第二千九百四十六話 窮極にして虚ろなるもの(八)
「窮虚躯体は、エベル打倒の研究成果であり、およそわたしが開発しうる窮極の躯体だ。弐號躯体とは設計思想からして異なるものであり、故に、量産は不可能であり、これ以上の改良も不可能だろう。それができるとすれば、神の御業をも越えなければならない。あれは、人間の知恵と技術、神の御業の結晶なのだ」
「神の御業……」
「いっただろう、わたしには同志がいると。その同志こそ、なにを隠そう、神々なのだ」
「神々が、あなたに協力したのか? エベルを斃すために?」
「そうだ、エベルを斃す、そのためだけにだ」
ミドガルドの視線の先で、エベルとウルクが激突している。エベルは漆黒の炎を際限なく放出してはウルクに襲いかかるのだが、光となったウルクを捉えることは、不可能に近い。セツナですら、いまのウルクを掴まえることはできまい。光は、一瞬に満たない時間で戦場を駆け巡っている。そして、その数瞬でエベルをずたずたに引き裂き、エベルはそのたびに肉体を復元させた。
一方的だった。
「彼ら皇神たちは、エベルとナリアという二大神に辛酸を舐めさせられた。エベルとナリアさえいなければ、神々は、合一などという手段を取る必要もなく、至高神ヴァシュタラを五百年もの長きに渡って演じる必要もなかった。あるがままに在り続けることができたと、そう考えていたのだ」
「勝手な話よな。聖皇の召喚に応じたは、己らじゃろうに」
「だが、おかげでわたしは大いに助かったよ。神々の協力を得、魔晶技術はさらなる段階へと至った。奴の与り知らぬところでね」
ミドガルドは皮肉に笑ったようだった。しかし、魔晶人形の横顔に変化はない。
「奴は、全知全能を気取っているが、結局のところ、神の一柱に過ぎぬ。全知たり得ず、全能たり得ず、故にこのイルス・ヴァレという檻に閉じ込められたまま、在るべき世界への帰還を望み、荒れ狂う。そして、わたしが神々と協力関係を結んだことにすら気づかなかった。無知無能の極みよな」
「その神々との協力関係の結果が、あのウルクなのか」
「そうだよ、セツナ伯。あれがわたしと神々が、エベルへの恨みを晴らすために作り上げた対黒陽神決戦兵器・窮虚躯体なのだ」
不意に、黒い炎が降り注いできたのは、エベルが先にミドガルドを消し去ろうとしたからなのだろうが、その炎はセツナとラグナによって吹き飛んでいる。
「エベルよ。おまえがわたしを殺したのち、この魔晶城を支配下に組み込むことはわかりきっていた。この魔晶城の兵器工場を存分に活用し、来たるべき将来のための戦力を充実させるつもりだったのだろう。いや、セツナ伯を殺すためだけ、かな。いずれにせよ、おまえがわたしの思い通りに動いてくれて助かったよ」
ミドガルドが嘲笑うように告げる。
「おかげで、おまえは追い詰められた」
「なにを……!」
「おまえの考え無しの行動の数々が、いまやおまえを窮地に追いやっているといっているのだ」
「窮地だと」
「窮地ではないか。おまえは、もはやウルクに敗れ去るのみだ」
「ぬけぬけと……!」
エベルが怒気を発し、全身を黒い炎で包み込んだ。そこへ無数の光弾が直撃し、小爆発が連続的に発生する。エベルが炎を噴き出しながら吹き飛んでいく様は、不様としかいいようがない。
「とはいえ……」
突如、ミドガルドは冷静になった。それまでエベルを煽りに煽っていたのが嘘のように、彼は続ける。
「ウルクが神を斃すのは、理論上、不可能だ。神の力の源は、信仰であり、祈りの力だ。エベルへの信仰や祈りが絶えない限り、エベルが滅び去ることはありえない。どれだけ窮虚躯体が圧倒しようと、その原理を覆すことはできないのだ」
