第二千九百五十八話 父と娘(一)
「なんとも凄まじいものじゃのう」
ラグナがなんともいえないような声音でつぶやいたのは、倒壊した建物の瓦礫や残骸さえ跡形もなく吹き飛ばされた爆心地付近に降りてからのことだった。満天の星空から降りしきる月や星々の光が、魔晶城の広大な敷地を照らしていて、上空からでもその惨状ははっきりとわかったのだが、地上に降りれば、なおのこと確認できるというものだった。
爆心地は、もちろん、窮虚躯体の落下地点であり、そこを中心とする広範囲が半球形に抉れていた。建物の残骸や瓦礫はただ吹き飛ばされただけではなく、木っ端微塵に破壊され尽くし、その破壊の力によって地表が綺麗に抉り取られているのだ。爆心地の中心には穴が開いており、地下施設が露呈している。
周囲の惨状も凄まじい。魔王の鎧と黒き矛の同調による全力攻撃と、窮虚躯体に集中した莫大な量の波光、そしてエベルの膨大な神威がぶつかり合い、混ざり合い、反発し合って暴走し、荒れ狂ったのだ。巻き込まれた魔晶人形、魔晶兵器は無事では済まず、破壊の嵐によって原型を失ったものも少なくなかった。もはや再起不能といった状態の魔晶人形も数多い。
「なに、この程度想定の範囲内だ。魔晶城が跡形もなく吹き飛ぶ可能性も考えていたのだからな。むしろ最良の結果といえる」
ミドガルドが淡々とした態度で告げるのを横目に見て、セツナは、口を噤んだ。いいたいことは山ほどあれど、それをいったところでどうにもならない。彼に怒りをぶつけたところで、意味はない。行動したのはセツナであり、ウルクを破壊したのもまた、セツナだ。セツナの意思と力が、ウルクを破壊し、エベルを討滅した。お膳立てをしたのはミドガルドだが、こういう結果になったのは、セツナが手を下したからだ。その事実を忘れてはならないし、はき違えてもならない。
ここでエベルを滅ぼさなければ、すべてが無駄になったという圧倒的事実の前では、セツナの怒りや哀しみなど、なんの意味もなさない。
納得し、割り切り、飲み下す。
そうしなければならないことはわかっているというのに、感情はそれを許さない。
ウルクを傷つけ、損壊し、破壊し尽くした。
それが事実であり、現実であり、真実なのだ。
地上に降り立ち、爆心地のまっさらな大地を歩きながら、セツナは矛を握る手に力を込めた。力を込めすぎて腕の腱が悲鳴を上げるほどだったが、彼は黙殺した。我慢しているのだ。胸の内に渦巻く激情を制御し、召喚武装の力を抑え込む。ともすれば力を解き放ち、ミドガルドを攻撃しかねない。昏くどす黒い感情が、心の奥底で鎌首をもたげているのがわかる。
ミドガルドが悪いわけではない。そんなことはわかっている。わかっているのだが、しかし。
(ウルク……)
セツナが考えるのは、ウルクのことだ。もし、窮虚躯体にウルクの頭脳が移植されていなければ、ここまで思い悩むことはなかったのだろう。たとえ、ウルクと同じように心があり、人格がある魔晶人形だとしても、無関係な他人ならば、覚悟さえ決めれば、滅ぼすことも難しくはない。そうしなければならないのであれば、そうする――その程度の覚悟は、昔からあるのだ。
人間は勝手だ。
心の何処かで、線引きをする。
自分と関係の深い相手か、自分と無関係の相手か。自分の敵か。
その線引きが、心に多大な影響を与え、決断を鈍らせ、決意を曇らせる。
無関係の他人ならば殺せても、関係の深い人間ならば、躊躇う。
まったく身勝手で、傲慢な生き物だと思わざるを得ない。
窮虚躯体に宿っていた意識がウルクというだけで、ここまで思い悩み、後悔し続けている。ウルクでなければ、ここまで引き摺ることはなかったのだ。それだけは間違いない。
