第二千九百四十九話 窮極にして虚ろなるもの(十一)
閃光が視界を塗り潰したのも束の間、物凄まじい激突音が耳朶に響いた。
まるで大気が爆発したかのような轟音に目を向ければ、光の向こう側で衝突するふたつの存在を確認する。窮虚躯体ウルクと黒陽神エベルだ。激突の際、圧倒的勝利をもぎ取ったのはウルクであり、ウルクの突貫によってエベルは肉体を千々に粉砕されている。
エベルによる包囲爆撃は失敗に終わったのだ。
結界の意味を反転させ、地上の魔晶兵器群を全滅させるという考えそのものは悪くはなかった。だが、残念ながら、その結界に全力を注げない時点で、成功率は限りなく低かったのだ。もし、エベルがすべての力を結界攻撃に注ぎ込むことができていれば、セツナたちの合力によって生み出された防御結界は打ち破られ、地上の魔晶兵器群は全滅していた可能性は高い。もちろん、セツナたちの損傷も生半可なものではなかっただろう。ただし、その場合は、エベルは力を消耗しすぎることとなり、セツナに隙を見せることになるかもしれないし、そうでなくとも、セツナたちが撤退する好機が生まれたのは間違いない。
エベルとしては、結界攻撃に全力を注ぐことはできなかったのだ。
悪手とはいえないが、妙手ともいえない。
結果的にエベルは、魔晶城を覆っていた結界をみずから手放してしまったことになる。
視界を覆っていた光が消えると、エベルが複数体に分身していた。いずれも黒い炎の輪を背負っており、どれが本体なのかまったくわからない状況だった。それらエベルの分身たちは、ウルクに相対するのではなく、一斉に地上を目指した。地上の魔晶兵器群を破壊し尽くす方が先決であると判断したのだろうが、その瞬間、莫大な神威の光が地上と上空の間を駆け抜け、エベルたちを上空に押し返す。
「なんじゃ!?」
「マユリ様だよ」
セツナには、熱源をみずともわかっていた。ウルクナクト号の神威砲による照射以外のなにものでもない。魔晶城の結界がなくなったことで状況を瞬時に把握したマユリ神が、エベルを牽制してくれたのだ。そしてさらに二度に渡る牽制射撃の後、ウルクナクト号そのもので魔晶城に突入してくると、地上を強力な防御結界で包み込んだ。エベルは、分身による地上制圧を諦めなければならなくなった。結界は、マユリ神のものだけではない。セツナたちも未だ結界を構築したままなのだ。全力の本体ならばまだしも、分身した状態で地上を多う結界を破るのは、困難と判断したのだ。そのため、エベルは分身と合一し、そこにウルクからの跳び蹴りを食らって上半身を消し飛ばされた。
「さすがはマユリ様」
セツナは、頭上に浮かぶウルクナクト号の姿に神々しささえ覚えながら、感嘆の声を上げた。船体から伸びる光の翼の数々は、飛翔船の美しさを際立たせている。
『状況はどうなっている? セツナ』
「見たままですよ」
『見たままではわからんぞ』
「説明は後です。いまは地上の魔晶兵器たちを護り、ウルクを見守るしかないんです」
『あれがウルク……なのか?』
「ええ、あれがウルクなんです」
信じがたいことだが、ウルクは、ウルクだった。エベルによって破壊されたのは、弐號躯体の動力部だけであり、壱號躯体から弐號躯体に移された彼女の頭脳とでもいうべき術式転写機構は無事だったのだろう。ミドガルドは、それを窮虚躯体に移植した。
ミドガルドがなぜ、ウルクの頭脳を窮虚躯体に移植することに拘ったのかは、よくわからない。エベルを打倒することが目的であれば、なにもウルクに拘る必要はないのではないか。なんなら、ミドガルドの頭脳でも問題はないはずだ。つまり、ミドガルドが窮虚躯体の頭脳としてウルクを選んだことには、なにがしかの理由があるはずであり、その理由についてはいまのところ想像するほかない。
