第二百九十四話 憎しみの根底
「で、さっきはなんの話だったの?」
ミリュウは子犬を大事そうに抱えながら尋ねてくる。セツナは彼女の諦めの悪さに根負けする形で口を開いた。
「……ビューネル砦だよ」
「ビューネル砦がどうかした? あー……そういうことね」
「なに?」
「ランカイン=ビューネルでしょ」
「な……!」
セツナは、ミリュウの微笑みに射抜かれるようにして硬直した。一瞬、頭の中が真っ白になる。驚いたまま固まっていると、彼女はいたずらっぽく笑いかけてきた。
「どうしてあたしがそう思ったのか不思議なんでしょ?」
「あ、ああ」
ミリュウの笑顔のあざやかさに意識を奪われかけたのは、きっと、思考が空白になりかけていたからだろう。彼女にはわからないはずの物事をずばりと言い当てられたのだ。セツナは、彼女が心を読んだのではないかと疑ったりもしたが、彼女がそんな能力を有していたのなら、あのとき、迂闊にも追いかけてきたりはしなかったはずだった。
「わたしは、あなたの意識に触れて、あなたの記憶を見たわ。あなたが……そう、この世界に辿り着いて、黒き矛を得て、戦いに明け暮れるようになったのも知ってしまったのよ」
「え!?」
「どういうことよ!?」
ミリュウの告白は、セツナだけでなくファリアにも衝撃を与えたようだった。彼女も驚いた顔でミリュウを見ている。セツナはセツナで、彼女が自分の正体を知っていることに驚きを隠せなかったし、記憶を見たという話も初耳だった。そもそも、記憶を見たとはどういうことなのかがわからない。しかし、彼女がセツナの考えを言い当てたのは事実であり、だからこそ彼は混乱するのだ。
「どうもこうもないわよ。あたしはただセツナの記憶を垣間見ただけ。覗こうとして覗いたわけじゃないから……たぶん、黒き矛の複製品を使っていた影響でしょうね。いったでしょう? あたしは黒き矛を制御できなかったって。その結果、あたしは意識を失い、すべてを失うところだった」
「黒き矛の力……」
「きっとね。それ以外には考えられないもの」
ミリュウの顔を見ながら、セツナは息を吐いた。カオスブリンガーに秘められた力の大きさについてはミリュウに力説されたことが記憶に新しい。彼女ほどの武装召喚師でさえ制御できない、圧倒的な力を内包した召喚武装。その力の強大さ故に意識を失ったミリュウ。その力の膨大さを認識しながらも意識を保ったセツナ。セツナが黒き矛の恐ろしさを再認識できたのは、彼女が複製品のちからを引き出したからであり、二本の黒き矛を手にしたからだった。いつものように振り回すだけでは、カオスブリンガーの力を再確認するようなことはなかっただろう。
「それにしても、ランカインを見たときはびっくりしたわ。ランカイン=ビューネルといえば、あたしと同じ五竜氏族に連なる人間で、あたしたちよりも先に魔龍窟に放り込まれた男なのよ。彼はあたしたちに魔龍窟での生き方を教えてくれはしたけれど、でも、彼はあたしたちの敵で在り続けたわ。数年前、地上に上がった彼の消息を知ったのは、つい最近のことだけどね」
そういえば、とセツナは思い出す。ランカイン=ビューネルは魔龍窟出身の武装召喚師だという話を聞いた覚えがあった。とはいえ、セツナは、魔龍窟がザルワーンにおける武装召喚師育成機関という以外の情報はほとんど持っていないのだが。ランカインという凶悪な人格を形成したのは魔龍窟なのか、それとも、ザルワーンという国そのものなのか。ふと、気になった。
「ガンディアの小さな町を焼いて、捕まって、刑死したって話だったけど、まさか生きていたなんて。それも、ガンディアの狗に成り下がって、母国に噛み付いているなんて考えられるわけないわよね」
「いっておくけれど、ランカインが生存していることについては他言無用よ」
ファリアが声を潜めて警告すると、ミリュウは冷ややかな目をした。
「もし、漏らしてしまったら?」
「あなたの立場が悪くなるだけよ。いえ、ランカインの命も危うくなるかもしれないわね」
ファリアはそういったが、もちろん、それだけではないだろう。レオンガンドの責任問題にすら発展するかもしれない。ランカインといえば、カラン大火の犯人であり、五百余名にも及ぶカランの住人を焼き殺した大量殺戮者なのだ。ガンディアは、彼を極刑に処したと公言しており、国民感情を考えれば、それこそが必然だっただろう。国民を無差別に殺した人間を有能だからという理由で生かし、重用するのは、いかに王家に対し忠実なガンディア国民といえども、受け入れがたいものがあるに違いない。反発が起きるだけならばまだいい。それだけではすまなくなる可能性もある。特に、レオンガンドは内に敵を抱えているのだ。
(太后派……か)
セツナは、姿の見えない敵のことを考え、うんざりした。レオンガンドはただひとえにガンディアの将来を考えて行動している。戦争を起こすのも、放っておけば、攻めこまれるだけだからだ。現に、一時とはいえバルサー要塞が奪われたことがある。それから約半年、ログナーがガンディア領への侵攻を躊躇していたのは、ナーレスらの暗躍によるものである。もしレオンガンドたちがそのような手を打っていなければ、ガンディアはとっくに歴史の闇に埋没していたかもしれないのだ。そんな現状から脱却するために、レオンガンドは軍を動かした。バルサー要塞を奪還し、ログナーを平定、そしていま、ザルワーンとの戦争の最中だ。しかも、勝利は目前だ。ガンディアが勢いに乗っていられるのは、レオンガンドの能動的な政策のおかげではないのか。
