第二千九百二十三話 聖王国へ(一)
船は、空を行く。
ただひたすらに空の旅が続いている。
東ヴァシュタリア大陸北部より南西へ。
眼下に広がるは大海原であり、陽光を跳ね返してきらきらと輝く海面は、ただただ美しいとしか言い様がなかった。その海の様子からは、世界が直面している危機を感じ取ることも出来ない。海は相も変わらぬ波に揺らめき、飛沫を上げて、碧く輝いているのだ。
いくつもの島を越えて、さらに進む。
残念ながらベノア島の上空を通過することはなかったものの、その周辺の海上を進んだ際には、ベノア島がネア・ガンディア軍の制圧下にないことがわかったため、ほっとしたものだった。ベノア島がもしネア・ガンディアの制圧下にあれば、ネア・ガンディアの飛翔船のひとつやふたつ、見つかるはずだ。
ウルクナクト号の目的地は、いまのところ、旧ディール王国領ということになっている。
ミドガルド=ウェハラムの所在地の把握と、ミドガルドとの接触がこの旅の目的なのだ。正確な所在地は不明だった。
ミドガルドは、イル、エルたち量産型魔晶人形にウルクへの伝言を渡していた。それはミドガルドの所在地らしき風景の情報であり、ウルクは、イルたちから受け取ったその情報を元に推測を立てている。その推測こそ、ミドガルドが旧ディール王国領にいるというものだが、なぜ、ミドガルドが正確な所在地をイルたちに託さなかったのかは、わからない。
「情報の漏洩を恐れたのかもしれません」
とは、ウルクの弁。
「量産型には、わたしにあの情報を伝えるための機能が搭載されていました。わたしだけにしか解除できない安全装置つきで。しかし、それだけでは完全な対策とは考えられなかったミドガルドは、わたしに託す情報そのものを曖昧なものとした。もし、なんらかの方法で量産型の情報を引き出すことができたならば、正確な位置情報を託していた場合、ミドガルドの身に危険が及ぶ可能性があります。ミドガルドは、自分の身を守る必要があった」
「そう考えるのが妥当だろうな」
「面倒なだけじゃと思うがのう」
「そうはいうが、ミドガルドさんは人間だぜ。身を守るために万全を期すのは当然のことだ」
「量産型に身を守らせるということは考えんのか?」
「そりゃあ、護らせてはいるだろうさ。ただ、それだけで安全とは言い切れないのが世の中だ」
魔晶人形は、強力極まりない兵器だ。皇魔だろうが並の武装召喚師だろうが相手にもならない。魔晶人形と対等以上に戦うならば、極めて強力な召喚武装が必要であり、召喚師自身、歴戦の猛者でなければならないだろう。それだけの兵器だ。
その量産型がアル、イル、エルの三体だが、ウルクが引き出した情報によれば、彼女たちと同型の魔晶人形は数多く生産されているようだった。量産型というだけのことはある、ということだ。それもこれも、彼女たちを通して、ウルクにミドガルドの所在地の手がかりを伝えるためであり、そのために、無数の量産型魔晶人形が世界中に解き放たれたようだった。その多くは、おそらく、リョハン近辺で発見された三体と同様に、ウルク捜索の旅の途中で機能停止状態に陥っているに違いない。
量産型魔晶人形は、ウルク同様、黒色魔晶石を心核とし、特定波光を浴びなければ動き続けることができないようなのだ。
だとすれば、どうやってリョハン近辺まで辿り着いたのか不思議でならないが、そういった詳細については、ミドガルドに聞けばいいだけのことだ。ミドガルドも、セツナたちにならばある程度は明かしてくれるだろう。
ともかく、ミドガルドが量産型魔晶人形に身辺を警護させているのは間違いないが、彼は魔晶人形以上に凶悪な存在がいることも知っているのだ。
故に、量産型魔晶人形に託したウルクへの伝言が極めて曖昧なものとなった。
