第二千九百三十四話 魔晶の響宴(八)
「神を殺すには、どうすればいいのか。そればかりを考えた」
声の方角に目を向ければ、広間の一角に空洞ができていて、同じような段差が覗いた。紅い絨毯の先には、同じような玉座と同じような魔晶人形が座っているに違いない。けたたましい爆音に右手を見下ろせば、無意識に発散した神威が、つい先程までミドガルドだった人形を爆散していた。彼の中のルベレスが暴走したというよりは、ルベレスに同調したままの彼自身が苛立ちを隠せなかった結果だ。
「しかもエベル。おまえは、聖皇が召喚した神々の中でも大なるものだというじゃないか。ナリアと並ぶ二大神……ヴァシュタラの神々が力を合わせてようやく拮抗できたというだけの力を持つ、大いなる神。それがわたしの敵だった」
適正な評価だが、その評価をどうやって仕入れたのかについては、疑問が浮かぶ。ミドガルドはただの人間に過ぎなかった。魔晶技師としての知識量と技術力に関しては並ぶものがいない人物ではあるが、彼が天啓を与えなければ魔晶人形ウルクの完成に漕ぎ着けなかった人物でもある。その程度の人間如きが、神の知識を得ることなどできるはずもない。ましてや、ルベレスの正体を知ることなどできるわけもない。
だが、ミドガルドは、ルベレスではなく、エベルとして、彼を認識している。
それはつまり、ミドガルドに協力者がいるということだ。それもただの人間の協力者などではない。高次の――神属と呼ばれるものの中に、彼に協力を申し出たものがいたとして、なんの不思議があるだろう。
至高神ヴァシュタラの合一が解かれたという事実があるのだ。
ヴァシュタラの神々の中には、ミドガルドの中に希望を見出す奇特な神がいたとしてもおかしくはなかった。
「研究所の再建、新兵器、新型人形の開発を進めながら、わたしは考え続けた。おまえを出し抜き、おまえを陥れ、おまえに一泡吹かせる方法を。ただそれのみを考え続けた」
「それが……これか?」
「そうだ。そしておまえはまんまとわたしの策に嵌まったのだ。わたしの計画にな。なにもかも、わたしの思い通りだ。おまえがわたしを殺すのも、おまえがわたしの魔晶城に手を加えるのも、おまえがセツナを殺すためにウルクを利用するのもな」
彼は、そう語る人形の目の前に一瞬で移動すると、代わり映えのしない姿を視界に収めた。ミドガルドの声を発する魔晶人形の姿形には、なにひとつ違いがない。
「おまえが手のひらの上で踊るわたしを見てほくそ笑む様を、わたしはここでほくそ笑んで見守っていたのだよ」
人形は、じつに小憎たらしい言い回しで告げてくる。神にあらざる感情の昂ぶりを抑えきれず、彼は右手を真横に薙いだ。神威の閃きが人形の首を刎ね、頭部が宙を舞う。それを中空で爆砕すると、彼は背を向けた。広間に出れば、別の壁に空洞が出来ている。やはりその奥は階段状になっていて、紅い絨毯が敷かれていた。
当然、その頂点には玉座があり、人形が座している。
「それで……結果はどうだ。君はウルクを護れなかったじゃないか。セツナもじきに死ぬぞ。わたしをこのような場所に隔離したところで、戦力差は圧倒的だ」
「だからいっただろう。わたしはおまえを斃すこと、ただそれだけを考え続けたのだ、と。そして、結論を導き出した。わたしは人間だ。人間では、おまえを斃せない。いや、神々すら、おまえを退けることすらできまい。おまえは神々の中でももっとも強大な力を誇る。その事実は認めなければならない」
「認めたところで、どうなるものでもあるまい」
「黒き矛カオスブリンガー。おまえたち神々は、セツナの召喚武装を魔王の杖と呼ぶそうだな。そしてその力をなによりも忌々しく、恐れている。おまえたち神々を滅ぼしきる力だからだ」
「ミドガルド。君がそれを知ったところで――」
「だからこそ、おまえはセツナを殺したがっていたし、絶好の機会を求めた。セツナが油断しきり、黒き矛さえ召喚していない状況が欲しかった。そのために殺すほどに忌み嫌うわたしを利用したのだろう。だが、おかげですべて上手くいった。舞台は整い、役者は揃った」
