第二千九百六十三話 父と娘(六)
「さて、同志ミドガルドよ。この部屋を訪れたということは、ついにこのときがやってきたのだな」
「ああ、その通りだ」
ミドガルドは、フォロウ神の問いかけを肯定すると、部屋の奥へと向かった。セツナたちは、顔を見合わせ、彼の後に続く。神々の出現と立て続けの言い争いには唖然とするほかなかったが、それも終われば拘ってはいられない。
黒き矛や眷属たちは、神々への怒りをセツナに訴えてくるのだが、それに関しては黙殺した。魔王の杖たるカオスブリンガーとその眷属が神々を忌み嫌い、憎んでいることは重々承知だったし、敵対関係にあることも理解しているが、神々は、協力者なのだ。人間に協力的な神を滅ぼす道理はない。
そもそも、黒き矛と眷属たちは、マユリ神に対しても常に一定量の怒りを発しているのだ。もしセツナが黒き矛の感情通りに行動するのであれば、マユリ神の協力も拒否し、滅ぼすために戦いを挑むことになっただろう。そして、その結果セツナたちはどこかで全滅しているに違いない。
神の力というのは偉大であり、絶大なのだ。その協力なくしては、この世界で生き抜くのは難しい。
敵対し、交渉の余地もなければ、斃す以外の道はなくなるのだが、元々、友好的であり、協力関係を結ぶことができるのであれば、それに越したことはない。
フォロウ神は、セツナと黒き矛のことを警戒しているようだが、神ならば当然の反応でもあるのだ。魔王の杖は、神々の敵だ。平然と受け入れているマユリ神のほうが異常なのだ。
大型の調整器の前で足を止めたミドガルドは、棺型の機材の上部側面に設置された端末を操作した。調整器の表面を波光が走ったかと想うと、調整器の蓋が開いた。両開きの扉のように左右に分かれ、中からなにかがせり上がってくる。
せり上がってきたそれは、躯体を乗せた台座であり、その瞬間、調整器は棺から寝台にその役割を変えたようだった。
「これが……ウルクの新たな躯体」
セツナは思わず息を呑んだ。というのも、寝台となった調整器の上に寝かされた躯体は、傷ひとつない新品同然の代物であり、輝いてさえいるように見えたからだ。
「むう……弐號躯体とやらとは、まるで違うのう」
「外見はこれまでの躯体を踏襲しているようだが……確かに細部まですべてが異なっているようだな」
ラグナとマユリ神が感心するくらいに、躯体は様変わりしていた。
容姿は、壱號躯体を元にしたものだろう。絶世の美女というほかない容貌にすらりとした肢体。胸の豊かさが増している気がするが、気のせいかもしれないが、弐號躯体とは質感が異なるように感じるのは見間違いなどではないだろう。合金製の内骨格、外骨格によって成り立つ躯体とは明らかに構造が異なるようなのだ。
それがどういったものなのかまでは不明だが、外骨格の上を皮膚が覆っているような、そんな印象を受けた。頭部を見れば、より顕著だ。皮膚があり、睫があり、眉毛があり、唇がある。機能停止状態の躯体ではなく、眠っている人間の寝顔を見ているような、そんな感覚さえ抱くほどだった。
「当たり前だろう」
といって口を挟んできたのは、フォロウ神だ。中性的な声が、静かに響く。
「同志ミドガルドが、この肆號躯体を完成させるためにどれほど血眼になっていたのか、諸君にも見せたかったものだ」
「我らも協力したのだぞ!」
「打倒エベルとは一切関係のないことですけれども」
「同志ミドガルドにはやる気を出してもらわねばならぬからな」
フォロウ神が苦笑すると、ほかの神々も朗らかに笑った。
