第二千九百三十話 魔晶の響宴(四)
「やるぞ、後輩よ」
イルに向かって告げるなり、ラグナは、再び吼えた。咆哮に乗せて魔力を解放し、自身の肉体そのものを変質させる。
現在の小飛竜態は、セツナたちと行動を供にする上で至極便利であったし、初対面の人間にも驚かれはしても恐れられにくいという利点があったが、数多くの敵と積極的に戦うとなると不利な面が多々あった。小さく軽い体は、敵の攻撃こそ避けやすいものの、複数の敵と戦うにおいては火力不足を否めない。力は質量に依存するものだ。神のような高次の存在ならばともかく、そうでなければ質量こそが重要なのだ。竜属とて、それは変わらない。質量の極めて小さな小飛竜態でもそれなりの力を発揮できるのが、竜王の竜王たる所以とはいえ、現状では、そんなことでふんぞり返っている場合ではなかった。
敵の数はあまりに多い。
とはいえ、ラグナが最大の力を発揮するべく極大飛竜態に変身した場合、この城塞そのものが崩壊するだけでなく、セツナまで巻き添えに押し潰してしまうだろう。
故にラグナは、セツナとの再会以来、思案し続けていた形態へとついに変身することにした。
咆哮とともに解放した魔力が小飛竜の小さな体の隅々まで行き渡り、細胞を分解し、再構築する。それも一瞬の出来事だ。敵魔晶人形たちがラグナの魔法防壁を突破してくるよりも早く、彼女の変身は完了している。
それは、極めて人間態に近い形態だった。ラグナの鱗の色と同じ翡翠色の頭髪は腰辺りまで伸び、しなやかに伸びた手足や胴体には、まるで装甲のように龍の鱗が輝いていた。側頭部に生えた角も臀部から伸びる尾も、背に生えた一対の翼も、竜属の特徴そのものだ。
竜人態と、ラグナは名付けている。
ラグナがセツナのためにと考案した人間態にラムレシアの要素を加味した形態は、人間並みの質量を持ちながら、小飛竜態とは比較にならないほどの力を発揮することができるだろう。
ラグナは、いつかセツナが一緒にいる戦場でいきなり変身して驚かせてやろうと考えていたのだが、それもこれも無駄になってしまった。だが、いまは、この状況をどうにかするほうが先決であり、イルをできる限り護りながら戦うとなると、そんなことに拘ってはいられないのだ。
彼女は、呼吸を整え、前方の爆煙を突っ切ってくる魔晶人形たちを認めた。
手足の感覚を確かめる。人間態よりもさらに動かさなければならない器官が増えているものの、問題はない。飛竜態のときとさほど変わらないのだ。翼を広げ、大気を叩く。魔力が渦巻いて、彼女の体を浮かせた。重力で竜王を縛り付けることは出来ない。
「イル、おぬしは自分を最優先に動くのじゃぞ!」
無論、後輩の面倒を見るのは先輩の役目であるし、それは肝に銘じているのだが、敵の数が尋常ではない以上、そういわざるを得ない。目視できる魔晶人形だけで三十体はいて、それ以外にも無数の敵性反応がラグナたちの元へ向かっているのが感覚でわかった。生命反応ではない。空気振動が、それを教えてくれている。
羽撃き、加速する。
すると、前方に光が奔った。
ラグナは吼え、前方に魔法の壁を生成する。大爆発が起き、波光砲を撃った魔晶人形が吹き飛ぶのが見えた。自爆したのだ。ラグナは止まらない。敵陣の中へ突っ込むと、首を巡らせながら咆哮した。翡翠の光線がラグナの視線上を駆け抜け、何体もの魔晶人形に直撃、爆散する。直後、頭上から降ってきた魔晶人形はその胴体を尾で貫いたのちに巻き付けて圧壊させる。
魔晶人形の躯体を破壊するという、人間態ならば不可能なことも魔法で強化した竜人態ならば、可能だ。
行動不能になった魔晶人形を迫り来る敵に投げつけつつ、別方向の人形たちに向かっては魔法弾を放つ。翡翠色の光弾は魔晶人形の頭上で弾けると、半球型の力場を形成し、力場内の魔晶人形を足止めした。そこに後続の人形たちも引っかかり、大繁盛となる。