玉座の人形は、勝ち誇るようにいってきた。
「後は、脚本が進むのを待つばかりだよ、エベル」
「残念だがミドガルド」
エベルは、いい加減鬱陶しくなりながら、潰しても潰しても現れるミドガルド人形の三体目を徹底的に破壊した。
「死闘の末、セツナと黒き矛にわたしを滅ぼさせるという君の陳腐な脚本では、観客を満足させる結末には到底届かないよ。それどころか、激闘にもならない内にわたしがあっさりと勝利し、黒き矛を異世界に追放するという悲願を成し遂げる、君の観客が望む結末とはまったく異なるものになりかねない。それでは君の脚本家人生に汚点を残すだけだと思うがね」
エベルは、広間に戻るなり、四つ目の空洞に向かって神威の波動を放ち、空間ごと破壊し尽くすと、さらに開いたいくつもの空洞もすべて爆砕した。光が乱れ飛び、爆風が残骸を散乱させる。広間を取り囲むのは灰燼と帰した廃墟であり、物言わぬ骸すら残っていない。
少しだけ溜飲が下がったものの、それだけでは怒りが収まりそうになかった。なによりこれで終わりとも思えないという事実がある。
ミドガルドは、死んだ。彼が殺し、抹消した。故にその肉体も魂も存在しないはずなのだが、ミドガルドは、魔晶人形と化して生き残っていた。そしてその人形が、この地下空間に存在したものだけだとは、とても考えられない。であれば、この城塞内のどこかに秘されているか、既に行動しているのではないか。
彼は、瞼を閉じ、上方に意識を伸ばした。ミドガルドが魔晶城と呼んだこの広大な城塞は、すべて彼の支配下にある。彼の神威が幾重もの結界を複雑かつ多層的に構築し、外界と城塞内を隔絶しているのだ。そして、その結界は、彼に直結する情報網でもあった。結界内の動的、静的変化は、寸分違わず彼に確認できる。どこで戦闘が起き、だれが戦っているのかも完璧に認識できた。
セツナとラグナシア=エルム・ドラースが離れ離れになり、それぞれに彼の分霊との戦いを始めていることを知り、安堵する。
分霊とはいえ、彼の分霊なのだ。並大抵の力では拮抗しようもなければ、セツナひとりに斃しきれるはずもない。
(だが、油断は禁物だ)
なにせ、セツナは、ナリアを追い詰めたという実績がある。
彼と並び、皇神の中でも最高位の力を持った神たるナリアは、セツナに追い詰められた末にその存在もろとも消え去った。
その事実を知ったときから、彼は、来たるべき決戦に備えてきたのだ。
黒き矛の、魔王の杖の使い手にして、魔王の使徒を討ち滅ぼし、安息を得ること。
現状、聖皇復活が不可能となり、彼の悲願が叶わぬとなった以上、別の機会、別の方法での帰還を考えるしかないが、そのためには時間が必要となる。それも、なにものにも邪魔されず、じっくりと考えていられるだけの時間がだ。
そう考えた場合、魔王の使徒ほど、厄介な存在はなかった。
魔王の杖は、神をも滅ぼす力を秘めている。
その力を使いこなすのは簡単なことではないにせよ、セツナは、魔王の杖の使い方を熟知しているらしいことは、ナリアとの戦いの顛末を知っていれば、想像もできよう。
全力を挙げて、滅ぼさなければならない。
そのためには、彼みずからが赴くのが一番なのだが、それはいま、できなかった。
ミドガルドの存在が、彼の中のルベレスを昂ぶらせてしまっている。
彼がいま、依り代としているのはルベレス・レイグナス=ディールの肉体だ。ディール王家の人間には何代となく乗り継いできたが、ルベレスほど、彼と波長の合う人間はいなかったし、だからこそ、彼はルベレスの望みを叶えてやったのだ。
ミドガルドへの復讐。
酷く個人的な感情の決着。
それが、ひっくり返された。
「ミドガルド。君のすべてを破壊し、その上でセツナ=カミヤを血祭りに上げよう。それで終わりだ」
彼は告げ、今度は広間そのものを爆撃した。