それは、その通りだった。神を滅ぼすには、黒き矛でその本体を完全に破壊するか、より強力な神に取り込ませるかしかないのだ。いくら窮虚躯体ウルクがエベルを圧倒し、翻弄していようとも、その結果、神を滅ぼせるとはとても考えられない。たとえその依り代たる肉体を破壊できたとしても、本体には傷ひとつつけられないのだ。
神とは元来不老不滅の存在であり、神同士の戦いですら、そう簡単に決着がつくことはない。
「唯一、魔王の杖ならば神を滅ぼすことも可能だが、それは魔王の杖が信仰も祈りも喰らい尽くすからだ。故に神々は魔王の杖を恐れ、あなたを忌み嫌う。エベルがあなたを殺そうとするのも、そのためだ」
「でも、ミドガルドさん。あなたは、黒き矛の力を借りずに勝とうと考えている。違いますか」
「……わたしはそこまで愚かではないよ」
ミドガルドがこちらを一瞥した。魔晶人形の、魔晶石の目が淡く輝いている。その瞳の奥に確かにミドガルドの人格があり、意思があり、感情がある。不思議なことだが、現実として起きている以上、受け入れるしかない。
「あなたを利用し、ウルクを利用し、神々をも利用し――利用できるものはすべて利用し、その上で勝とうと考えている。そうでなければ、エベルは斃せない。神に打ち勝つにはそれくらいのことをしなければならないのだ」
ミドガルドが自嘲気味に語った言葉は本心でもあるのだろう。苦汁を飲み込んだような、そんな感情の発露。本当ならば自分の手で決着をつけたいという彼の気持ちが伝わってくるようだった。
「エベルはいま、聖王国国王ルベレス・レイグナス=ディールの肉体を依り代としている。神が受肉や依り代となる肉体に乗り移るのは、物質世界への干渉をより確かなものとするためだ」
とはいえ、肉体を捨てることで、神の力、神の御業を存分に振る舞うことができるのも事実だ。マリク神は人間の肉体を捨てたことで、リョハンの守護神としての立場を確立し、マユリ神もまた、肉体を持たない神だった。それ故物理的に触れ合うことができないことを嘆くこともままあるが、肉体を持たないがために自由に振る舞うこともできるという利点もあった。
エベルは、肉体を持つことで、物理的に干渉できることに利を見出したのだろう。そうして五百年の長きに渡りディールを支配してきたのだ。
ナリアが歴代皇帝に取り付いていたように。
至高神ヴァシュタラが歴代神子を選定していたように。
人間を支配する上では、肉体を持つというのは、神々にとってありふれた方法論なのかもしれない。
「それが徒となる。奴は肉体を持つことに慣れすぎたのだ。肉体を持たずにはいられず、故に肉体を損傷すれば、復元せずにはいられない。そのたびに力を摩耗し、削り取られていることに気づいてもなお、肉体を維持せずにはいられないのだ」
「それでエベルの力を削りきろうって?」
「そんなもので斃せるのならば苦労はせぬが」
「だが、既にエベルの力は、随分と削れているではないか」
ミドガルドが指し示した先で、エベルは何十回、何百回目かの損傷箇所の復元を行っていた。そこへ光と化したウルクの猛攻が叩きつけられる。容赦もなければ情けもない。ただひたすらにエベルの肉体を破壊することに専念するウルクの攻撃の苛烈さたるや、セツナたちが協力する隙さえなかった。ここでセツナが良かれと思って参戦すれば、逆に彼女の足を引っ張るのは間違いない。故にセツナは、ウルクとエベルの死闘を見守るしかないのだ。
「それもこれも、あなた方が奴の分霊をいくらか斃してくれたおかげでもあるが」
「むう……」
ラグナが渋い顔をしたのは、当然といえば当然かもしれない。
現有戦力では逃げの一手しか考えられないような相手をウルクが一方的に蹂躙し、翻弄しているのだ。想像もできない事態だったし、受け入れがたい状況でもあった。
セツナ自身、この状況をどう評価し、受け入れるべきか、判断に困るところだった。