太后派のような現実を見ていない連中に足を引っ張られるわけにはいかない。
もちろん、セツナだってランカインの起用には否定的だったし、レオンガンドに相談されれば真っ向から反対したかもしれない。セツナはランカインを殺人嗜好者として認識していたし、それ以上の感情はなかった。ログナー潜入時には、彼のおかげで助かったこともあったし、彼の言葉に目が覚めたことも事実として存在する。だが、それはそれだ。セツナは、ランカインだけは認められなかった。
ミリュウとは、違う。
「ランカインのことなんてどうだっていいけど、あたしはいまより立場が悪くなるのは嫌だな」
「それなら、口を閉ざすことね」
「わかってるわよ。そもそも、あたしがザルワーンのために動く義理なんてないもの」
「ザルワーン人なのに?」
「あたしはこの国を愛してもいないわよ」
「あなた……本気でいっているの?」
「そうよ。だからあなたたちに提案したんじゃない。龍府の潜入に付き合ってあげるって」
「それはそうだけど……でも、変よ」
「そう? あたしの中では別に矛盾した感情でもないのよ。説明するのも面倒なほどね」
彼女は、静かに息を吐いた。彼女の膝の上で丸くなっている子犬が、片耳だけを立てる。ミリュウの吐息が気になったのだろう。
「あたしはオリアン=リバイエンの娘として生を受け、まるで姫君のように育てられたわ。五竜氏族はザルワーンの支配階級。その恩恵を全身で受け止めて、成長したってわけ。そのままなにも変わらなければ、あたしが戦場に立つなんていうことはなかった。セツナと黒き矛をぶつけあうことも、こうして捕虜になっていることもなかったのよ。きっと、龍府の中で膝を抱えて震えていたんじゃないかしら。国はなにをやっているのよ、ってね」
ミリュウには、その可能性の中の自分がひどく滑稽なものに思えたのだろう。彼女は虚ろな笑みを浮かべて、消した。
「でも、そうはならなかった。あたしはセツナを殺そうとして失敗し、こうして縄に繋がれてしまったわ。どうしてこうなったのかしら。なにをどう間違えたら、こんな無残な状況に陥るのかしらね」
彼女はふたたび嘆息すると、子犬を撫でていた手を止めた。
「十年前、当時の国主マーシアスの下で、魔龍窟の動きが活発になったのよ。なかなか成果の上がらない魔龍窟に業を煮やしたんでしょうね。マーシアスは、魔龍窟に強力な武装召喚師を取り揃えることを厳命したの。魔龍窟は焦り、とにかく人数を集めたわ。五竜氏族に連なる家系の子女が、魔龍窟に投入されていった。あたしもそのひとりだし、ザインもクルードもそうやって集められた人間のひとりよ」
「五竜氏族なのに?」
「不思議よね。武装召喚師を育成するだけなら、市井の人間でも良かったはずよ。でも、魔龍窟に集められたのは五竜氏族に連なるものだけ。選民意識の現れでしょうね。五竜氏族だけが龍になることができるっていう、愚かな考えがザルワーンという国の根底にあるのよ。そのせいであたしたちはやりたくもない殺し合いをさせられたわ。身内同士でね。そして、生き残るためには、武装召喚術を覚えるしかなかったの」
ミリュウの独白に、セツナは言葉もなかった。想像するよりずっと凄惨な人生を歩んできたのだ。いや、想像などできるはずもない。魔龍窟。ランカインが自棄になってカラン大火を起こしたのも、ある意味では当然だったのかもしれない。だからといって彼を認めることはできないし、彼の罪は帳消しにできるものではない。
それはミリュウとて同じことだ。ミリュウがガンディア軍の兵士を殺した事実は消えない。だが、それが戦争なのだと割り切ることもできる。いや、割りきって考えるべきなのだろう。ランカインの凶行とミリュウの戦闘行為による殺人は同じであって、別のものだ。
欺瞞に過ぎないとはわかっていても、そう考えなくてはならないのだ。でなければ、セツナはどうなるのか。先の戦いで、不必要なほどの敵兵を殺したセツナは、ランカイン以上の大量殺人者になってしまうだろう。
(違う。そうじゃない)
セツナは、胸中で頭を振る。自分がランカイン以上の殺戮者になのは、既にわかりきっていることだ。彼以上にひとを殺し、皇魔を殺してきた。そうすることで勝利を掴みとってきたのだ。問題はそこではない。
セツナが我慢ならないのは、ランカインと同類になることだ。戦闘を愉しみ、殺戮を喜ぶ、悪鬼のような存在には堕ちたくなかった。
「あたしが国を憎むのは必然だと思わない?」
ミリュウが、自嘲気味に笑いかけてきたが、セツナは笑えなかった。彼女がセツナたちに協力的な行動を取っていることへの答えとしては納得のできるものではあったのだが。
彼女がいまここにいる理由を笑うことなど、できるはずもなかったのだ。