第二千九百三十一話 魔晶の響宴(五)
自分がいまどこにいるのか、まったくわからないことがこれほど不安になるとは、思っても見なかったことだ。
セツナは、鋼鉄の迷宮とでもいうべき入り組んだ通路を駆けていた。
元魔晶技術研究所の城塞内部であることは疑いようがない。ミドガルドの偽物がいた部屋にいたる道中に見たような機材や設備が通路と通路の合間の小部屋や大部屋にあったのだ。そして、それら設備はいまもなお稼働中であり、魔晶兵器の類や魔晶人形が生産されているらしいことが窺えた。それらの設備を破壊すれば、兵器群の製造を止めることは出来るが、セツナたちとしてはむしろ、このままどんどん製造し続けてもらい、最後にはすべて自分たちの戦力にしたいところであり、いまは放っておくのが得策だった。
いや、得策といっていいのか、どうか。
この城塞にいる魔晶人形のほとんどが、ミドガルドの偽物の息のかかったものたちであり、正体が明らかになったからなのか、セツナを発見するなり攻撃してくるようになっていた。魔晶人形だけではない。魔晶兵器の類もだ。城塞内部の各所に取り付けられた火砲が火を噴けば、機関砲が唸りを上げ、まるで自殺行為のように城塞内部を破壊していく。セツナが殺せるならば城塞がどうなろうと構わないとでもいいたげだった。
(その通りなんだろうな……!)
ミドガルドに扮した男は、紛れもなく人間ではなかった。
ウルクの弐號躯体を素手で貫いたという時点で、それは確定している。そして、人知を越えた速度でセツナに肉薄し、セツナを殺そうとした。
(魔王の使徒……か)
それは魔王の杖の護持者の別名であり、あの正体不明の男がなぜ、セツナを狙ったのかはその一言に集約されているに違いなかった。魔王の杖の護持者は、ほとんどの神々にとって目の敵にされる存在なのだ。マユリ神やマリク神のように力を貸してくれる神のほうがめずらしい。
魔と神は、相反する存在であり、魔王の杖は、不老不滅の存在たる神に滅びをもたらす数少ない力なのだ。
神々が魔王の杖と、その護持者を消し去りたいと考えるのは、至極当然のことだ。
つまり、あの男は神であり、そしてディールおよびミドガルドと繋がりが深そうなことを考えると、大いなる神エベルなのではないか、と推察できる。ヴァシュタラの神々の一柱ならば、ラグナがわざわざ空間転移魔法を用いるだろうか。
ラグナが相手の力量を見誤るとは思いがたい。
よって、セツナは、ミドガルドを演じていた神をエベルと断定した。
そしてそれはつまりどういうことかというと、最低最悪の状況だということだ。
ミドガルドとの再会を目的としたがために同行者は最低限に絞っており、その最低限の仲間すら離れ離れになってしまっていた。ラグナがセツナを護るために発動したのだろう空間転移魔法が、どういうわけかセツナとエルの二名をわけのわからない場所に飛ばしてしまったのだ。
もっとも強力な仲間であるところのマユリ神は船で待機中な上、船との連絡は取れなかった。腕輪型通信器が機能しないのだ。
「エル、ついてこれているな?」
振り向けば、エルが多少焦げ付いた衣服を振り乱しながら追走してきているのがわかる。
既に敵性魔晶人形とは、何度も交戦していた。いずれもエルたちと同じ躯体に見えるのだが、出力や装甲に随分と違いがあるようだった。同じ量産型でもさらに大量生産するために改良が加えられているのかもしれない。その場合の改良というのはいわずもがな、生産資材を抑えるためのものであって、量産型魔晶人形の強化や最適化を指しているわけではない。だからこそ、魔晶人形同士一対一で戦った場合、エルが一方的に勝利を収めてきているのではないだろうか。
