのために消耗し尽くし、疲労困憊といっても過言ではなかったからだ。
イルが用意してくれた椅子に座り、その背もたれに上体を預けている。そうしてイルとエルが室内をうろうろと歩き回る様子を眺めていると、ラグナが思い出したように小飛竜形態に戻った。そしてセツナの頭の上に乗っかると、彼女はほっとしたようにいった。
「やはりこれじゃな」
「なにがだよ」
「ふふん、おぬしにはわからぬか、この良さが」
「どうやったら自分の頭の上の居心地の良さがわかるんだよ」
「それもそうじゃな」
ラグナののほほんとした口振りに苦笑していると、マユリ神が考え込んでいる姿を見た。なにやら真剣な顔で悩んでいるようなのだ。
「どうしたんです?」
「これからのことを考えると、頭が痛くてな」
「女神ともあろうものが、頭痛とな?」
「そういう意味ではない」
「わかっておる。冗談じゃ」
「……移動手段のことだよ」
マユリ神は、ラグナの軽口を黙殺して、セツナに向かっていってきた。ラグナが彼の頭の上でむっとするのがわかり、セツナは両手を頭の上に伸ばし、彼女の小さな体を包み込んだ。相変わらず、小飛竜の体はひんやりとしている。そのまま膝の上に持ってくると、ラグナは驚いたような顔でこちらを見上げてきたが、セツナが指先で頭や背中を撫でてやれば、納得したようだった。そして、満足げな表情になる。
ラグナの機嫌を取るのは、それほど難しいことではない。小飛竜態ならば頭や背中を撫でてやれば、それだけで御機嫌になるのだから、セツナにとって彼女ほど扱いやすい人物はいないといってよかった。機嫌のよさそうなラグナの様子にほっとしながら、マユリ神に目を向ける。
「……ウルクナクト号、ですね」
それについては、セツナも頭を悩ませていたところだった。
セツナたちが長らく愛用してきた方舟ことウルクナクト号は、今後のことを踏まえずとも必要不可欠な存在だった。移動手段であり、飛行手段なのだ。世界中を飛び回るにも、ネア・ガンディアとの最後の決戦に赴く際にも、ウルクナクト号がなくてはどうしようもない。
「あれでは、修復しようがない」
「マユリ様の御業をもってしても、ですか」
「ラグナシアと力を合わせても、難しいだろうな」
「加減もなにもあったものではなかったからのう」
「そりゃあ、エベルが手加減なんてしてくれるわけもないさ」
だから、困り果てている。
ウルクナクト号は真っ二つに折られた上に爆砕され、原型を失っていた。神と竜王の力を以てすれば、真っ二つの船体を接合することそのものは不可能ではあるまい。しかし、損傷部分を完璧に修復できるかというと、難しいだろうといわざるを得ない。ウルクナクト号は、人知を越えた技術の結晶であり、徹底的に破壊された結果、マユリ神でさえお手上げといった有り様なのだ。
神の御業ならば損傷部位の修復は可能だが、消滅した部分の復元というのは、難しい。それが未知の金属であればなおさらであり、別の金属で補填するしかないのだが、ウルクナクト号の特性上、それも困難を極めるのだという。
ウルクと同じだ。
ウルクの弐號躯体は、彼女が自身の首を撃ち抜いたがために継ぎ接ぎ状態になっていた。特殊合金製の躯体を別の金属で繋ぎ合わせることで間に合わせただけに過ぎなかったのだ。それでも通常の活動には支障はなかったが、戦闘となれば話は別だ。全力を出せば、接合部分の金属が融解しかねず、故に力を抑える必要があったのだ。
ウルクナクト号は、神威を動力とする。船内の様々な機構、機能が神の力によって作動し、船を重力の楔から解き放つ飛翔翼もまた、神威によって生成される。船体に用いられている金属は、神威の伝達率や耐性を考慮されたものであり、故にこそ、マユリ神が力を注ぎ込んでも船体が崩壊するようなことがなかったのだ。
船の修復のため、別の金属を用いれば、ウルクの躯体のように融解し、崩壊しかねない。
「困ったのう」
「ウルクナクト号? それがあの空飛ぶ船の名前なのかね」
ミドガルドが興味津々をいった様子でこちらを振り返った。調整器の端末から手を離しているところを見ると、既に作業を終えたのかもしれなかった。
「え、ええ」
「なるほど、黒き矛か」
「セツナの船にぴったりじゃな」
「ウルクが乗る船としても、よく合っている」
ミドガルドの発言からは、娘想いの父親という側面が強く感じ取れて、セツナはなんだか暖かい気持ちになった。ミドガルドは、エベル討滅のため、すべてを利用するようなことをいっておいて、実際のところは、ウルクだけはなんとしてでも守り抜こうと考えていたのだから、さもありなん、というべきか。
ミドガルドにとって、ウルクはそれほどまでに特別な存在なのだろう。
「あの船の修復には、わたしも協力を惜しむつもりはありませんよ」
「本当ですか?」
「セツナ殿は、あの船に乗って世界中を旅しているのでしょう? そして今後も必要となる。違いますか」
「その通りです」
「ならば話は早い。ウルクの調子を確かめ次第、早急に船の修復作業に取りかかるとしましょう。多少時間はかかりましょうが、なに、同志たちも協力してくれるはずです」
そう言い切るミドガルドだったが、彼の声音がいつの間にか柔らかくなっていることにセツナが気づいたのは、そのときだった。エベルとの戦闘中からこっち、どこか剣呑とした口振りだったのだが、それはおそらく、エベルとの決戦がため、気を引き締めていたりしたからなのかもしれない。
本来、ミドガルド=ウェハラムは、いつだって軽口を飛ばす穏和な人物だった。
神々のうち、フォロウが渋い顔をした。
「勝手なことをいう」
「我はいいと思うぞ! なにせ、エベルの打倒を果たせたのだからな!」
「まったくもってその通りです。目的を果たせたのは、英雄様方の協力あればこそ。その船とやらの修復にわたくしどもの協力が必要というのであれば、助力せずにはいられないでしょう」
「……まあ、よかろう」
熱血漢のラダナスとセツナたちに好意的なミュゼの発言を受けてか、フォロウはなにもかもを諦めるようにいった。ラダナスとミュゼに振り回されることに慣れているような、そんな印象を受ける。
「あ、ありがとうございます!」
「英雄様のおかげで、あの憎きエベルを討ち滅ぼすことができたのですから、当然ですよ」
ミュゼの柔和な笑みには、セツナへの感謝と尊敬の念が込められているようだった。神属でありながら、人間に対し、そのように振る舞えるというのは、中々どうして、できることではないのではないか。神が人間を対等以上に扱うという事自体、稀だった。
神は、人間にとって上位の存在なのだ。人間の祈りによって生じたのが神であれば、神がそのように存在するのも当然だった。そして、神々が人間を下に見、上位者として振る舞うのもまた、必然なのだ。ミュゼのように徹頭徹尾、丁重に扱おうとする神など、そういるものではない。
それがたとえ、勝利の貢献者であってもだ。
そういう意味では、セツナはミュゼ神に好感を抱いたし、フォロウ神の反応も当たり前だと受け取っていた。特にセツナは、黒き矛の使い手なのだ。神々に忌み嫌われて当然だった。