第二千九百六十話 父と娘(三)
「だったら、最初からそういってくれればよかったのに」
セツナは、思わずつぶやいた。
ウルクの頭脳が無事なのは、素直に嬉しいことだったし、ミドガルドがウルクを守り抜いた事実には感動すら覚えるのだが、それはそれとして、解せないのだ。ウルクが無事であるという確証があれば、わざわざ思い悩むこともなく、苦しむこともなかった。少なくとも最初から全力を注ぐことができたのは間違いない。
「それもそうじゃな。ミドガルド、おぬし、ひとが悪いとよくいわれるじゃろ」
「覚悟の問題だよ」
「覚悟?」
「わたしは、万全の準備を整え、対策も施した。が、最悪の可能性を考えてもいた。エベルを討ち滅ぼすための魔王の杖の力が、こちらの想定した以上のものであった場合、ウルクの術式転写機構までも破壊されてしまうかもしれない。それについては、どれだけ対策を施しても、不安を拭い去れなかった。大いなる神エベルを滅ぼすには、どれだけの力が必要なのか。黒き矛がどれほどの力をもたらすのか、計算しようにも、方法がなかった。わたしには、窮虚躯体の頭部を最大限頑強にする以外に手の施しようがなかったのだ」
ミドガルドの淡々とした説明を聞きながら、セツナは、彼の後ろ姿を見つめる。魔晶灯に照らされる明るい通路の中、魔晶人形の歩調は決して軽々しくはなく、重厚感たっぷりだ。
「そのことをあなたにもわかっていてもらわなければならなかった。絶対に安全であるという確証がなければ、断言はできない。もちろん、わたしは手を尽くし、力の限り、やれるだけのことはやったという自負はあったが……」
確信は持てなかったのだ、と、彼は言外にいった。なるほど、それならばセツナに覚悟と決断を求めてきたのもわからなくはない。安全であると断言されたにも関わらず、ウルクの頭脳を巻き込み、損壊してしまうような結果になれば、セツナは、やりきれなさに襲われたことだろう。覚悟を決めてウルクを破壊するよりも、落胆と失望は大きくなるはずだ。
「それにだね、セツナ殿」
「はい」
「今回は、わたしと同志が全力を尽くしたからこそ、犠牲を最小限に抑えることができたが、この先、そういうわけにはいかなくなるかもしれないのだよ。あなたは、これからも神々と戦うのだろう? 魔王の使徒よ」
「魔王の使徒だからってわけじゃないですが……まあ、そうですね。ネア・ガンディアの指導者、獅子神皇を討たなくてはなりません。でなければ、イルス・ヴァレが滅亡するかもしれない」
答えながら、考えを改めていく。
これから先の戦いがより一層苛烈なものになっていくことは、目に見えている。皇神の中でも最高位の二大神は、それぞれ異なる終わりを迎えたが、まだまだ数多くの神が存在し、ネア・ガンディアに参加している。ネア・ガンディアの戦力そのものも強大であり、その筆頭として獅子神皇がいるのだ。
一切の犠牲を払わずに獅子神皇を討ち斃し、それで万々歳に終わるとは考えにくい。
もちろん、セツナはだれひとりとして失いたくないのだが、そう想ったからといって現実にできるわけではない。その事実は、いままさに思い知った。
ミドガルドのいうとおり、彼とその同志たちの力と配慮がなければ、ウルクを失っていたのは紛れもない現実なのだ。
「それで、わたしの元を訪れた、というわけか。魔晶人形や魔晶兵器を戦列に加えることで、戦力の増強を図ろうと」
「それもありますが、一番は、ウルクの躯体を修理してもらいたくて」
「なるほど。なにもかもちょうどよかった、ということだな」
「ちょうどよかった?」
「エベルの打倒とウルクの躯体の新調、そしてセツナ殿の戦力増強が同時に行えるのだ。一石二鳥どころか、一石で鳥類を全滅させるくらいのことでしょう」
「それは言い過ぎでは……」
「言い過ぎもなにも、事実だよ、セツナ殿」
