第二千九百四十一話 窮極にして虚ろなるもの(三)
「ウルク!」
セツナは、思わず叫んだ。叫ばざるを得なかった。エベルを圧倒するかの如き強さを見せつける魔晶人形は、紛れもなくウルクであり、彼女以外のなにものでもなかったからだ。だが、全体を見れば、ウルクとは異なる印象を受ける。壱號躯体とも弐號躯体とも大きく異なる外見は、分厚く鋭角的な装甲を護っているからであり、その真躯の巨大甲冑にも似た装甲は、ウルクをして、戦場に舞い降りた女神を想起させるような凜然たる美しさと勇壮さを兼ね備えていた。
胸部や両肩、腰部など、様々な箇所に埋め込まれた黒色魔晶石がまばゆいばかりの光を撒き散らし、背面の飛行翼と思しき部位から発する光は、翼を形成している。飛行翼より噴出する波光が浮力となり、全身の各所から噴出する波光によって空中での姿勢制御を行っているのだろう。機械仕掛けの女神とでもいうべきその威容は、セツナの混乱を加速させるだけだ。
さらに彼女を取り巻く状況が思考を掻き乱す。
ミドガルドを装っていたのがエベルだということが明らかになったのは、いい。それはセツナが推察していた通りの回答であり、納得のいく答えでもあった。神聖ディール王国の影の支配者たるエベルならば、ディールの魔晶技師であったミドガルドの命運を握ったとしても、なんら不思議ではないように思える。だが、エベルが殺したはずのミドガルドがなぜか魔晶人形として生きていたという事態は、さすがのセツナにも想像しようもないことだったし、混乱に混乱を重ねるだけの情報だった。さらにミドガルドは、ウルクに新たな躯体を授け、その力でもってエベルを斃せると考えているらしいということまでが、一気に、怒濤の如く頭の中に雪崩れ込んできて、セツナは、エベルが黒い炎を巻き上げながら上空に飛び上がる様を見届けるしかなかった。
ウルクが素早く反応する。両肩の装甲が展開し、内蔵されていた兵器が飛び出したのだ。それらは小型の魔晶兵器であるらしく、ウルクの周囲に散らばると、エベルに向かって波光砲を発射した。小型魔晶兵器は全部で八基。そのいずれもが弐號躯体の波光大砲以上の出力の波光砲を発射し、城塞上空を青白く染め上げた。爆音とともに衝撃波がセツナたちを襲いかかる。
「なんて威力だ!?」
「あれがウルクの力なのか!?」
「ええ。その目で見たものが現実ですよ、セツナ伯サマ」
ミドガルドがセツナの疑問を肯定するようにして、こちらを見下ろしてきていた。男性型の魔晶人形。その外見は記憶の中のミドガルドに似ても似つかない。髪はウルクたちと同じく灰色で、目には魔晶石の光を湛えている。だが、声はミドガルドそのものであり、声帯をそのまま移植したのではないかと思ってしまうくらいに違和感がなかった。だからこそ、違和感を覚えるというのは、皮肉なのかどうか。
「あなたは……ミドガルドさんなんですか?」
「物質ではなく、情報が存在を定義するのであれば、わたしは紛れもなくあなたの知るミドガルド=ウェハラム本人だ。もっとも、だからどうということはない。わたしにとって重要なのは――」
「鬱陶しいっ!」
セツナが苛立ちとともに背後を振り向いたのは、分霊が肉薄していたからだ。腕を四つに増やした魔晶人形は、その四つの手に神威の槍を生み出し、切っ先を眼前で重ね合わせるようにして突っ込んできている。四本の神威の槍が切っ先で交わり、螺旋状の回転を生み出す。そのまま突っ込んでくることで、セツナの肉体を破壊しようというのだろうが。
「わたしにとって重要なのは、あなたがここにいる事実だ」
「なんだって!」
