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第二千九百二十二話 息を潜めるように(六)

 荒れ狂う空の下、荒涼たる大地が横たわっている。

 生命力を失い、植物も作物も育ちにくくなった大地は、この世界の有り様をそのまま映し出しているのだろう。世界は破壊され尽くして以来、終焉へ向かう一方だった。美しかった山河は見る影もなく、草木は枯れ、代わりに以前にはあり得なかった光景が出現している。結晶化した森があり、地中から飛び出した白濁した物体がこの世の変わり果て行く有り様を見せつけているようだった。

 世界は変わった。

 かつて、生きとし生けるものがその生命を謳歌し、あるものは安息の日々を送り、あるものは闘争の日々を送り、あるいはその両方の間を行き来する――そんなありふれた風景は、過去のものと成り果てた。もはや取り戻すことは叶わず、だれもが死の影に怯えながら、一日一日が過ぎ去るのを待っている。

 だれもが空気を求めるように救いを求め、喘いでいる。

 だからこそ立ち上がらなければならないのだ。

 だからこそ、剣を手に取り、駆けなければならない。

 男は、そう考えている。

 その男は、輝かしい金色の頭髪を荒れ狂う風に靡かせながら、しかし、微動だにせず、一点を見つめていた。そのまなざしは鋭く、決然たる意思を感じさせるものがあった。虹彩は金色。淡い光を放ち、暗澹たる世界を射貫くようだった。そのまなざしにも、虹彩の輝きにも、確かに見覚えがあった。顔立ちにもだ。それだけではない。隆々たる体躯にも、その身に纏う銀甲冑にも、だ。

 男は、荒れ果てた大地を歩き始めた。

 身に纏う甲冑は、戦場へ赴くためのものであり、彼の決然たる表情も、そのためとしか考えられなかった。

 戦場は何処か。

 気になるのはそこだ。

 彼が戦場と定めた場所ならば、自分たちも行かなければならない。馳せ参じ、彼の下した命令を完遂するのが、自分たちの役目であり、使命なのだから。

 焦燥感があった。

 このままでは、彼は自分たちを置き去りにして、つぎの戦場へ向かってしまう。

 それは駄目だ。

 彼には、いてもらわなければならない。

 騎士団は、彼が新生させた。

 腐敗しきった国を建て直すべく、彼が騎士団そのものを生まれ変わらせた。革命以前と以降では、騎士団の在り様は大きく変わっていた。なにもかもがだ。革命以前の騎士団は腐敗の温床でしかなく、ベノアガルドが滅び行く様を見届けることすら使命としているような気配があった。だが、彼はその在り様を憂い、立ち上がり、革命を起こした。その結果、膨大な血が流れ、ベノアガルド王家を討つことになったが、腐敗の源も温床も根絶することができたのだ。民も騎士も、ベノアガルドのだれもが救われた。

 少なくとも、腐敗によって国が滅び去ることはなくなったのだ。

 それもこれも、彼が立ち上がったからこそだ。

 彼が立ち上がらなければ、腐敗を腐敗と認識しながらも騎士たちは悪政を続ける王家の剣となり、盾となり、その天下の行く末を見守る以外にはなかっただろう。

 彼がいて、彼が立ち上がり、彼が声を上げた。

 だからこそ、この国は生まれ変わることが出来た。

 それは一夜の夢ではなかった。

 現実のものとして、この国を変え、その延長上に現在がある。

 彼は、ゆく。

 破滅的な大地を突き進んでいく。

 その後ろに付き従うものたちがいた。

 炎のような騎士がいれば、槍を担ぐ騎士もいる。総勢五名の騎士の後ろ姿には、やはり見覚えがあった。

 彼とともに“約束の地”へ赴き、聖皇復活を阻止せんとした五名の騎士――。

 

「――閣下。団長閣下」

 呼びかけが聞こえて、彼は、はっと顔を上げた。ぼやけた視界がゆっくりと正常化していく中で、自分がいまのいままで夢を見ていたことを悟る。焦点の定まった視界の真ん中には、見知った顔があった。二十代後半の男で、正騎士のひとりだ。

 いまだ意識が判然としないのは、眠りから覚めたばかりであり、夢の印象ああまりにも強いからだろう。焦燥感が、いまも心を包み込んでいる。夢に見たのは、先代騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースの姿であり、フェイルリングとともに消えていった同僚たちの姿だ。いまや夢にも見なくなっていたその姿が突如として夢の淵に現れたのだから、オズフェルトが奇妙な感覚を抱くのも当然だった。