とはいえ、多対一となると途端に不利となるため、エルから目を離すこともできなかった。
セツナは、既に黒き矛カオスブリンガーとメイルオブドーターを召喚し、身につけている。でなければ、魔晶兵器による集中砲火の中を突破し、魔晶人形たちを撃ち倒しながら突き進むことなどできるわけもないのだ。
五感は冴え渡り、反響する音でいまいる空間の広さが把握できる。だが、そこがどこなのかはわからない。空から見下ろした城塞は、とにかく広大な敷地を誇っていた。その地下にいるのか、地上にいるのかもわからない。地上にいるのであれば、一か八か壁をぶち破って外に出てみる、という手も使えなくはないが、地下だった場合を考えればぞっとしない結果が待っている。土砂が流れ込んできて生き埋めになる可能性もある。それでは笑い話にもならない。
かといって、黒き矛の空間転移能力を行使するのも考え物だ。ラグナの空間転移魔法が正常に作用しなかったということは、つまり、なんらかの妨害があったということだ。そしてそれがエベルがこの城塞に仕組んだ罠だと推測すれば、安易に空間転移能力を用いるのは敵の思う壺だろう。今度は、エルと離れ離れになりかねない。これ以上、仲間と離れ離れになるのは懲り懲りだった。
だからといって当てもなく走り続けるのも愚策ではあるのだが。
前方、鉄の床を踏み進む駆動音が聞こえてきた。
(ラグナたちが早く見つかることを祈るしかねえ)
セツナは、進路を塞ぐ巨大な甲殻類のような形状をした魔晶兵器を一足飛びに飛び越えると、宙返りして、その頭頂部に矛の切っ先を突き刺した。そのまま分厚い装甲を貫き、切り裂く。金切音が響く中、セツナに追いついてきたエルが、その切り口に右腕を突っ込んだ。波光砲の光が魔晶兵器の内部に膨張し、炸裂する。セツナは透かさずメイルオブドーターの翅でエルと自分を包み込むと、爆風に吹き飛ばされるままにした。
城塞内に配備された魔晶兵器の数々は、いずれも、最終戦争では目撃したことのないものばかりであり、いまセツナとエルの連携攻撃で撃破した甲殻類型もそうだ。魔晶兵器は、魔晶人形ほど複雑な機構を必要としないためか、魔晶人形よりも分厚く強固な装甲と凶悪な武装を施されている。
甲殻類型は、見た目にはずんぐりとした巨大な蟹なのだが、鋏の代わりに多連装の波光砲を搭載しており、発見次第即座に撃破しない限り、手ひどい目に遭うことがわかっている。最初に遭遇したときなど、大砲蟹が波光砲を乱射しまくったがために重要そうな設備が破壊し尽くされたのだ。それ以来、セツナは大砲蟹は見つけ次第、最速で撃破するようにしていた。
敵魔晶人形もそうだが、エベルの手のものたちは、セツナを殺すためならばこの城塞がどうなろうと知ったことではないのだ。
が、セツナはそういうわけにはいかない。
ウルクを修理するには、ここの設備が必要だ。今後、イルとエルの躯体を修復しなければならないことだってあるかもしれない。
その上、この城塞は魔晶兵器工場といっても過言ではないのだ。無傷で抑えることが出来れば、戦力の大幅な増強に繋がるのはいうまでもない。
ミドガルド=ウェハラムは、殺されてしまった。
あの男が、エベルが嘘をついているとも思えない。
ミドガルドは死に、ミドガルドの手によるウルクの躯体修復は不可能となってしまった。が、ミドガルドのことだ。万が一に備え、ウルクの躯体を修復する方法についての覚え書きなりなんなりを残してくれているかもしれないし、なんなら、設備さえ無事ならば、マユリ神がなんとかしてくれるのではないか。いまやウルクナクト号を自由自在に操る女神の手にかかれば、魔晶兵器工場を掌握することも造作もないのではないか。
そんなことを考えていると、いままでにないくらい広い場所に出た。