第二千九百六十二話 父と娘(五)
ミドガルドに続いて室内に足を踏み入れれば、空気が異様なまでに張り詰めていることに気づく。完全武装によって強化された五感がひりつくような空気を全身に感じ取らせ、体中が泡立つようだった。なにかがいて、それがこの部屋になにかしらの力を働かせているからだろう。それが一体なにものなのか。その正体については察しがつく。
ミドガルドの同志たちだ。
「神威じゃな」
「ああ。それもこの部屋を隠蔽するためのな」
ラグナとマユリ神の断定によって、確信する。やはり、ミドガルドの同志たる神々がこの部屋の中に潜んでいて、神威でもってこの部屋を包み込んでいたのだ。故に神経が逆撫でにされるような感覚がある。
部屋の構造はというと、長方形の広い空間であり、部屋というよりはなんらかの設備のような趣があった。魔晶城が魔晶技術研究所を前身とする魔晶兵器工場なのだから、その地下最深部と思しきこの部屋が工場設備の一部であったとしても、なんらおかしくはない。むしろ、ウルクのための新たな躯体を隠しておくためには、これ以上に相応しい場所はないといっていいだろう。
天井に設置された魔晶灯から降り注ぐ光に照らされた室内には、様々な機材が所狭しと設置されている。いずれも魔晶技術の結晶ともいうべき代物なのだろうが、セツナには、どれがどのような機能を持つものなのか、想像もつかなかった。
いや、ひとつだけ、理解可能なものが見つかった。室内の奥まった場所に安置された金属製の棺のような物体――調整器だ。
ガンディア時代、ウルクの躯体を定期的に検査し、ときには調整に用いられたそれを忘れることなどありえない。ただし、かつてミドガルドがウルクごとガンディアに持ち運んできた調整器とは、見た目からして大きく異なっており、機能の追加や複雑化が想像された。一回り大きくなっているのだ。
ミドガルドがその調整器に向かって歩み寄る最中、冷たい風が吹いたような気がして、セツナは背後を振り返った。イルとエルの後方では、防犯機能付きの自動扉は既に閉ざされている。風が入り込んでくるはずもない。もちろん、ミドガルドが人間時代に利用していた施設だ。空気の循環も考えられているはずだが。とはいえ、いまセツナが感じた冷気は、換気口や通風口から吹き込んでくるようなものではなかった。
「その様子では、見事成し遂げたようだな、同志ミドガルド」
不意に降ってきたのは、厳かな声だった。
「ああ、もちろんだとも。そうでなければ、ここには顔を出せぬよ」
「やはりそうか! そうだと想っていたが、君の返答で確信したぞ!」
ミドガルドの返答に反応したのは、別の声だ。暑苦しいほどの熱気を帯びた声音からは、男性的なものを感じざるを得ない。中性的な最初の声とは、明らかに熱量が違った。
「我々の協力は間違いではなかった、ということか」
「うむ! 我らの選択は正しかったのだ! エベルに一矢報いるどころか、滅ぼすことができたのだからな!」
歓喜に満ちた声とともに、それは、ミドガルドの頭上に出現した。一見すれば、赤銅色の肌をした筋骨隆々の大男だった。もちろん、ただの大男ではない。
物理法則を無視して空中に浮いているだけでなく、鉄の歯車のような光背を負い、右目の虹彩が金色に輝いていた。左目はまるで溶岩のように赤々と燃えたぎっていて、左目から流れ落ちる紅い光が頬を伝っている。右腕は装甲に覆われているが、左腕は素肌を曝している。赤銅色の肌は、健康的というよりは暴力的だ。なぜか、そんな印象を受ける。荒々しい容貌も相俟って、だろう。
ミドガルドの同志たる神々の内の一柱だろう。
そんな印象を抱いている内に、もう一柱の神が姿を現した。こちらは、荒々しい男神とは対照的に、清廉ささえ覚えるほどの美しさを持った神だった。性別はわからない。全身が金属で出来ているようであり、機械仕掛けの神とでも形容するしかないような姿だった。顔立ちは、人間に近い。背後には発電する円環を浮かばせており、やはり、神々しい。
