第二千九百二十四話 聖王国へ(二)
「その膨大な利益の結晶がおまえってわけだ」
セツナは、ウルクの美貌を見つめながら、いった。
無機的な美女に表情と呼べるものはない。しかし、だれが見ても目を奪われるほどに整った容貌は、いつ見ても眼福といって良かったし、淡く輝く魔晶石の目も、その冷ややかな輝きに引き込まれるように思えた。
「そういうことです。が、もちろん、わたしだけではありません。彼女たちも、その利益から作り出されたものでしょう。おそらくは……ですが」
「おそらく?」
「ミドガルドが聖王国政府の命令を受けて彼女たちを開発したのかどうかは、現在のところ不明なままです」
「そういや、そうか」
セツナは、手持ち無沙汰に立ち尽くす二体の魔晶人形を見遣った。ウルクに倣ってイルとエルと名付けられた量産型魔晶人形は、ウルクに似ていながらも、大きく異なる魅力を持っている。ウルクが美女ならば、イルとエルは美少女だ。その美少女たちは、レムが彼女たちのために用意した女給服を身につけているのだが、故にこそ何倍も愛らしく見えていた。
イルとエル、そしてアズマリアの依り代となっているアルを含めた量産型魔晶人形は、ウルクにミドガルドの伝言ともいえる情報を渡すために世界中をさ迷い、リョハン近郊へと辿り着いた。リョハンでセツナが発した特定波光によって再起動した彼女たちは、まるでウルクのようにセツナの命令に従い、セツナの命ずるままにここまでついてきている。
もし、彼女たちが聖王国政府の命令によって開発された存在ならば、セツナに与することなどありうるのだろうか。
ウルクとは、事情が違う。
ウルクは、ミドガルドたちによって開発された魔晶人形の中で、初めて起動に成功した魔晶人形だ。ミドガルドは、その起動原因を突き止め、安定化や効率化を図る研究のため、その原因たる特定波光の発生源――セツナとの接触を試みた。そして、セツナとの接触によってウルクが感情を獲得していくのを見たミドガルドは、最終的に彼女を解き放った。
聖王国の戦闘兵器ではなく、みずからの意思でもって活動する存在へ。
故にウルクがセツナたちと行動をともにすることに疑問はなかったし、いまや当然の如く受け入れている。
しかし、イルとエルは違う。
彼女たちは、量産型だ。“大破壊”以降、生き延びていたのだろうミドガルドたちの手によって開発された、最新型。その役目は、ウルクを探し出し、ウルクにミドガルドの所在地をおぼろげながらも伝えることだったが、それがなにを意味しているのかは不明なのだ。
ミドガルドがただウルクの躯体整備のため、ウルクを呼んでいるのであればいい。
だがもしミドガルドが聖王国政府の命令に従って量産型魔晶人形を開発したのであれば、ウルクへの伝言も、彼女たちがセツナの命令に従っているのも、すべて、聖王国政府の――いや、大いなる皇神エベルの狙い通りなのではないか。
皇神エベルは、ナリアと同等の力を持つ大いなる神であり、故にセツナと黒き矛を快く想ってはいないだろう。ウルクがセツナと行動をともにしていることを理解しているのであれば、ウルクを呼び寄せ、ついでにセツナを始末する計画を練っていたとしても、なんら不思議ではない。
だとすれば、のこのこと魔晶技術研究所に赴くのは考え物だが。
「一先ず復元してみたが……やはり完璧とはいかんな」
頭上から降ってきたのは、マユリ神の声だった。
ウルクナクト号の機関室には、現在の搭乗員が全員、揃っている。動力源にして操縦者たるマユリ神に、セツナ、ウルク、イル、エル。ラグナはいつものようにセツナの頭の上で寛いでいたが、マユリ神の声に反応して、のそのそと動き出した。
「どれどれ……」
「さすがだ」
セツナは、機関室の空中に投影された光の幕を覗き込んで、感嘆の声を上げた。大きな光の幕には、世界地図が描き出されている。かつて、ワーグラーン大陸と呼ばれていた頃は大陸図と呼ばれたそれは、しかし、よく見るとところどころに欠落があった。切れ目があったり、小さな穴があったり、どうにも不完全なもののように見えなくもない。だが、それは当然の話だった。
