第二千九百六十一話 父と娘(四)
「エベルの用意した量産型……あれか」
昇降機に乗り込んだセツナの脳裏に思い浮かんだのは、最終戦争中、ガンディア領土を蹂躙するようにして進軍してきた聖王国軍の軍勢であり、その最前列を突き進む魔晶人形の数々だった。いまにして思えば、ミドガルド製の量産型に比べると、性能面で大きく劣っていたようだが、その理屈もいまならばわかる。黒色魔晶石ではなく、白色魔晶石を心核としていたから、だろう。
「同志たちの力を借りれば、白色魔晶石の心核を起動することは可能だった。しかし、度重なる研究と実験の中で、黒色魔晶石と白色魔晶石が反発しあう可能性があることがわかったのだ。当時、黒色魔晶石を起動することができなかったため、実際に確かめることはできなかったが、心核同士の反発によって機能不全に陥る可能性がある以上、白色魔晶石は断念せざるを得なかった」
「反発し合うっていうんなら、最初から黒色魔晶石を心核にしなければいいんじゃ?」
「黒色魔晶石と白色魔晶石では波光の容量だけでなく、出力も違うのだ。こればかりは譲れんよ」
昇降機が降り始めると、なんともいえない浮遊感に襲われた。箱形の昇降機の内側、上部に備え付けられた波光掲示板には、現在の階層が表示されており、地下五階を示している。その表示は瞬く間に地下六階、七階と変わっていっており、その速度も徐々に上がっているようだった。
「故に、代替として黄色魔晶石を採用したのだが、これは黒色魔晶石はいわずもがな、白色魔晶石にも劣る代物でな。躯体の構造そのものから考え直さなければならなかった。量産型がウルクよりも余程小さいのも、稼働に必要な波光量を減らすためなのだよ」
「なんじゃ、おぬしの趣味ではないのか」
ラグナは、イルとエルを見遣りながら、残念そうにいった。イルとエルは、互いに顔を見合わせ、小首を傾げる。そういった仕草を見るたびに思うのは、イルにもエルにも自我があり、意識があるのではないか、ということだ。でなければ、無反応で終始するはずだ。もちろん、確証はなく、こればかりは、ミドガルドに聞いてみるほかない。
「いっておくが、ウルクも、わたしの趣味ではないよ」
「ウルクが知れば、哀しむのう」
「そんなことはないだろう」
「いいや、哀しむはずじゃ。ウルクは、おぬしのことを慕っておったからのう」
「わたしを?」
「ええ、そうですよ、ミドガルドさん。ラグナのいうとおりです」
セツナは、ラグナに目を向けるミドガルドの横顔と彼が大切そうに抱える窮虚躯体の頭部を交互に見て、いった。
「ウルクは、あなたのことを慕っていました。間違いなく」
父のように、というのは大袈裟ではないだろう。
ウルクは、再会以来、ミドガルドのことを常日頃から心配していたのだ。“大破壊”以降のミドガルドの消息がわからない以上、ウルクが彼を心配するのは当然だっただろう。言葉ではミドガルドを自分の開発者に過ぎないなどといいながらも、その心中の不安は、セツナにはしっかりと伝わってきていたし、彼女がミドガルドを慕っていることは普段の言動からも明らかだった。
エベルがミドガルドを演じていたときの彼女の激怒ぶりを思い出す。ミドガルドを心より尊敬し、慕っているからこそ、彼女は、ミドガルドが偽者であると見抜いたのだ。セツナもラグナも、ミドガルドに扮するエベルに気づきもしなかったのだ。
ウルクだけが、ミドガルドが偽者であることに気づいた。
それは、紛れもなく、ミドガルドのことをよく見ていたからにほかならない。
そのことを話すと、ミドガルドは、窮虚躯体の頭部を見つめたまま、放心したように動かなくなった。
そして、昇降機が停止する。
波光掲示板には、地下三十階を示す共通語が描き出されていた。
地下三十階の通路は、地下五階の通路と内装そのものに変化はなかった。
魔晶灯の冷ややかな光に照らされた通路は、決して広くはない。大人三人が横に並んで通れるかどうか、という程度の幅しかなく、ミドガルドの後に続く五名は、二列に並んで歩くことになった。ミドガルドが先頭を進み、その背後にセツナとラグナが続き、マユリ神の後をイルとエルが歩いている。
魔晶城の地下施設は、地上の施設よりも余程頑丈な造りになっているらしく、壁や天井にひび割れのひとつも見当たらなかった。
窮虚躯体ウルクとエベル、それにセツナたちの熾烈な戦いが地上の建造物群を徹底的に破壊し、粉砕し尽くした挙げ句、地下の一部にも致命的な損害を出しているにも関わらず、だ。もちろん、地下三十階という階層の深さも影響しているのだろうが、造りそのものが違うような気がしてならなかった。
沈黙に包まれたまま進むこと数分、ミドガルドは、ようやく目的に着いたらしかった。
目的地は、通路の突き当たりの部屋であり、その扉の脇には、魔晶石の嵌め込まれた機械のようなものが取り付けられていた。魔晶技術の結晶に違いない。ミドガルドが魔晶石に触れると、それまで暗かった魔晶石が淡い光を発した。紫色の光は、世間一般に出回っている魔晶灯などとは異なるものだ。魔晶石の発した光が、扉の表面に刻まれた筋を駆け抜け、扉の真ん中から左右に分かれていく。両開きの扉。それも自動扉だ。それ自体、ここではめずらしいことではないが、指紋認証のような高度な防犯機能を備えた扉というのは初めてだった。
それだけ重要な部屋、ということなのだろうが。
「扉を厳重に閉鎖したところで、エベルの前ではなんの意味もないのではないか?」
マユリ神が当然の指摘をすると、ミドガルドは頭を振った。
「この部屋は、我が同志たちによって厳重に護られておりましてね。先程の波光認証は、念のため、です。万が一にもセツナ殿がここに辿り着かないとも言い切れませんからね」
「なるほど」
「納得するところですか」
「いや、納得しかないだろう」
マユリ神がにやりとした。
「戦闘中のおまえがここに転送されれば、なにをしでかすかわかったものではないのだからな」
「そうですかね……」
「そうじゃな、その通りじゃ」
満面の笑みを浮かべるラグナとマユリ神に対し、セツナは反論しようとして、諦めた。振り返れば、魔晶城の損害など無関係に暴れ回ったことを思い出したからだ。
「同志たちといったが……ここにおるということじゃな?」
「ええ」
「ではなぜ、エベルとの戦いの間は一切手出ししてこなかったのじゃ?」
「ここを護るため。それだけです」
「むむ……戦力となってもらうよりも、そのほうがよかったというのか?」
「せっかくウルクのために完成させた躯体を戦いに巻き込むよりは、余程」
「むう……」
「娘想いにも程があるな」
「なんといってくださっても結構。わたしにとっては、ウルクが一番ですから」
それでも、エベルへの復讐のためであれば、ウルクを利用し、犠牲にする覚悟さえ決められるのが、ミドガルドのミドガルドたる所以なのだろう。一種の狂人なのだ。その狂気の中には、凄絶なまでの愛情もまた含まれていて、だからこそ、彼はウルクの頭脳を絶対に守り抜くべく全力を尽くし、ウルクの新たな躯体を神々に護らせたのだろうが。
セツナは、ミドガルドのウルクへの愛情の深さにはなにもいえなかった。
その気持ちは、わからないではないからだ。
理解できるからこそ、なにもいえない。非難などできるはずもない。
愛にすべてを捧げているようなものだ。