セツナは、矛の切っ先を螺旋回転の中心に叩き込むことで四つの槍を弾き飛ばし、その勢いのまま分霊の懐に潜り込んだ。分霊の髪が赤々と燃え上がり、炎の中から無数の槍が伸びてくる。が、それらが肉体に達するより遙かに速く、彼の右足は分霊の胴体を両断していた。自壊が始まる。分霊の上半身と下半身が急速に崩壊を始め、分霊の本体がその金属の依り代を抜け出した。それを見逃すセツナではない。咄嗟に投げ放った矛が分霊の魂とでもいうべきものを貫き、完全に破壊し尽くした。断末魔の咆哮の如き怨嗟の奔流が吹き荒れ、セツナはその場を飛び離れる。投げつけた矛は、“闇撫”で回収済みだ。
完全武装は、さらに深化していた。具体的にいうと、アックスオブアンビションが変化したのだ。ランスオブデザイアが尾となり、ロッドオブエンヴィーが籠手となったように、アックスオブアンビションは脚具となった。足の爪先から脛、膝、大腿部を覆う装甲であり、斧刃を分解したような膝当てに大斧の名残がある。また、分霊の胴体を切り裂いたのは、足裏に展開した斧刃であり、アックスオブアンビションの脚具は、至る所から斧刃を展開することができた。当然、伝達する破壊能力は変わらない。故に分霊は躯体を為す術もなく破壊され尽くしたのであり、新たな依り代を求めて逃げ出すほかなかったのだ。
分霊が依り代を求める理由。それは、いざというとき、依り代を犠牲にして、自己を護ることができるからだ。依り代に宿っている限り、あらゆる攻撃は依り代が肩代わりをする。それはたとえ黒き矛の滅びの力であってもだ。故に神々も分霊も、最大の力を発揮できる本体ではなく、依り代を用いる。依り代という鎧を纏う。依り代を用いないのは、絶対的な勝利を確信しているときくらいのものだろう。
「神を滅ぼすことが可能なのは、あなたと黒き矛を置いてほかにはない。現状、この世界に於いてはね」
「あなたは、さっき――」
「そのために用意したのだ。準備し、計画し、積み上げ、待ち続けた。この魔晶城も、魔晶城が生産した兵器も人形たちも、窮虚躯体も、すべて」
「きゅうきょくたい……? それがあのウルク?」
「ええ、そうです。あれこそ、我が技術の粋と持てる力の限りを尽くし、命を投じて作り上げた最終最後の決戦兵器。エベルを斃すためだけの」
「窮虚躯体ならエベルを斃せると?」
「もちろん」
そう断言するミドガルドだったが、上空の戦況は、必ずしも芳しいものではなかった。
八基の小型魔晶兵器による波光砲の一斉照射は、大爆発を引き起こし、魔晶城そのものを震撼させるほどの衝撃波を発生させたが、その爆心地にいるエベルは無傷だったのだ。爆発の光が消えると、黒い炎に包まれた男神は、悠然とその姿を明らかにして、嘲笑った。
「こんなものか」
「いいや、こんなものではないよ」
ミドガルドが告げると、ウルクが彼の言葉に応じるかのように動いた。全身から莫大な量の波光が発散すると、その姿が一条の光となる。光だ。光の尾を引く一筋の流れ星の如く、凄まじい軌道によってエベルの背後を取る。エベルは、冷笑した。振り向き様、ウルクを蹴り飛ばす。ウルクは、咄嗟に防御したようだったが、、エベルの無造作ともいえる蹴りを受けて、遙か地上に叩き落とされた。波光が尾を引き、まさに星が落ちるようだった。
だが、それで終わるウルクではない。小型魔晶兵器による波光砲の一斉照射がまたしてもエベルを襲う。エベルはうんざりだとでもいわんばかりに嘆息し、自身を黒い光球で包み込む。さながら黒い太陽そのものとなったエベルを波光の奔流が飲み込み、またしても天地を震撼させるような大爆発が巻き起こった。
そんな中、セツナは、飛んだ。
ウルクの元へ。