ミドガルドは、神々の話を聞き流しているのか、調整器の上の躯体を見つめ、そして、抱えていた窮虚躯体の頭部に視線を移した。彼はそのまま傷ひとつない頭部を台座の上に置くと、調整器から離れていった。彼が室内を歩き回って、なにをしたのかといえば、なにやら道具を探していたらしく、見つけると、すぐさま調整器の前に戻ってきた。
「そういえば、窮虚躯体の頭部は胴体よりも頑丈に造ってあるんでしたよね?」
「どうやってウルクの術式転写機構を取り出すのか、疑問かね」
「え、ええ」
「簡単なことだよ。これを使えばいい」
ミドガルドは、手にした道具を見せつけてきた。なにやら魔晶石を嵌め込んだ機械のようだが、どのような機能を持つ機材なのかは想像もつかない。
「それは?」
「見ての通り、躯体の整備のために使う機材だ」
「見ての通りって」
「わかるわけがなかろう」
ラグナの意見ももっともだったが、ミドガルドが聞き入れるはずもなかった。彼がその機械を起動させると、機械の先端から波光が生じ、力強く輝きだす。その光を窮虚躯体の後頭部に押し当て、後頭部の装甲を引き剥がし、さらに内骨格をも引きずり出す。ミドガルドが手にした機械は、装甲同士の接合を緩めるか、装甲そのものを引き剥がすものであるらしい。後頭部は、頭髪が残ったままであり、装甲表面を一切傷つけることがないという意味でも、極めて驚くべき技術というほかないだろう。
ミドガルドは、装甲と機械を調整器の上に置くと、開口した頭部を覗き込んだ。両手を突っ込み、中から無数の導線で繋がった機構を取り出す。その導線が頭脳の下した命令を躯体全体に送り込むものなのだろうし、躯体各所の損傷などを頭脳に報せるものに違いない。その導線に繋がった機構の内部から、さらに小さな部品を取り出した。
それは黒い双三角錐柱であり、ミドガルドの掌に収まるほどに小さかった。
「それが……術式転写機構……ですか」
「その核となるものだ。ここにウルクのすべてが記録されているといっていい」
「核……」
「術式転写機構は、この核を含めた機構のことでね。ウルクのこれは、旧型もいいところなのだよ。新型に比べれば、失敗作といってもいいくらいの出来だ」
ミドガルドは、淡々と事実を告げるように述べた。ミドガルドが同士たる神々の協力によって得られた知識は、魔晶技術に様々な革新をもたらしたのだろう。だからこそ、術式転写機構も、旧型と新型では大きな性能差が生まれたのだろうし、躯体もそうだ。技術の急激な進歩は、弐號躯体すら過去のものとした。それは喜ぶべきことなのだろうが。
「微調整を行う暇がなかった関係上、窮虚躯体には、旧型の頭脳のまま移植せざるを得なかったがね」
新たな躯体には、旧型の頭脳を用いる必要はない、ということだろう。
そのとき、セツナは、全身に警告が駆け抜けるのを認めた。
「なんじゃ!?
「セツナ!」
ラグナとマユリ神がそれぞれに反応する中、セツナは、ミドガルドの手の中の物体を見た。黒い双三角錐柱に変化はない。しかし、違和感は、そこから感じたのだ。すぐさま頭上に視線を移す。神々がこちらを見下ろしている。神々もまた、違和感を覚えたらしく、全周囲に注意を向けていた。
「いったい、どうした?」
ミドガルドだけは、なにも感じなかったようだった。彼は魔晶人形であり、その五感は、神々のように優れたものではないのだろう。ましてや、セツナほど研ぎ澄まされた感覚など、持ちようもない。セツナは、地下三十階にあって、地上の様子すらも把握していた。
広大な地下迷宮を擦り抜け、地上に逃れ出た存在を認識したのだ。
「なるほど……そういうことか」
セツナは、確信を持って告げた。
「エベルの奴、本体を術式転写機構に隠してやがったんだ」
「なんだと!?」
ミドガルドが愕然とするのも当然だった。
ウルクの頭脳たる術式転写機構を守り抜いたのが、徒となったのだから。