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第二百九十五話 異変(一)

 ゼノルート=ライバーンは、その日、龍府からの返事が来ないことが気になりすぎたのか、いつもより早く目が覚めていた。

 寝室の窓の外には闇だけが横たわっており、まだ真夜中なのではないかと疑ったほどだが、手元の時計を見る限りでは午前四時を過ぎたところだった。数日前から曇り空が続いている。雨こそ降っていないのだが、だからこそ余計に質が悪いともいえるのかもしれない。夜は闇が深くなり、朝が来たこともわからないという有り様だ。もっとも、午前四時といえば、朝というには早すぎ、夜というには遅すぎるのだろうが。

 九月二十二日。

 ゼノルートは、魔晶灯の光の下、使用人が淹れてくれたお茶を飲んでいる。使用人は、彼の起床に気づき、慌てて飛び起きたようで、寝癖が酷かったのだが、彼は別に咎め立てたりはしなかった。いつもより早起きしてしまった自分が悪いのだ。通常なら、後二時間は夢の国にいるのがゼオルートという人間だった。

 彼の寝室は、ファブルネイア砦の天守にある。砦の最上層であり、窓から顔を出せば、砦内のみならず周辺の景色も一望できた。彼が天将位を授けられて最初にしたことは、天守の最上階の部屋を自室にすることであり、それまではほとんど使われていなかったその部屋を掃除するのに丸一日費やしたのは、いまでも鮮明に覚えている。

 広い部屋ではないし、最上階ということもあって不便極まりないのも間違いなかった。しかし、彼はこの部屋の窓から見渡す景色を一目で気に入ってしまったこともあり、ここを自室と定めたのだ。天守から見渡す群青の砦は、晴れた日にはあまりにあざやかで、ただ眺めているだけでも飽きなかったのだ。

 周囲の人間は彼の考えには反対だったようだが、ゼノルートの意向に逆らえるような気骨のある人間はひとりもいなかった。それは、ゼノルートが天将だからというのもあっただろうが、彼の背後には国主がいたからでもあるだろう。

 国主ミレルバスの息子であり、ライバーン家の次期当主。それがゼノルート=ライバーンの当時の肩書であり、そこに天将が加わったのだ。彼が天将として第二龍牙軍を率いることになったのは、まず間違いなくミレルバスの強い意志が働いている。ゼノルートは、そこに自分の実力は関与していないことを承知していた。だからこそ、第二龍牙軍こそ龍府を守護する最硬の盾とするべく、日夜努力を重ねてきてもいた。

 しかし、だ。

 戦況は日に日に悪化してきているという事実を前にすれば、そういう考えも息を潜めるというものだ。ただでさえ第二龍牙軍の兵数は半分にまで落ち込んでいるのだ。龍府からの援軍が来ないことには、落ち着いて考えることもできない。

 彼が預かるファブルネイア砦は、龍府の守護を司る五方防護陣の一角を成す青の砦だ。龍府の東に位置し、北にリバイエン、南にはヴリディアの砦がそれぞれ存在する。北と南の砦との連携によって、外敵からの侵攻を阻止するというのが、五方防護陣の本来の役目だ。

 五方防護陣の砦のいずれかが攻めこまれても、隣り合った砦から援軍を差し向けることで、敵軍の撃退を容易にするという。もっとも、五方防護陣がまともに機能するのかどうかはわからない。これまで五方防護陣の砦が攻撃されたことはなく、五方防護陣の連携がどれほど効果的なのかもわかっていないからだ。

 そして、五方防護陣でまともな戦力を有しているのは、ヴリディア砦だけという現状がある。ファブルネイア、リバイエン、ビューネル、ライバーンの各砦には通常千人の兵士が龍牙軍として配置されているのだが、それぞれ五百人ずつが新たに部隊を組織するためという理由で、強引に持って行かれてしまったのだ。

 ミリュウ=リバイエンら魔龍窟の武装召喚師を指揮官とする部隊であり、彼女らの部隊がガンディア軍に敗れ去ったという情報も、既にゼノルートの耳に飛び込んできている。絶望的な情勢だった。天将位を与えたのも、龍牙軍の兵士を率いさせるためだったのだろう。