それは、ウルクナクト号に記録されていた現在の世界地図を元にワーグラーン大陸を復元したものだったのだ。
聖皇復活を阻止したことで起きた“大破壊”は、イルス・ヴァレのたったひとつの大地たるワーグラーン大陸をばらばらに引き裂いた。切り裂かれた大地は、破局的な天変地異といっても過言ではないだろう地殻変動によって大きく引き離され、いくつもの島々といくつかの大陸、そして大海原によって成り立つ世界へと作り替えてしまったのだ。
もはや元の大陸の形など忘れてしまうほどに変わり果てた世界では、国や都市の位置関係を把握することは難しい。
これから向かうべきは、かつての神聖ディール王国領イードローだ。が、聖王国領もでたらめに引き裂かれ、散り散りになってしまった以上、聖王国の地理を完璧に把握しているはずのウルクにさえ、イードローの正確な位置がわからないのだ。
ウルクを探すため、イードローの魔晶技術研究所を出発したはずのイルとエルもだ。彼女たちに質問したところで、返ってくるのは沈黙と首を傾げる仕草だけだった。
そこで考えついたのが、大陸図の復元だった。
世界が大陸をばらしたものであるならば、大陸の形になるように纏めることができれば、ウルクの記憶を頼りにイードローの位置を求めることもできるのではないか。
もちろん、“大破壊”によってばらばらになった世界は、パズルの欠片のように綺麗に切り取られたわけではない。上手く繋ぎ合わせられるのかどうかも、大陸の形に収まるものかどうかもわからなかった。
それでも、マユリ神はやってくれたのだ。
映写光幕には、不完全ながらも大陸図ができあがっていたし、マユリ神が参考にしたのだろう大陸の影にほぼぴったりと収まっていた。無論、削り取られた部分や穴は数多く、それだけで“大破壊”の被害の大きさが浮き彫りになり、暗澹たる気分にならざるを得ないが。
「これに当時の勢力図を重ねれば、こうなる」
不格好な大陸図が四つに区分けされる。大陸北部一帯はヴァシュタリア共同体、大陸東部一帯はザイオン帝国、大陸西部一帯は神聖ディール王国という三大勢力それぞれの領土が示され、その三体の巨獣が睨み合う中にひしめき合うのが四つ目の区分けされた領域たる大陸小国家群だ。
それを見れば、三大勢力にとって小国家群の国々など、けし粒のようなものに過ぎないというのも頷ける。
もっとも、三大勢力が最終戦争を引き起こしたのは、小国家群の国々を意に介さなかったからではなかったし、神々の主導権争いに過ぎなかったのはいうまでもない。
「さてウルク。イードローがどの辺りか指し示したまえ」
マユリ神に促されると、ウルクはセツナに指示を仰いだ。セツナがうなずくと、彼女は理解したのか、映写光幕に歩み寄った。すると、映写光幕が彼女の目線の高さに降りてきて、彼女が指差すのを待ちわびるかのようだった。そしてウルクが、大陸図南西の一点を人差し指で示すと、その一点に印がつけられた。
「よろしい。では、戻すぞ」
いうが早いか、映写光幕内の大陸図が一瞬にしてばらばらになった。いうまでもなく“大破壊”後の地殻変動より遙かに早いだろう。大陸は消え失せ、いまや見慣れた世界地図が眼前に出現する。大海原に隔てられたいくつもの大地、島々。その南西部に印が光っている。
聖王国領は、どうやら大きく四つに分かたれたことが窺い知れた。
大陸時代、大陸西部から南部までの広大な範囲を領土とした聖王国は、“大破壊”によって南北に大きく分かたれ、その二大陸の間にさらにふたつの島が浮かんでいる。その島ですら、どちらもログナー島やザルワーン島などより大きいのだが。
そして、そのふたつの島のうちのひとつに印が輝いていた。
そこが、イードロー。
目的地となる。