第二千九百二十五話 聖王国へ(三)
イードロー。
神聖ディール王国領において辺境と呼ばれたその地は、本来ならば聖王国領南西に位置していた。しかし、復元した大陸図から算出された現在地は、聖王国領内の南西ではなく、やや中央に近い位置にあるといっていい。とはいえ、地続きの中央ではなく、“大破壊”によって引き裂かれ、地殻変動によってでたらめに移動したがための位置だ。イードロー及びその周辺は、大きな島となり、もうひとつの島とともにふたつの大陸に挟まれるような形で海に浮かんでいる。
そのふたつの大陸ともうひとつの島もかつての聖王国領だが、現在、それら大陸の秩序がどうなっているのかは不明だ。
イードローのある島にもいえることだが。
“大破壊”は、大陸だけでなく、世界中の秩序を破壊し尽くした。いや、“大破壊”を引き起こすきっかけとなった最終戦争が破壊したといった正しいのだろう。最終戦争によって小国家群の数多の国々は蹂躙され、法も秩序も奪い尽くされてしまったのだ。そんな状況下に起きた“大破壊”は、それら国々に致命傷を与えたに違いない。
リョハンが“大破壊”後の世界で辛くも生き延びることができていたのは、最終戦争を生き抜くことが出来たからだ。ベノアガルドといい、龍府といい、かつて小国家群に属していた国や都市が“大破壊”後の世界を生き延びられた理由の多くは、そうだろう。
では、三大勢力は、どうか。
ヴァシュタリア共同体は、かつての在り様を失ってしまった。ヴァシュタラ教会の神であるところの至高神ヴァシュタラが正体を現したことで起こした最終戦争は、神々の敗北に終わったといってよく、神々は、それぞれに異なる末路を歩んだが、中でもヴァシュタラの末路は酷いものだった。ヴァシュタラは神々の合一によって成り立つ存在だが、その合一を解いた挙げ句、神々の多くは、獅子神皇に降った。ヴァシュタリアの将兵たちもだ。
かくしてネア・ガンディアの戦力は圧倒的なものとなったが、同時にヴァシュタラ教会の求心力は失われ、ヴァシュタリア共同体の法も秩序も崩壊の一途を辿った。
信じる神に裏切られたも同然なのだ。
ヴァシュタラ教会の信徒たちがどれほど失望したのか、想像に難くない。
ザイオン帝国は、大陸崩壊によって国土をふたつに分かたれたことで、国そのものが分裂した。それも四つにだ。四つの帝国による主導権争いは、継承者争いそのものだったが、それが起きたのも最終戦争と“大破壊”を原因としていいだろう。先帝シウェルハインが身命を賭してザイオン帝国将兵を救わんとしたがために命を落とし、そのことが原因となって混乱が起きたのだ。もし、最終戦争も“大破壊”も起きなければ、継承者争いは、現実的な戦争として起きることはなかったはずだ。
そして、セツナたちの介入によって南ザイオン大陸はひとつに纏まり、統一ザイオン帝国が誕生した。
北ザイオン大陸が大いなる女神ナリアの手に落ちていたことを知ったのは、それから後のことだったが、ナリアを下したいま、北ザイオン大陸がどうなっているのかは不明なままだ。状況が落ち着き次第、確認しにいってもいいだろうが、それはずっと先のこととなるだろう。ナリアが秩序の源であったならば、混沌とした情勢になっていたとしても不思議ではない。
神聖ディール王国領は、どうなっているのか。
ふたつの大陸と、ふたつの大きな島に分かたれている。
聖王国の中心であった王都ディライアは“大破壊”の直撃を受けてばらばらになってしまっていることから、仮に聖王国を影から支配していた皇神エベルが聖王国の支配者に返り咲いたとしても、どこを拠点とし、どちらの大陸を主に統治しているのかは不明だった。
もっとも、大いなる神エベルならば分霊を用いることも容易いだろうし、ふたつの大陸、ふたつの島を支配下に置いていたとしてもなんらおかしくはなかった。