 ヴリディア砦も例外ではなく、第四龍牙軍から五百人が新たな部隊のために差し出されている。その部隊は、聖将位を授けられたジナーヴィ=ライバーンを指揮官とするものであり、ジナーヴィはゼノルートの実弟だった。十年前、唐突に魔龍窟へと連れて行かれた弟が、地上に上がってくるなり自分より上の立場になったのだが、彼は特になにも感じなかった。生きていたということには驚いたものだが。

 その弟も、戦死した。

 だれもかれも死んでいく。

 バハンダールの守将であったカレギア=エステフも死んだ。ゼオルの翼将ケルル=クローバーも死んだといい、どうやらマルウェールの翼将ハーレン=ケノックも死んだらしい。ガンディアの進軍経路から外れていたルベンとスマアダは無事だといい、そういう意味ではライバーン砦とリバイエン砦の天将たちも生き延びられるのかもしれない。

 ゼノルートは、その限りではない。

 マルウェールを制圧したガンディアの軍勢が、ファナン街道ではなく、イクセル街道を進んでいるという情報がある。リバイエン砦を目指すのならばファナン街道を進むのが普通であり、わざわざイクセン街道を進んで遠回りするはずもないことを考えれば、ガンディア軍のつぎの目標がファブルネイアであるは一目瞭然だ。

 たった五百の兵力で、持ち堪えられるだろうか。

 不安が、彼の胸中を埋め尽くした。居ても立ってもいられず、龍府に応援を要請したのが昨日の昼だ。鳩を使ったのは、早馬だけでは心許なかったからだ。鳩のほうが馬より早く連絡が取れるとも思ったのだ。とはいえ、一日足らずで返答が届くわけもない。

 だが、ファブルネイア砦に迫っているのは、ガンディア軍だけではないのだ。

 圧倒的な速度で迫る軍勢の存在をファブルネイアのゼノルートたちが知ったのは、昨夜のことだ。物見の報告によれば、皇魔の集団がファブルネイアに向かって接近中であり、早ければ今日中に到着するかもしれないとのことだった。

 その報告は、ゼノルートたちに衝撃をもたらした。数千の皇魔が群れをなしてファブルネイアに向かって突き進んでくるというのだ。ガンディア軍の接近で膨れ上がった緊張感は、追い打ちのような皇魔の乱入によって、ちょっとしたことで張り裂けそうなほどになっていた。

 ゼノルートも、落ち着いてお茶を飲んでいる場合ではないのだが、かといって、夜明け前になにができるわけでもない。彼が騒いだところで、龍府からの援軍が突如として到着するようなことはないのだ。

 ゼノルートは席を立つと、窓に向かった。閉じていた窓を開く。前方に広がるのは、夜明け前とは思えないような暗闇だが、眼下には光がある。砦内の各所に設置された魔晶灯が淡い光を放っているからだ。時折、魔晶灯の光が陰るのは、巡回中の兵士のせいだろう。皇魔の群れが迫る中でも、いつもと同じように砦内を巡回している兵士たちの様子に、ゼノルートは自分もしっかりしなければならないと思うのだ。

 責を果たさなければならない。

 天将として、できうる限りのことをしなければならない。たとえ死の運命が待ち受けているのだとしても、だ。五方防護陣ファブルネイアを預かるものとして、敵の龍府への侵攻をなんとしてでも食い止めなくてはならない。

 龍府を守り通せばガンディアに逆転できるのか、という疑問はあるが、ないわけではあるまい。ガンディア軍の攻撃を持ち堪えている間に、アザークでも動かせばいい。ガンディアはこの戦いに全兵力を投入しているようなのだ。ガンディア本土の防衛は疎かであり、攻め取ろうと思えばいくらでも奪い取れるはずだ。アザークにその気さえあれば、ガンディオンさえも手中に収められるだろう。そうなれば、ガンディア軍とてザルワーンにばかり戦力を注いでいる状態ではいられなくなる。ガンディアが領土の奪還に戦力を割けば、ザルワーンの勝機が見えてくる。

 しかし、アザークがこちらの思惑通りに動いてくれるとは限らない。なにより、防ぐべき敵軍はガンディアだけではない。むしろ、ガンディアとは違う軍勢のほうが差し迫った恐怖といえる。

(グレイ=バルゼルグめ……)

 ゼノルートは、老将の鈍く輝く目を思い出して、口惜しさに低くうなった。ファブルネイアに迫っている皇魔の集団が、グレイ=バルゼルグの軍勢だということが明らかになったのは、昨夜の夜中のことだった。

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