第二千九百四十二話 窮極にして虚ろなるもの(四)
「ウルク!」
叫びながら、ウルクが落下した方角へ向かって、飛ぶ。
窮虚躯体ウルクの戦闘能力に関しては、セツナが見る限りでは、文句の付け所もないくらいに強力無比といっていいだろう。弐號躯体ウルクの全力よりも数倍、いや数十倍といっても過言ではないくらいの機動力であり、その速度から繰り出される攻撃も、一撃の威力がとてつもないことになっているのはいうまでもない。莫大な量の波光が神への攻撃も可能とし、エベルにさえ通用したのは紛れもない事実だ。
エベルは、小型魔晶兵器による波光砲こそ涼しい顔で受け止めたが、ウルクの最初の蹴りに関しては、間違いなく痛撃となっていたはずだ。だからこそ、二度目の攻撃は完全に捌ききって見せたのだ。
ウルクの攻撃は、エベルに通用する。
それは間違いない。
そしてそれはつまりどういうことかといえば、ウルクはいま、大神エベルにすら匹敵するほどの力を発揮しているということだ。
人間が作り上げた戦闘兵器・魔晶人形が、完全武装状態のセツナをも上回る力を持ち、その強力無比な力によって神との死闘を演じているのだ。普通ならばありえないことだ。考えられないことでもある。たとえば、ウルクが様々な召喚武装による支援を受け、または神々の加護を受けている、というのであれば納得も行く。特に神々の加護は強力だ。ただの人間を凶悪な戦闘兵器に変えることだってできるのだ。戦闘兵器は、より優れた兵器となるだろう。
だが、ウルクは現状、神々の加護を受けているようにも、召喚武装などによる支援を受けているようにも見えなかった。
ただ、強化改造を施された躯体でもって、エベルと激闘を繰り広げているに過ぎない。そんな風に思える。それが納得のいかないことであり、不安の残るところでもあった。
ミドガルドは、窮虚躯体ならばエベルを斃せるという一方で、セツナと黒き矛の必要性について言及していた。待ちわびていた、と。セツナと黒き矛がここにあることが最重要であるかのように、いっていた。それはつまり、ウルクだけでは斃しきれないといっているようなものではないか。
セツナは、ウルクのことが気がかりで仕方がなく、故に分霊たちの包囲を突破しようとしたのだが、そうは問屋が卸さない。四つ脚魔晶兵器が独自に作り上げた巨大な腕を掲げ、セツナの進路を塞いだのだ。
「邪魔すんなよっ!」
吼え、迫り来る腕を矛で切り払い、断面に向かって“破壊光線”を叩き込む。腕の内部で起きた爆発の圧力を背中で受けて加速力としながら、振り向き、分霊たちが一斉にこちらに向かってくる光景を目の当たりにする。ドレイクのディヴァインドレッドとカーラインのランスフォースが分霊たちを背後から急襲するが、分霊たちにとっては真躯よりもセツナのほうが重要視するべきものであり、故に黙殺された。それが、こちらにとっては功を奏したのだろう。ディヴァインドレッドの大剣が唸りを上げて大砲蟹を叩き斬れば、ランスフォースの長槍が一条の光となって分霊の胸を貫く。残る二体は、どこからともなく飛来した翡翠色の光に吹き飛ばされていった。
光が飛来した方角を見れば、見覚えのある翡翠色の髪が淡く輝いていた。しかし、その姿形は、かつて見た彼女の姿とは多少異なる。というのも、半人半竜と呼ぶに相応しい姿態だったからだ。それは、ラムレシア=ユーファ・ドラースの外見によく似ていた。ただし、顔立ちは、ラグナの人間態そのままであり、主張の激しい胸の大きさを始めとする体つきも、あのときと違いがないようだった。
「無事のようじゃな、セツナよ!」
「ラグナ! よかった、無事だったんだな!」
「うむ。イルも無事じゃぞ」
そういって、ラグナはみずからの尻尾を持ち上げて見せた。イルの胴体に尻尾を巻き付けているのだ。イルは所在なげにこちらを見ているが、どこか安堵しているように見えるのは、気のせいではあるまい。セツナもセツナで、エルは尾に巻き付けており、そういう意味では似たもの同士だった。
「エルも無事でなによりじゃな」
「ああ」
「では、ここを脱出する――というわけにはいかんようじゃな」