 正騎士は、オズフェルトの様子が気になって仕方のないようだった。

「随分お疲れのようですが……少しは休まれてはいかがでしょう」

「いま、休んでいた」

「話の途中で眠ってしまうのを休むと呼んでいいのでしょうか」

「……話の途中だったか。それは失礼なことをした」

「いえ。閣下の多忙ぶりを考えれば、致し方のないことです」

「いや、わたしが君を呼びつけたのだ。その君との会話中に眠り落ちるなど」

 いくら立場が自分のほうが上とはいえ、それではあまりにも失礼だ。オズフェルトは、正騎士に心から詫びると、彼をなぜ呼びつけたのかを思い出すべく、手元の資料に目線を落とした。

 自分がどこにいるのかも瞬時には思い出せなかった。

 それもこれも、夢の印象が強すぎたからだろう。

 夢の中では、フェイルリングが以前のままの姿でそこにいた。どこともわからぬ大地を騎士たちとともに突き進むその姿は、かつて彼が夢を重ねた姿そのものであり、故にこそ彼は焦燥感に襲われた。フェイルリングの戦列に加わることこそ、彼の望みであり、夢だったからだ。

 もはや叶わぬ夢であり、理想。

 そう、想っていた。

 だが。

「――そういうわけだ。よろしく頼む」

「はっ」

 正騎士は、オズフェルトの命令を受け、緊張感に満ちた表情で畏まった。

 騎士団長の執務室を退出する正騎士の後ろ姿を見つめ、オズフェルトは、目を細めた。正騎士は、団長からの直接の命令を意気に感じているようだった。そんな彼ならば、必ずや成し遂げてくれるだろう。オズフェルトが彼を呼びつけたのも、彼が適任であると判断したからにほかならない。

 ベノアガルドは、いまもなお安定とは程遠い状況にある。

 苦境は、脱した。

 が、だからといって、それですべてが解決するほど、この世界は甘くはできていないのだ。

 厄災の種は、どこにでも転がっている。

 神人や神獣、神魔はどこにでも現れ、そのたびに破壊と殺戮を撒き散らした。騎士団は、それらが出現するたびに出動したし、他国からの救援要請にも応えた。ベノア島は、ベノアガルドのみの島ではない。マルディア、ベルクール、セムルヌス、エノン、シルビナ、グランドールといった国々が存在し、そんな国々からつぎつぎと飛び込んでくる救援要請を受けることで、ベノアガルドは独自の存在感を発揮していた。

 騎士団ほどの戦力を持つ国は、ほかには存在しないのだ。

 故に神獣が暴れ回るだけで手がつけられず、騎士団に泣きつかざるを得ない。

 そうするうち、ベノア島内におけるベノアガルドの立場というのは、極めて高いものとなっていた。どの国も騎士団に救いを求め、騎士団もまた、分け隔てなく救いの手を差し伸べるからだ。

(どこかで待つだれかのために……か)

 それは、先の騎士団長が掲げた騎士団の理念であり、現在、騎士団が行動する原理のひとつとなっている。

 島内で救いを求める声があれば、なによりも優先して駆けつけ、救済する。それこそ、行動理念を実践することにほかならず、騎士団が騎士団たりつづける所以なのだ。

 それを忘れたとき、騎士団は騎士団でいられなくなるだろう。 

 だからこそ、ベノアガルドが安定しないともいえる。

 騎士団の力を国内の安定を注ぐことができないからだ。

 もちろん、国外からの救援要請にばかり力を割いているわけではないが、だとしても、国内に全力を注ぐのと、そうでないのとでは、色々と違うだろう。

 力がいる。

 もっと大きな力が必要だ。

 国内の安定、島内の安定、島外の――世界の安定のためには、力が必要なのだ。

 義勇兵を承認したのも、そのためだった。

 義勇兵を戦力として数えられるようになるまでには相当な時間がかかるだろうが、だとしても、なにもしないよりはいい。

 本当は、国民を戦いに巻き込みたくはなかったし、そのための騎士団であるはずなのだが、戦力が不足している以上は致し方がなかった。

(あなたは、お許しにならないだろうが……)

 オズフェルトが、暗澹たる気分になったのは、夢を見たからに違いない。

 フェイルリングならば、国民を戦いに巻き込むような選択を取るはずもないのだ。



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