「なんじゃなんじゃ、こんなものかのう!」
ラグナは、大得意になって満面の笑みを浮かべた。相手が魔晶人形とはいえ、全盛期に等しい力を取り戻した彼女にしてみれば、赤子の手を捻るようなものだった。懸念はイルを護らなければならないということだが、イルは、自分の立場がよくわかっているのだろう。極力前に出ず、ラグナの足を引っ張らないように立ち回ってくれている。連装式波光砲による援護攻撃が主で、あとは敵の攻撃の回避に専念していた。一対一ならばまだしも、多対一となれば自分が不利だということを理解しているのだ。
その点、ラグナには、そういう常識が通用しなかった。
多対一であろうと、それが魔晶人形であろうと、いまの彼女の敵ではない。
量産型がすべてウルクと同性能ならば話は別だったかもしれないが、量産するに当たってウルクほどの性能を積み上げることは出来なかったらしい。その結果、ラグナひとりに蹂躙されているのだから、哀れというかなんというか。
これらが味方に加わったとして立派な戦力になるのかどうかというと、なるだろう、としかいいようがないのも事実だ。
魔晶人形たちがこうも容易く撃破できているのは、相手がラグナだからであり、ラグナが最盛期の力を発揮しているからにほかならない。三界の竜王が、人形相手に負けるわけもないのだ。
「さて、準備運動はもう十分じゃな」
数十体の魔晶人形が残骸となって横たわる戦場を見回して、彼女はいった。
量産型魔晶人形たちとの戦闘は決して有意義ではなかったものの、竜人態に慣れるための準備運動と考えれば十分価値のあるものだったかもしれない。
無論、イルは無事だ。
彼女は、ただの残骸と成り果てた量産型魔晶人形たちを見つめていた。多少様子が違うとはいえ、魔晶人形同士、なにか想うところがあるのかもしれない。ラグナには彼女の心情を想像する余地もなかったし、彼女がなにをどう想おうと優先しなければならないことがある以上、ここに留まっている場合ではない。
「さっさとセツナたちと合流し、ここを脱出するぞ。ウルクの奪還は、後回しじゃ」
ラグナが告げると、イルが無言のままうなずいた。
ラグナは、竜人態のまま、イルとともに城塞を駆けた。鋼鉄の迷宮は、広大かつ複雑に入り組んでいるだけでなく、なにか異様な力が働いており、ラグナの空間把握能力を持っていても全容を掴み取ることができなかった。なにかに邪魔されている。それはおそらく、ラグナの空間転移魔法を阻害した力と同質のものであり、ミドガルドに扮していた神の力に違いない。
ラグナの力をも阻害するほどの神となれば、大神以外には考えられないのだが、だとすれば、ますますラグナたちに余裕はなかった。もし、ミドガルドを演じていたのがエベルならば、セツナの命が危うい。神ならば、黒き矛の使い手ほど忌々しい存在はないのだ。
ラグナは、イルを抱き抱えるようにして飛行しながら、セツナの無事を祈った。いまは、祈るほかできることがない。無論、セツナの強さは知っているし、信じてもいる。だが、セツナは人間なのだ。不意を突かれれば、死ぬことだって十二分にありうる。
(死んではならぬ。死んではならぬぞ、セツナ)
胸中、強く念じながら、ラグナは飛翔する。
鉄骨の樹海とでもいうべき場所を強引に通過し、待ち受ける魔晶人形を黙殺し、立ちはだかる魔晶兵器は咆哮とともに放つ魔法で粉砕する。爆風の中を涼しい顔で突破し、進路を切り開いていく。魔晶兵器だろうと、魔晶人形だろうと、敵であれば容赦する必要はないが、無視できるならばそれに越したこともないのだ。進路上の邪魔な敵だけを破壊することで消耗を最小限に抑えたかった。
セツナと合流してからが、本番なのだ。
そう、想っていた。