曖昧だが、ウルクならばわかるだろう、という程度の情報。
実際、ウルクには、その風景が見覚えにあるものであり、旧神聖ディール王国領なのは間違いないと断定できていた。
というのも、彼女が見た風景が、彼女が生まれ育った魔晶技術研究所周辺の風景に似ているというのだ。しかし、そこに在ったのは魔晶技術研究所の無骨な建物ではなく、堅牢な城塞そのものであり、量産型魔晶人形たちが警備に当たっている不思議な光景だったという。それはすなわち、その城塞の中にこそミドガルドがいるということだろう。
そして、ミドガルドが持ち前の技術力で、研究所を城塞に作り替えたのだろう、ということだ。
目的地は、決まった。
神聖ディール王国魔晶技術研究所。
それは、聖王国領において辺境と呼ばれる地域にあった。というのも、魔晶技術研究のためには、魔晶石が必須だからであり、魔晶石が採掘できる地域であることが最低必須条件だったからだ。聖王国領でもっとも魔晶石が採掘できる地域こそイードローと呼ばれる地域であり、その地域一帯を指して辺境地とされていたらしい。人間にとって住みにくい大地には独自の生態系が築き上げられており、故に魔境でもあったという。
聖王国は、特有の気候、自然環境を誇るイードロー一帯の開拓や開発を早々に諦め、数百年に渡って放置していた。すると、どうだろう。ひとの手が入らないことをいいことに我が物顔をするものたちが現れた。皇魔だ。聖王国領に棲息する様々な種類の皇魔がイードローに住み着き、まさに魔の巣窟と化していくのに時間はかからなかった。
そうなると、ますますひとの手が入らなくなる。
聖王国政府がイードローの大地に抱かれた潤沢な資源に気づいたのは、後に征魔将軍と謳われるようになった時の将軍アスカリア=ウェハラムが大征伐を決行し、イードローの地より皇魔を討ち払ってからのことらしい。アスカリア=ウェハラムはそのときの功績により、征魔将軍と尊称されるようになり、ウェハラムの家系は隆盛を極めたそうだが、ミドガルド=ウェハラムはその傍流も傍流であり、アスカリア=ウェハラムの恩恵を受けることは少なかったらしい。
しかしながら、ミドガルドがイードローに魔晶技術研究所を持つに至ったのは、アスカリア=ウェハラムの功績があったからだそうだ。もし、アスカリア=ウェハラムがイードローより皇魔を駆逐しなければ、イードローの大地に眠る魔晶石の数々が聖王国の資源となり、資金源となることもなかったのだ。
そして、イードローの奥地、イーディルラインの鉱脈において、黒色魔晶石が採掘されることもなかったに違いない。
『そういう意味では、先祖様には感謝しているのだよ』
とは、ミドガルドの言葉らしい。実際に感謝しているかどうかは、ウルクにはわからなかったようだが。
もちろん、イードローに魔晶技術研究所が誕生したのは、魔晶技術のさらなる研究と発展のためだ。イードロー各地の鉱脈で採掘された様々な種類の魔晶石は、通常は、そのまま王都ディライアに運ばれる。イードローの鉱脈の所有者は聖王国政府であり、鉱石も魔晶石も、採掘されたものはすべて聖王国政府のものだからだ。聖王国政府は、鉱石や魔晶石を国内に流通させるだけでなく、小国家群に輸出してもいたという。
魔晶石は、この時代、生活必需品といってよく、一般家庭でさえ利用されている。特に魔晶灯は、格安のものから装飾が施された高級品まで様々に販売されており、欠かすことのできないものとなっていた。魔晶石の鉱脈を持たない国などは、他国からの輸入に頼らざるを得ず、聖王国は、そういう国との貿易によって膨大な利益を得ていたようだ。
そして、その膨大な利益の大半が魔晶技術研究に注ぎ込まれた。