ミドガルドは軽い口調で笑った。
「ん……ウルクの躯体の新調、というたな?」
「そういえば……新調?」
「そう、新調だよ」
こちらを振り返り、一瞥して肯定した。そして再び歩き出す。長い長い複雑な通路を迷うことなく進む様子からは、彼がこの迷宮のような工場施設を完全に把握しているのだろうと確信させる。
「弐號躯体は、壱號躯体に比べればあらゆる面で飛躍的に向上したといえる躯体だ。わたしの設計案からあの完成度に漕ぎ着けたのは、紛れもなく、魔晶技術研究所がこの世界でも最高峰の叡智の集まりだったことの証明だろう」
ミドガルドの声音に込められた様々な感情が、セツナの胸に響く。悔恨があり、哀しみがあり、怒りがあり、喜びもわずかに感じ取れる。
かつての魔晶技術研究所は、現在、魔晶城と名を変え、形を変えて、セツナたちを包み込んでいる。ここには、人間の研究員や開発者がひとりとしていなかった。いるのは、ミドガルド自身を含めた魔晶人形たちであり、魔晶兵器の数々だ。セツナたちが出会わなかっただけなのかもしれないが、その可能性は薄そうだった。ミドガルドが、これほどまでに絶賛する研究所職員を犠牲にするような方法を取るとは考えられない。
「しかし、それはあの当時の技術の到達点であり、あれから同志たちの協力を得て研究を進めたわたしからすれば、恐ろしく非効率的かつ不完全な代物としか言い様がない。躯体の完成度でいえば、量産型の十分の一にも満たないといいきっていい」
ミドガルドは、語る。極めて辛辣な言い方だが、それは結局、過去の自分自身に対する罵倒にほかならないのだろう。なぜならば、弐號躯体を考案したのは、ミドガルド自身なのだ。魔晶技術研究所のひとびとは、その設計案を元に弐號躯体を完成させたのであり、ミドガルドは、その開発力を素直に褒め称えている。
設計と開発は別のものということだろう。
「ちなみに量産型は、黒色魔晶石を主心核としているが、副心核として黄色魔晶石を使っている。その点でも、弐號躯体とは設計思想が違うのだ」
「副心核……ですか」
「魔晶人形のような複雑な構造の兵器を動かすには、莫大な波光を秘めた黒色魔晶石を心核とする必要がある。そのことは御存知かと思うが、これにはひとつ、重大な問題点があった。欠陥と言い換えてもいい」
「欠陥……」
「セツナじゃな」
「え? なんで俺……」
「特定波光か」
「あ……」
「御明察。さすがは竜王様ですな」
「ふふん。さあ、セツナ、わしを褒め称え、崇めよ」
「なんでだよ」
「おぬしにわからぬことを一瞬で理解したのじゃから、当然ではないか」
「意味がわからん」
「むう、なぜわからぬ」
「それはわたしにもわからないが、ともかく、特定波光を必要とする黒色魔晶石は、セツナ不在の世界で魔晶人形を起動することも敵わなかった、ということだな」
マユリ神の確認に、ミドガルドが静かにうなずいた。ミドガルドが量産型を開発し、製造したのは、セツナが地獄に旅立っている間のことであり、その期間中、この世界に特定波光は存在しなかった。故にウルクは機能停止状態となっていたのであり、ミドガルドが、量産型魔晶人形の開発に際し、黒色魔晶石以外の方法論を探すのは当然といえた。
「最初、黒色魔晶石に次ぐ波光量を誇る白色魔晶石を搭載することも検討したが、これは断念した」
「なぜじゃ?」
「白色魔晶石もまた、特定の波光に反応して、波光を生み出す。白色魔晶石に対応する特定波光は、神威――神の力だ。そして、白色魔晶石は、エベルが用意した量産型の心核に利用されていたのだよ」
ミドガルドが通路の途中で止まった。そこは小さな空間になっていて、その空間に両開きの扉があった。この敷地内で同じものを見たことがある。昇降機だ。
ミドガルドは、昇降機の扉を開くと、セツナたちを促した。