「しかし……残念でもあるな」
「残念? なにがだ?」
「エベル討滅の場に居合わせられなかったことだよ、同志ミドガルド。エベルもまさか人間に出し抜かれるとは想うまい。その絶望的な心境たるや、どのようなものだったのか。見届けたかったというのは偽らざる本心なのだよ」
「なるほど、趣味が悪いな!」
「おまえにいわれたくはないが」
二神のやり取りにセツナたちが呆気に取られているときだった。
「両名に置かれては、少しは場を弁えることをお勧めしますよ」
「なんだと?」
「ふむ?」
「あなたがたが話に夢中になられるから、皆様方、呆気に取られておいでなのですよ。わたくしどもの英雄様がね」
「……ふむ」
「なるほど、理解したぞ! つまり、自己紹介をせよ、ということだな!」
「まあ……そういうことですね」
色々と諦めたような台詞とともに二神の間に姿を現したのは、やはり神なのだが、二神とは関連性を見いだせない姿形をしていた。いうなれば童女であり、セツナは、その姿を見た瞬間、草花の精霊アマラを想起してしまった。よく見れば似ても似つかないのだが、神という人外の存在であることと、幼い女児の外見という要素から関連づけてしまったらしい。銀色の髪と金色の双眸が神秘的な童女は、外見的には十歳にも満たないように想える。白い衣に金色の羽衣を重ね、美しい花弁のような光背が背後に輝いている。
「申し遅れましたね、わたしはミュザ。ミドガルドとともに打倒エベルを誓った同志です。以後、お見知りおきを、英雄様」
「我はラダナス! 同じくミドガルドとともにエベル打倒のため、全力を尽くした間柄だ! よろしく頼むぞ!」
「わたしはフォロウ。ミドガルドと志を同じくしていたものだ。もはや目的は達成され、同志である必要もなくなったがな」
「そういうな、フォロウよ! 我らは、彼の大悪神エベル打倒のために手を携え、知恵を絞り合った間柄ではないか!」
「そういう暑苦しさが……不快といっているのだがな」
「なにが不快なものか! 我は好きだぞ!」
「自分で自分を好きといって、気持ち悪くないのか」
「そういうことではなくてだな!」
「御両者、落ち着いてください。せっかく、エベルを打倒できたといいますのに……」
「打倒エベルのためだけの関係だ。エベルを討ち滅ぼせた以上、即刻解散したとして、なんの問題があるものか」
神々の言い争いには辟易しているのか、ミドガルドが肩を竦めていった。彼の目的も、神々の目的も、打倒エベルという共通のものであり、故にこそ手を組み、同志となったのだろう。その目的が達成されたいま、フォロウやミドガルドのいうように、解散するのが普通だろう。
「こうしてこの部屋を隠し続けてくださったあなたがたには感謝のしようもないが」
「ふっ、当然のことをしたまでだ! おまえは約束通り、エベル打倒の大任を果たしたではないか!」
「その通りだ、同志ミドガルド。我々は、君が迷いなくエベルと戦えるよう、全力を尽くしただけのこと」
「御両者、いっておきますが、エベル討滅を為せたのは、我々とミドガルドだけの力ではなく、英雄様の御助力あってのことだということを、お忘れなきよう」
「そうだな! まったくその通りだ!」
「英雄……か」
「なんですか?」
「魔王の使い魔だろうに」
「魔王の杖がなければ、エベルを打倒することなど夢のまた夢だったのですよ。もし、英雄様が御助力してくださらなければ、わたくしどもの目的は達成されず、むしろわたくしどものほうが敗れ去っていたのは間違いありません」
ミュザ神が憤然と告げると、フォロウ神は黙り込んだ。
三神の関係を見ていると、ミュザ神が調停者としての役割を担っていることがわかったが、その調停役も大変なのだろうと同乗せずにはいられなかった。
ラダナス神とフォロウ神は、常に言い争っているような印象を受けた。




