第二千九百五十五話 窮極にして虚ろなるもの(十七)
「魔晶城の完成後、エベルがわたしを殺し、この城を乗っ取ることはわかりきっていた。エベルは、ルベレス・レイグナス=ディールを依り代とし、ルベレスの感情に大きく左右されているところがあったからな。ルベレスにしてみれば、わたしを許すことなどできないということは、わたし自身、理解できることでもあるのだ」
神聖ディール王国の王にして、聖王ルベレス・レイグナス=ディール。会ったことも見たこともないはずなのに、なぜかその外見の記憶だけは存在するのが不思議だが、それ以上のことはよく知らない人物だった。エベルがディールの神であるということが明らかとなり、ナリアがザイオン帝国の歴代皇帝に取り付くなり干渉するなりしていたことがわかったことで、エベルがディールの歴代国王と深い関わりを持っているだろうことは想像に難くなかったのだ。エベルの依り代となっていたとして、なんら不思議ではない。
そして、エベルがルベレスになんらかの配慮をしたとしてもおかしくはなかった。もっとも、そのルベレスも、依り代としての役割を果たせなかったからなのか、窮虚躯体を乗っ取った直後のエベルによって抹消されてしまったが。
「故にわたしは、わたしが殺されたあとのことを考え、専用の人形を作り、隠した。エベルがもし、魔晶城の設備を用いず、魔晶人形や魔晶兵器を製造しないようなことがあれば、窮虚躯体が力を発揮できず、計画はすべて水泡に帰す。失敗を避けるためには、大量の心核が必要だったのだ。もっとも、その懸念は、エベルが魔晶兵器たちを大量生産してくれたことで解消されたのだが」
「強制同期……確かに凄まじい力じゃったのう」
「故にエベルは窮虚躯体を依り代にすることを思いついた。脆弱な人間の肉体よりも、頑強にして堅固、強力無比な魔晶人形、その最高傑作ともいうべき窮虚躯体を乗っ取ることができれば、自身の力はいや増し、目的を達成することができると判断したからだ」
「そうなるように仕向けた……ってことか」
「そうだとも」
ミドガルドが冷ややかに肯定する。
そのまなざしの先に横たわる窮虚躯体は、もはや魔晶の光、波光を発することもなければ、神威をわずかにさえ漏らしてはいなかった。まるで、ただの金属製の人形が捨て置かれているような、そんな印象さえ受ける。だが、エベルは間違いなく躯体の中にいるはずだった。
「わたしたちからしてみれば、エベルの力は絶対的と言い換えてもいい。それほどの力を持つものにとっても、数千以上の心核と強制同期した窮虚躯体の力は魅力的に映ることは、想像に難くない。神々は力を欲する。力を欲し、聖皇と契約を結び、この世界に馳せ参じた。五百年前の話だ。その契約を履行することで、神々はさらなる力を得るはずだった。力を得、本来在るべき世界に帰り着き、その力を存分に振るう――それが皇神の望みであり、召喚に応じた理由だったのだ」
しかし、その望みは叶わなかったことは、この場にいるだれもがよく知ることだ。聖皇ミエンディアが討たれ、契約が神々をこの世界に拘束した。それでもなお力を求めるのは、セツナたちが考えた通りに違いない。聖皇の復活がならぬのであれば、この世界そのものを滅ぼし、楔を断ち切ることで自由を得るのだ。そのためにはもっと大きな力が必要であり、その足がかりとして窮虚躯体を依り代にするという判断は、決しておかしなものではない。
強制同期中の窮虚躯体は、エベルの全力を圧倒的に上回る出力を誇っていた。完全武装状態のセツナが割り込む隙もなければ、エベルが手も足も出なかったのだ。
「故にエベルが窮虚躯体を依り代とするべく乗り移るだろうと踏んだか」
「事実、その通りになった」