イードローの魔晶技術研究所で働いているのだろうミドガルド=ウェハラムがエベルの指示に従っていたとしても、不思議なことではない。ミドガルドは、ただの人間なのだ。神の力に逆らえるはずもない。たとえ逆らったとしても、神の力に支配されることだって考えられるのだ。
セツナは、イードローが近づくに従って、どこか落ち着きを失い始めたウルクの様子を見て、彼女がミドガルドを心配しているのだと思った。ウルクは、セツナを第一に考えたからこそ、ミドガルドの元を飛び立った。最終戦争の真っ只中だ。それは、ミドガルドが聖王国を、エベルを裏切ったことにほかならず、エベルがミドガルドになんらかの処分を下している可能性も強かった。ウルクが生みの親たる彼を心配するのは当然のことだ。
とはいえ、ミドガルドならばこそ、ウルクと同型の魔晶人形を量産したに違いなく、そしてイルたちに伝言を託したのも、ミドガルド以外には考えにくかった。
エベルが、そのようなまどろっこしい手法を取るだろうか。
エベルは、大いなる神だ。
世界中を飛び回ることだってできるし、セツナを探しだし、攻撃することだって不可能ではない。だが、そうせず、ウルクがいつかセツナと合流する可能性を信じ、その上で量産型たちがウルクと接触し、伝言を伝えるときを待つというのは、あまりにも非効率的すぎはしまいか。
そう考えれば、イルたちに伝言を託したのは、ミドガルド本人であり、魔晶技術研究所にもミドガルド本人が待っていると考えられた。
それさえもエベルの罠である可能性は、否定できないが。
だとしても、飛び込む以外に道はない。
なぜならば、ウルクの躯体を修理するには、魔晶技師の力が必要なのだ。
「ミドガルドさんが心配か?」
「いいえ」
ウルクは、こちらを見るなり、間髪を置かず、告げてきた。
「わたしは、ミドガルドの元を離れました。みずからの意思で、セツナ、あなたとともに戦うことを選んだのです。ミドガルドがその後どのような状況に陥ろうと、もはや関係はないのです。わたしがミドガルドの元へ向かうのは、これから先の戦いのため。躯体を修復する、ただその一点のみです」
「……ついに嘘までつくようになったか」
「嘘? わたしが、嘘をついているというのですか? セツナ」
「ああ、嘘だよ、それは」
セツナが告げれば、ウルクは腑に落ちないとでもいうような反応を見せた。
「だったらなんで、そんなに落ち着きがないんだ? ミドガルドさんのことが心配のあまり、いてもたってもいられないって感じだぞ」
「そうじゃな。ウルクよ、おぬしは先程からマユリと地図を交互に見ておるが、それは要するにもっと早く目的地につかないものかと思案しておるからじゃろう」
「それは……」
「急いではいるが、警戒もしなければならぬ。聖王国領がいまもなおエベルによって支配されていた場合、我々に対し攻撃してこないとも限らんからな」
マユリ神がウルクナクト号を慎重に飛ばしている理由をいった。
ウルクナクト号は、“竜の庭”のリョハンを飛び立って、既に数日が経過している。いまや目的地は目前に迫っているものの、もし、ウルクナクト号が脇目も振らず、最高速度で飛び続けていれば、もうとっくにイードローに辿り着いていたのはいうまでもない。
「仮にエベルが直接出張ってきた場合、ウルクナクト号が撃沈したとしてもなんらおかしくはないのだ」
神の攻撃さえも耐え凌ぐウルクナクト号だが、マユリ神の力を遙かに上回るエベルが相手となれば、話は別だということは、わかりきったことだ。
故にセツナは、せめて目的地に到着するまでは、エベルが出張ってくることのないよう祈るほかなかった。
ウルクが困惑を隠せないまま、ウルクナクト号は、聖王国の大地を眼前に捉えた。
十二月に入ったばかりのことだった。




