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第二千九百五十六話 窮極にして虚ろなるもの(十八)

 エベルを滅ぼすのは、いい。

 交渉の余地はなく、ここで滅ぼさなければこちらが滅ぼされる可能性がある。自分と自分の世界のことしか考えていない以上、この世界の敵と認定していい。斃すべき、滅ぼすべき敵なのだ。そこに一切の疑問はなかった。

 しかし、ウルクのこととなれば、話は別だ。

 窮虚躯体には、ウルクの頭脳が搭載されていることは、窮虚躯体の言動、ミドガルドの発言からも明らかだった。なぜウルクなのかはわからないが、ウルクでなければならない理由があり、故にミドガルドは窮虚躯体にウルクの頭脳を移植したのだろうが、だとすれば、納得のいく話ではない。

「ほかにどう理解するというのかな。エベルは、いま、窮虚躯体に封印された。その封印が内から破られることはないが、一時間持つかどうかもわからない代物でもある。制限時間があるのだ。制限時間以内にエベルを滅ぼさなければ、いまここにいるものすべてが殺されたとしてもおかしくはないのだよ」

「それはわかっています。でも、だからといって、ウルクを傷つけろというのは――」

「納得がいかない、と」

「ええ……!」

「あなたは随分とお優しい御方だ。ウルクが主君と定め、忠誠を誓い続けているのも、そういうところにあるのだろうな。だが、その甘さこそが命取りとなるということを、あなたは理解しているのか? それがあなた御自身の命だけならばまだしも、エベルを野放しにするということは、この世界に生きとし生けるものすべてにとっての禍根を残すこととなる。どのような犠牲を払ったとしても、滅ぼす以外に道はないのだよ」

「詭弁じゃな」

 ミドガルドの演説を遮るように告げたのは、ラグナだ。

「詭弁? なにをもって、そう仰る」

「おぬしは、己が復讐のため、エベルに報いを受けさせるため、すべてを擲ったというたではないか。世界のことなどどうでもよいのじゃろう? この世界がどうなろうと、この世に生きるものたちのことなど、どうだってよいのじゃ」

「……まあ、ここであなた方と口論をする意味も理由もないのですから、否定も肯定も致しますまい」

「ミドガルドさん」

「セツナ殿。何度も言いますが、ぐずぐずしている暇はありませんぞ。窮虚躯体は、エベルを拘束しているに過ぎないのですからな。このまま放っておけば、窮虚躯体と同期中の心核がつぎつぎと力を失い、ついには拘束さえも解かれ、エベルの独壇場となるでしょう。そうなれば、もはや打つ手はない。わたしも、ウルクも、あなたがたも滅ぼし尽くされるだけのこと」

「まあ、わしらにはいくらでも逃げようがあるが」

「ウルクを放って逃げられるか」

「そうじゃな。よくわかっておるではないか、セツナよ」

「ラグナ……」

「おぬしに選択肢などはない。ミドガルドのいうとおり、窮虚躯体ごとエベルを滅ぼす以外にはな」

「そうだな……ここまできた以上、ここで撤退するという選択肢はありえないな。エベルを野放しにすれば、必ずやわたしたちの前にいまより強大な敵となって立ちはだかるだろう。特にセツナ。おまえの場合は、彼奴に付け狙われることになる」

「そんなことはどうだっていいんだ」

 ミドガルドやラグナ、マユリ神の意見、考えはわからないことではない。頭では理解しているし、道理だとも思っている。エベルを野放しにはできない。そんなことをすれば、マユリ神のいうとおり、必ずやセツナたちの前に立ちはだかるだろうし、いま以上に厄介なことになるのは目に見えている。エベルは、もはや容赦はしまい。セツナの周囲のひとびとも無事では済むまい。

 斃さなければならない。

 滅ぼさなければならない。

 その好機が、いま、目の前にある。

 窮虚躯体という封印の器に拘束されたエベルを滅ぼすことは、決して難しくはあるまい。黒き矛がいっているのだ。いまならば可能だ、と。魔王の杖が断言し、眷属たちも肯定している。力が漲る。ありえないことに、ぼろぼろに壊されたままだった魔王の鎧が、いつの間にか完全な状態になっていた。力の充溢もそのためだ。完全武装・深化融合の復活により、あらゆる感覚が増強され、身体能力まで引き上げられている。