もちろん、そんなことを想像している暇はないのだが。
エベルがウルクとの距離を取りながら、船を見下ろした。両腕から噴き出す炎が巨大な腕を作り上げ、指先にまばゆいばかりの火球を生み出す。火球は閃光を放ちながらウルクナクト号に迫ったが、船に到達する前にセツナが四つを切り裂き、残り六つをラグナやフェイルリングたちが処理した。爆風が船の結界を撫でていく。
「異邦の神よ!」
エベルが吼え、さらにつぎつぎと火球を生み出しては発射してくる。
「なぜわたしの邪魔をする! 在るべき世界に還りたくはないのか!」
『おまえに助力すれば、元の世界に還られる保証がどこにある。それよりも、わたしはセツナにこそ希望を見出すよ』
「なぜだ? 彼は魔王の使徒だろう。絶望の権化、昏き闇の化身たる彼に希望を見出すなど、あり得ない!」
雨霰と降り注ぐ火球の尽くを処理したセツナたちに最終的に襲いかかってきたのは、超特大の火球であり、それはさながら小さな太陽のような輝きを発しながら、猛然と突っ込んできた。セツナは思いつくままに黒き矛の柄頭を迫り来る太陽に向かって掲げて見せる。柄頭に嵌め込まれた宝玉が光を発し、特大火球を包み込む。そしてそのまま、特大火球は超高熱の奔流となって宝玉の中へと吸い込まれていった。黒き矛の能力のひとつ、火炎吸収。
「なんじゃ」
ラグナがどこか呆れたような表情でこちらを見た。
「それができるなら、最初からそうすればよかったのじゃ」
「いやだってさ、神様相手に効果があるかなんて、わかんねえだろ」
「それもそうじゃが」
ラグナはまだなにかいい足りないようだったが、そんな場合ではないと判断したようだった。エベルは、未だ健在であり、油断している場合ではないのだ。とはいえ、セツナには、エベルの火炎攻撃への対処法がある。神威の炎さえも吸収してしまえることには驚いたものの、おかげでエベルの炎は脅威ではなくなったといっていい。
エベルが本物と炎、四本の腕をわななかせた。
「絶望の化身めが!」
「絶望絶望うるせえっての」
「そうです。勝手なことばかりいわないでください」
セツナとエベルの間に割り込んできたのは、ウルクだ。彼女はこちらを一瞥すると、灰色どころか銀色に輝く髪を靡かせ、飛行翼を広げて見せた。波光が放射状に拡散し、光の障壁となってセツナたちを包み込むかのようだった。
「セツナは希望です。わたしの。わたしたちの」
「黙れ人形風情が!」
「確かにわたしは人形です」
ウルクの抑揚のない声が強く響き渡る。
「では、その人形に手も足もでないあなたは、なんなのです?」
冷静極まりない声は、挑発というよりは純粋な疑問そのもののようであり、それ故にエベルの自尊心を傷つけるには十分過ぎるほどの切れ味を持っていたようだった。エベルが全身から炎を噴き出しながら、ウルクを睨み付ける。燃え盛る炎が翼を作り、冠を形成し、衣を生成していく。黒い炎を全身に纏い、巨大化していくエベルの姿からは、限りない怒りを感じるだけだ。その怒りは、セツナとウルク、ミドガルドに向けられているのだろうが、しかし、恐れる必要はなかった。
「さすがはミドガルドの娘よな」
「それって褒めてる?」
「後輩のことを褒めずして、なにを褒めるというのかの」
「……だそうです」
「わたしとしては、最高級の褒め言葉だと想うよ」
「そうですか」
ラグナとミドガルドのどこまで本気かわからない発言を聞きながら、セツナは、ウルクを注視していた。その後ろ姿からは絶対的な自信を感じ取ることができる。セツナの足手まといにも邪魔にもならないという確信が、ウルクを輝かせているようだった。莫大な波光は、ウルクの姿をより美しく飾り立て、セツナはそのまばゆさに目を細めるしかない。
「見ていてください、セツナ。これがわたしの力です」
ウルクが告げ、光となった。