そういう身勝手さこそ人間なのだから、否定しようもなかった。
「この城は、奴を斃すための手段だった。奴を斃し、滅ぼすための手段であり、方法。それがこの魔晶城のすべて。ここで製造されるすべての兵器、人形も、なにもかもな」
「それにしては本格的ですね」
「奴をその気にさせるには、手を抜くわけにはいかなかった。奴は賢明で狡猾だ。わたしがわずかでも手を抜けば、そこになにかしらの企みを見出し、計画を見抜いたことだろう。だからこそ、わたしはすべてに血道を上げ、全身全霊を注がねばならなかった」
ミドガルドは、爆心地に開いた穴の中を覗き込んだ。地下施設へと通じる穴の中は、暗闇に閉ざされている。しかし、ミドガルドの目には、はっきりと内部構造が映っているようだった。
「もっとも力を注いだのは、もちろん、窮虚躯体の開発だよ」
彼はこちらを見て告げてくるなり、穴の中に身を放り出した。セツナたちが呼び止める間もなく、彼は地下施設の中に身を投じ、闇に消える。
「お、おい」
「追うか?」
「ええ」
セツナはうなずくと、すぐさまミドガルドの後に続き、爆心地に開いた大きな穴の中に飛び込んだ。召喚武装によって強化された視覚が暗闇に支配された施設内の様子を正確に把握し、脳裏に投影する。重力を制御し、ゆっくりと降下する中でわかったのは、爆心地では垂直方向に破壊の力が働いていたらしいということだ。神威と波光、魔力が生み出す力の柱を思い出す。破壊的な力の柱が空高く聳え立ったとき、どうやら地下深くまで貫いたのだろう。地下施設の床にも大穴が開いていおり、ミドガルドはさらにその地下へと飛び降りていったようだった。
セツナは、空を仰ぎ、ラグナとマユリ神が後に続いてくるのを確認すると、爆心地の大穴の中を降りていった。
穴は、かなり深いところまで続いており、三種の力の暴走がどれほど凄まじい破壊力を生み出したのかがわかるというものだった。
「どこまで続くのじゃ」
「さあな」
地下を降りるに連れて、床を貫く穴が小さくなっていくのはわかっていた。垂直方向に伸びた破壊の力も、分厚い施設の床を突き破るに連れて減衰していったのだろう。やがて、ミドガルドの頭部が視界に映り込み、彼の双眸が発する光が大きくへこんだ床を照らしている様が見えてくる。ミドガルドは屈み込んでいて、なにかをしているようだった。
「ミドガルドさん?」
「みたまえ。わたしの想定通りの結果となった」
「はい?」
セツナは、降り立つなり、彼がなにを言い出したのかと思った。すぐさまミドガルドの胸元を覗き込み、彼が抱えているものを目の当たりにして、驚愕する。
「ウルク!?」
セツナは思わず駆け寄り、ミドガルドの腕の中のそれをまじまじと見た。ミドガルドが大切そうに抱えるそれは、確かに窮虚躯体の頭部であり、ウルクの顔そのものだった。首から下は綺麗さっぱりなくなっているのだが、頭部だけは完璧に近い形で残っている。長く美しかった頭髪こそ、途中で焼き切れてしまっているが、致し方のないことだし、どうでもいいことだ。
「頭だけじゃが……」
「そうだけど、それでいいんだよ!」
セツナは、ラグナの怪訝な顔を振り返ったとき、目頭が熱くなるのを感じた。ウルクの頭部がまったくの無傷だったという事実は、セツナに凄まじい衝撃と感動をもたらしていたのだ。
「ふむ……?」
「なるほど、そういうことか」
「どういうことじゃ」
「術式転写機構は無事、ということですよね?」
「もちろん」
ミドガルドの反応は極めて淡々としたものだったが、セツナには、なぜだか、照れ隠ししているような、そんな反応に見えてしまった。
究極体の頑丈な頭部を見ると、どうしてもそう想えてしまう。
それが気のせいなのかどうかは、これからわかるだろう。