第二千九百三十七話 魔晶の響宴(十一)
「つまりなんじゃ、おぬしらはセツナの軍門に降ると、そういいたいんじゃな。ふむふむ。そういうことなら話は早いぞ。セツナもわしも戦力は喉から手が出るほどに欲しいからのう」
「だれがそのようなことを申し上げましたかね」
「なぜああまで自分に都合のいいように解釈できるのか、これは疑問だぞ、ゼクシス」
「さすがは三界の竜王の一翼を担う御方、ということでしょう」
「なんじゃ? わしに協力するというたばかりではないか」
ラグナはきょとんとした。その場を飛び離れ、濃い紫色の火球を回避する。火球は床に接触すると、瞬時に膨張し、さながら大輪の花が咲くかのように爆発した。炎が荒れ狂い、室内の空気を燃焼させる。分霊たちの猛攻は、そんなことで終わるはずもない。絶え間ない連係攻撃に対し、ラグナは防戦一方だった。
敵は六体。
いずれもが神に等しい力を持った分霊であり、それらの攻撃は、魔晶人形や魔晶兵器とは比較にならないものだった。油断すればラグナとて負傷しかねないし、致命傷を負いかねないのだ。
そんな分霊との激闘の真っ只中に現れたのが、ふたりの人間だった。いや、彼らを人間と呼んでいいのかどうかはわからない。かつてベノアで会ったときは、間違いなく人間だった。救世神ミヴューラの使徒ではあったが、人間として生きていた。いまは、違う。使徒としての側面が強く、だからこそ、分霊の攻撃を耐え、分霊に攻撃を加えることができているのだ。
もちろん、それはミヴューラの使徒というだけでは、説明のつかないことだ。
ミヴューラは、確かに強力な神だったかもしれない。少なくともヴァシュタラの神々よりは大きな力を持ち、故に聖皇への離反したミヴューラを、神々が力を合わせて封印せざるを得なかったのだが、だからといって、大いなる神エベルに対抗できるほどの力を持っているとは考えにくい。少なくともミヴューラの使徒程度が、エベルの分霊に拮抗できることなど、考えられないのだ。
とはいえ、いまはそんなことはどうでもよい、と、ラグナは考えていた。彼らの力の源がなんであれ、理由がどうあれ、ラグナに助勢してくれているという事実の前にはすべてが霞む。ラグナは、一刻も早く分霊たちを処理し、セツナの元に駆けつけなければならないのだ。
セツナの位置は、いまやはっきりとわかっている。
セツナが多数の召喚武装を呼び出したことで、彼の生命力が否応なく膨大化し、この異様な結界に包まれた領域においても、その存在を激しく主張しているからだ。ただし、空間転移でその場に向かうことは不可能だろう。また、予期せぬ位置に転移するに違いない。だからこそ、分霊の撃破を優先しなければならなかった。
分霊をすべて処理し、安全を確保したのち、速やかにセツナの元へ向かう。それがいま、ラグナに課せられた使命だった。そのためならば、かつて敵だった騎士たちを利用するのもいいだろう。
ベノアガルドの騎士たち二名は、ひとりはゼクシス・ザン=アームフォートと名乗り、もうひとりはフィエンネル・ザン=クローナと名乗った。
「ええ、協力させて頂くとはいいましたよ。ですがそれはあなたがたに従属することではありません」
「俺たちが推戴するのは、団長閣下ただお一人なれば、二君を頂くこと能わず」
「それならばそうといえ。わしとて暇を持て余しておるわけではないのじゃぞ」
憤慨気味に告げながら、背後を振り返り様に右足を蹴り上げる。魔力を込めた蹴撃が音もなく忍び寄ってきていた分霊の側頭部に突き刺さり、火花を上げながら吹き飛んでいった。直撃だが、致命的な一撃にはならない。何度か床に跳ねたのち、なにごともなかったかのように浮かび上がった。
分霊は、神に等しい存在なのだ。簡単には斃せない。
「まったく……口の減らない方だ」
「これがこの世の管理者とは、考えたくもないが……」
「だが、事実だ」