ミドガルドの言葉にマユリ神が渋い顔をしたのは、窮虚躯体に乗り移ったエベルの絶大な力を目の当たりにしたからだろうし、ウルクナクト号を破壊されてしまったからかもしれない。セツナにしても、そうだった。危うくエベルに殺されかけたという事実は、忘れようがなかった。
「そして、わたしの計画はいままさに結実した。見たまえ。エベルはいま、窮極にして虚ろなる器に囚われている」
「窮極にして虚ろなる……器?」
「窮虚躯体は、ただの躯体ではない。神を拘束し、封印するための器なのだよ」
「なんだって!?」
「ぬぁんじゃと!?」
「ほう……」
「先程まで散々暴れ回っていたエベルがいまなぜこうもおとなしくなっているのか、不思議に思わないかね」
「そりゃあまあ……」
窮虚躯体に秘められた機能なりなんなりが作用しているのだろう、という以外には想像もつかないが、それがどういったものなのかは、まったく考えられなかった。
「窮虚躯体は、ウルクの頭脳が制御している状態では、正常に機能するように設定されている。通常稼働時も、強制同期時も、ウルクという人格によって制御されている間は、躯体のあらゆる機能が完璧にして完全無欠に応答する。が、頭脳がウルクではなくなった瞬間、躯体はその機能を次第に制限していくようになっている。そして、出力中のすべての波光が反転し、ある種の障壁を構築する」
「障壁?」
「躯体の中に入り込んだものをどこへも逃がさないための障壁。檻のようなものだと思ってくれていい。その檻は、強制同期によって得られる力のすべてが注ぎ込まれることで形成されるものであり、窮虚躯体に力負けするようなものが打ち破れる代物ではないのだ」
「つまり、エベルはもう二度とこの中から出てこれない、ということ?」
「そうではないよ、セツナ伯。強制同期が永久無限に持続するというのであれば話は別だが、同期中の心核――黒色魔晶石が力尽きれば、同期が途切れるのは必然。当然、同期中の心核の数が少なくなれば窮虚躯体の力も弱まり、いずれはエベルの拘束も解かれることになる」
ミドガルドの説明を聞きながら、セツナは窮虚躯体を見つめた。ウルクの顔をした魔晶人形の躯体、その中にエベルを閉じ込めることこそ、ミドガルドの策であり、しかし、それで終わりではないということだ。黒色魔晶石には膨大な波光が詰まっていて、だからこそ魔晶人形のような複雑な戦闘兵器の動力に相応しいという話だが、だからといって限界がないわけではないのだ。
「では、この封印はどれほど保つ?」
「もって一時間、といったところだろう。強制同期は、同期中の心核から黒色魔晶石の力を限りなく引き出すものでな。そのおかげで窮虚躯体はエベルをも圧倒する力を発揮し得たのだが、それが仇となり、封印時間は短くなってしまったのだよ」
「それでは封印というよりは拘束じゃな」
「それは否定せぬよ。だが、十分だろう。エベルはもはやどこへも逃れようがないのだ」
「ん?」
「さあ、セツナ伯。あなたの出番だ」
「俺の……?」
「神を滅ぼす魔王の杖の使い手は、あなた以外のだれがいるというのです」
ミドガルドは、セツナの顔を覗き込むようにして、いった。
「エベルはただでさえ消耗し、いまや丸裸も同然だ。黒き矛の、魔王の杖の力ならば、滅ぼすことも難しくはないでしょう」
それは、その通りなのかもしれない。
エベルは、消耗し、窮虚躯体に敵わないと判断したからこそ、躯体を乗っ取ったのだ。窮虚躯体との戦闘で消耗した力が回復しきっていないいまならば、可能かもしれない。窮虚躯体の力がエベルの力を抑え込んでいるいまならば。だが、しかし、セツナの脳裏にはウルクの声が焼き付いて離れない。
「ちょっと待ってください」
「なにか疑問でも?」
「ウルクごと、エベルを滅ぼせというんですか?」
セツナは、ミドガルドの目を見据えた。