ラグナが空を仰ぎ見たのは、小型魔晶兵器たちが波光砲を撃ち終えたことで隙だらけとなり、エベルが黒い炎の渦で魔晶城上空全域を包み込んだときだった。どす黒い神威の炎が空を焼き尽くし、小さな魔晶兵器を尽く破壊していく。そこへ、流星が舞い戻った。ウルクだ。波光の塊となって上空へ至り、炎の中心、エベルに向かって突き進むと、エベルが炎の塊をウルクに集中させた。ウルクが凄まじい軌道で回避すると、炎の雨が地上に降り注ぎ、魔晶城の一角が火の海に包まれた。
「ああ。ウルクが戦っているからな」
「やはりあれはウルクじゃったのか」
「ああ……」
セツナが肯定すると、ラグナは、難しそうな顔をした。ウルクの機動力たるや、完全武装状態のセツナに匹敵するものであり、いまの彼女とエベルの戦闘についていけるものなど、そうはいないだろう。ラグナならば凄まじい速度で繰り広げられている神と魔晶人形の死闘を目で追うこともできているだろうが、並の人間には、なにが起こっているのかもわかるまい。ウルクは光となってエベルに激突し、エベルもまた、光の如く迎え撃つ。両者が激突するたびに凄まじい衝撃が大気を震わせ、轟音が響き渡った。余波が魔晶城の建造物を破壊し、倒壊させていく。余波だけで、だ。ウルクの躯体が地に打ちつけられれば、その周囲一帯に甚大な被害が出ていた。
「如何な理由とて、いまここでエベルと戦うのは得策ではありませんよ」
声に振り向けば、三体の真躯が歩み寄ってくるところだった。先頭を歩むのは、ワールドガーディアンで、後に続く炎のような真躯がフレイムコーラー、双戟の真躯がデュアルブレイドだろう。
「フェイルリングさん……」
「セツナ殿。貴殿も知ってのことと存ずるが、エベルはミエンディアが召喚した皇神の中でもナリアと並び、二大神と呼ばれ、恐れられた神の一柱。その力は、ナリア以外の神々が力を結集して、ようやく拮抗できるほどに強力であり、絶大。いかに黒き矛といえど、魔王の杖といえど、対抗することも困難なはず」
「しかし、エベルを斃せないようでは、獅子神皇を討ち滅ぼすことなんて夢のまた夢」
とはいったものの、いまここでエベルが斃せるとは想ってもいなかった。セツナは、ウルクが心配なだけなのだ。ウルクを確保することができれば、フェイルリングの忠告に従うことだってやぶさかではない。ただ、それができるかどうかといえば、難しいといわざるを得ない。
ウルクは、ミドガルドの指示に従っているようなのだ。いまのウルクがセツナのいうことを聞いてくれるか、聞いてくれたとして、ミドガルドがそれに納得するかどうかという問題がある。
「それも事実でしょう。ですが、だからといって勇み足に無謀を挑み、無為無策に命を落とすことなどあってはならない。貴殿は、この世界の将来のためにも必要不可欠な存在なのですから」
「ウルクを放っておけ、と?」
「そうはいっていません。ウルク殿も連れて、逃げるべきだと」
「逃げる? ありえんな」
口を挟んできたのは、案の定、ミドガルドだった。
「あなたは……」
「ミドガルドさん……」
「ようやく時が満ちた。舞台は整い、役者は揃った。幕は上がり、いままさに最高潮を迎えようとしているというのに、舞台を降りるなど、あり得ぬ」
ミドガルドが頭を振る。
「わたしは、このときを待っていたのだよ」
上空では、エベルとウルクの激闘が続いていた。ウルクの装甲から射出された小型魔晶兵器が無数の波光弾を撃ち出せば、エベルは同程度の火球を生み出して、火炎弾を飛ばして対抗する。波光弾と火炎弾がぶつかり合って爆発が起き、空が紅く染まった。
「大いなる神エベルを討つための戦力が結集し、すべての条件が整う瞬間をな!」
「ははは、ミドガルド。君にはいまのいままで何度となく笑わせてもらったが、今回ほどの喜劇はいまだかつてないな」
エベルの高笑いが響き渡る。
「わたしを討つための条件が整った? これがその舞台であり、彼らがその役者だとでもいうのかね。このわたしをだぞ? 銀河を遍く照らす黒き太陽神たるこのわたしを、この程度の戦力でどうにかできると本気で考えているのだとしたら、君には大いに失望するしかないぞ」