なにやらしかめっ面をしているふたりの騎士が同時に緊張感を帯びたのは、彼らの主君が舞い降りたからだ。天井に大穴が開いたかと思うと、光の柱が聳え立った。その光の中を荘厳な甲冑の騎士が降りてきて、その場にいた全員の注目を集める。
「三界の竜王にして緑衣の女皇ラグナシア=エルム・ドラースよ。この世を救うため、この状況を脱するため、力を合わせようぞ。それが我、フェイルリング・ザン=クリュースが懺悔となろう」
「……懺悔、のう」
ラグナは、騎士たちの王の金色に輝く双眸を見つめながら、反芻した。懺悔。なにを罪とし、なにを悔いる必要があるのか。確かにラグナがセツナの元を一時でも離れることになったのは、彼女としても心苦しいことだったし、哀しかったが、しかし、そのおかげでいま全盛期を迎えているといってもいいのだから、フェイルリングたちには感謝こそすれ、恨み言をぶつける気にはなれなかった。なにより、ラグナの死後、セツナと和解したというのであれば、そこにラグナが口を挟み、関係性を悪化させるようなことなどあってはならない。
「まあ、そのことはよい。いまは、この状況を脱することの方が先決ぞ」
そういっている間にも、分霊たちは、攻撃を続けてきている。分霊は六体。こちらは五名。イルがそのままでは戦力として一段も二段も落ちるとはいえ、ラグナが加護したことにより、多少なりとも戦えるようになっている。その上、騎士三名は、それぞれに神から与えられた力があり、それによって分霊の攻撃を捌くことも可能となっていた。
彼ら騎士団騎士が救力や幻装と呼ぶ力は、いうなれば神の加護であり、神威なのだ。神威には神威で対抗可能だ。力の差があれば一方的な展開となるのだが、そうなっていないことが不思議だった。ミヴューラだけの力とは、とても思えない。
「うむ。そのために我らはここにきた。セツナ殿とあなたには、この世界のため、大いに働いてもらわねばならぬ故な」
「そなたらは、どうなのじゃ」
「無論、我らとて、同じよ。この世界を救うためなれば、たとえ命が燃え尽き、魂が焼き尽くされようとも構わぬ。我らは救世騎士団。世界を救うためだけに存在するものなり」
フェイルリングが荘厳な装飾の施された剣を掲げ、その刀身を輝かせると、分霊が彼に攻撃を集中させた。紫色の炎が螺旋を描く渦となり、黒い炎が無数の花を咲き乱れさせる。爆発に次ぐ爆発。その威力たるや物凄まじいものであり、余波だけで立っていられなくなるくらいだったが、しかし、二名の騎士はまったく心配していない。それどころか、見向きもせず、別の敵に向かって飛びかかっている。
「焼き尽くせ、フレイムコーラー」
ゼクシスとかいう騎士が大刀を振り翳せば、刀身から噴き出した紅蓮の炎が彼の全身を包み込んだ。轟々と燃え盛る炎が瞬く間に形を変え、深紅の猛火の如き巨大甲冑が顕現する。いわゆる真躯と呼ばれる、彼らの能力の真骨頂だろう。甲冑の様々な箇所から噴き出す炎があざやかだ。
「斬り裂け、デュアルブレイド」
フィエンネルが両手の戟を旋回させれば、神威が嵐の如く逆巻いて彼を包み込み、光の渦の中でその姿を変容させていく。そうして顕現した真躯は、やはり巨大な甲冑であり、手にした一対の巨大な戟と鋭角的な姿が特徴といえるだろう。
「救え、ワールドガーディアン」
そして最後に聞こえたのは、フェイルリングの声だ。
分霊たちの猛攻によって生まれた炎の渦が消し飛んだかと思うと、重厚かつ荘厳、絢爛たる巨大甲冑が出現した。かつてラグナがセツナとともに追い詰められた最強の真躯ワールドガーディアン。その大きさこそ控えめになっているものの、圧力も迫力も、以前にも増して強烈であり、ラグナは、思わず額の汗を拭った。
いまならばワールドガーディアンに後れを取ることなどありえないとはいえ、それでも、一度敗れ去った記憶は、そう簡単に拭い去れるものではないらしい。