 それでも、矛を握る手に力を込められない。

(ウルクを傷つけるのか……俺は)

「セツナよ。おぬしはなにを迷っておるのじゃ。躯体は、ただの器に過ぎぬ。ウルクそのものを傷つけるわけではなかろう」

「それでも俺は……俺には……」

 そのとき、セツナの脳裏に過ぎったのは、ウルクと敵対したときの記憶だった。ナリアの使徒・人形遣いアーリウルによって“支配”されたウルクに対しても、セツナは積極的に攻撃できなかった。弐號躯体の強大な力が暴威となって吹き荒んでも、それでもセツナは、彼女を手にかけることができなかった。愛するものを手にかけることなど、自分の否定以外のなにものでもなかったのだ。その結果、苦境に立たされたとしても構わなかった。それが自分、セツナ=カミヤという人間だからだ。

 あのときは、ウルクが自分で自分を破壊したことで“支配”から脱却し、それによって事なきを得た。

 しかし、今回はそうはいかない。そんな奇跡が何度も起こるわけもない。ここでエベルを滅ぼさなければ、エベルによって多くの命が奪われる未来が待ち受けている。

「セツナ」

 不意に聞こえた声にセツナははっと顔を上げた。

「ウルク……?」

 窮虚躯体は、一切動いてはいない。虚空を見遣る双眸からも光は漏れず、まるで起動さえしていないかのようですらあった。

「なにも躊躇することはありません。エベルは、あなたの命を奪おうとする敵なのです。その敵を斃すための力になれるのであれば、下僕参号としてこれ以上の名誉はありません」

 ウルクの声は、確かに聞こえた。ラグナたちの表情からも、セツナが都合のいい幻聴を聞いているわけではないことは明らかだ。だれもが驚いている。

「常々、わたしは思い悩んでいました。人形遣いに操られ、あなたと敵対したこと。そのことばかりが、わたしの中に悔いとして在り続けたのです」

「そんなこと……!」

「気にするな、と、あなたはいう。しかし、わたしは、あなたの下僕としての務めを果たせなかったことへの、忠誠の誓いを踏みにじり、裏切ったことへの怒りと哀しみ、苦しみばかりがありました。わたしはあなたの力になりたかった。なりたくて、なりたくて、たまらなかった。なのに……」

「もういい、もういいんだ、ウルク。おまえはよくやってくれている。いつだって、おまえは俺の力になってくれているじゃないか」

「いいえ、セツナ。まだ、足りません」

「なにが足りないっていうんだ!」

「あなたへの恩返しです、セツナ」

「恩返し……!?」

「わたしは、あなたと出逢い、あなたと触れ合う中で、自分を知り、自分を見つけることができたのです。それまでのわたしは、ただの人形でした。それがいまは……」

 身動きひとつ取れない窮虚躯体から漏れるウルクの声だけは、はっきりと聞こえていた。セツナは、窮虚躯体の側に屈み込むと、その手に触れた。反応などあろうはずもないが、それでも、そうせずにはいられなかったのだ。ウルクに対する様々な感情が溢れて仕方がなかった。

「だから、あなたにはまだまだ恩返しをしたいのです」

「だったら、こんなところで終わるわけにはいかないよな」

「はい。しかし、窮虚躯体に残された時間は、もうほとんどありません」

「なんだって?」

「なんだと? それは本当なのかね、ウルク」

 ミドガルドにとっても、ウルクの発言は予想だにしないものだったのだろう。彼は、めずらしく慌てた素振りを見せた。

「はい、ミドガルド。エベルが封印を破るために躍起になっています。その力を抑え込むため、想定以上の出力を必要とし、同期中の心核の力を大量に消耗しているのです」

「もって、どれくらいだ?」

「十分持つかどうか」

「そんな……!?」

「それほどとは……さすがは大神エベルというべきかな」

「感心しておる場合か」

「だが、わたしにはもはやできることはないのだよ。新たに魔晶兵器を製造するには、部材も時間も足りない。これ以上、時間を引き延ばすことはできない。セツナ殿」

「セツナ」

 ミドガルドとウルクに立て続けに名を呼ばれ、セツナは、憮然とした。

 


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