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第二千九百二十一話 息を潜めるように(五)


 鉛色の雲が頭上にのし掛かるようだ。重々しく、息苦しささえ感じるほどであり、故にこそ、空が低く感じるのかもしれない。遙か彼方にあるはずだというのに、どうしても低く、近く感じる。

 冬の乾いた空気は冷たく、風が吹けば凍てついてしまいそうになるくらいだった。

 そんな寒空の下、荒涼たる大地を駆け抜ける一団を眺めている。

 気合いとともに声を上げ、ともすればすぐさま冷える体に熱を入れるかのような一団からは、この鍛錬にかける意気込みを感じる。

 だれもが強くなりたがっている。

 だれもが必死に力を求めている。

 力がなければ生き残れない、そんな世界だ。

 そんな世界になってしまったのだ。

 大陸はばらばらになり、世の条理は失われた。不条理が支配する混沌たる世界に成り果て、安寧も平穏もどこにも存在してはいない。安穏たる日々を取り戻したければだれかが戦わなくてはならない。そしてそのだれかをどこかの見ず知らずの他人に求められるような状況ではないことは、だれもが知っていることだ。騎士のみならず、一般市民ですら、知っている。知らざるを得ない。見て見ぬ振りは出来なかった。

 だれもがいつこの変わり果てた世界の犠牲者になるのかわからないのだ。

 だれもが犠牲者になる可能性があり、その不安は、騎士団の力でどうにかできるものではなかった。どれだけ騎士団が声を上げようとも、魂の次元に浸透した不安をぬぐい去ることはできないのだ。

 故に彼らは奮起している。

「どうです? 義勇兵の様子は」

「順調ではあるわね。少なくとも、怠け者や脱落者は出ていないわ」

 ルヴェリス・ザン=フィンライトは、そこでようやく背後に近づいてきていた人物がいることを知った。振り向けば、彼と同じように馬に跨がる騎士がこちらではなく、前方で鍛錬中のひとびとを見遣っている。シド・ザン=ルーファウスだ。

「それを聞いて少し安心しました」

「少し?」

「ええ、少し。本音をいえば、彼ら市民まで動員するのは、あまりいいこととは思えませんから」

「そんなことをいっていられる状況じゃないから、団長閣下も渋々許諾したのよ」

「わかっています」

 とはいいながら、シドの表情はといえば、わかりたくない、という彼の意見が正直に出ていた。

 それはそうだろう。

 いま、ルヴェリスたちの目の前で繰り広げられているのは、志願した一般市民によって構成される義勇兵の訓練であり、ルヴェリスはその監督を行っていたのだ。

 ベノアガルドは、騎士団を戦闘要員とする。国の安全、国民の命を守るのが騎士団騎士の役割であり、あらゆる戦場に投入されるのは騎士だけだった。少なくとも、フェイルリングによる革命以来、そうなっている。

 ベノアガルドにおいて、騎士とは、国民の剣となり盾となるもののことであり、国民のためならば命を投げ捨てることのできるもののことなのだ。

 故に騎士になるのは簡単なことではない。

 己の命を国に捧げることができなければ、騎士にはなれない。そして、それがすべて、ということでもない。ただ命を捨てるだけならばだれにでもできるからだ。その上で、戦闘要員としての実力を身につけ、精神的にも実力的にも認められなければ、騎士にはなれないのだ。

 つまり、ベノアガルドの騎士とは、それだけで十二分に優れた人物であることの証だった。

 そして、騎士たるものは、だれもが国のため、民のために、自分の命を捧げることができた。

 だからこそ、シドには納得がいかないのだ。

 義勇兵は、一般市民によって構成される。当然、騎士ではないし、騎士団騎士が持つ力も持っていない。ただの人間の兵隊なのだ。

 本来ならばベノアガルドには存在せず、設立されるはずもない組織だった。

「どこかで待つだれかのために」

「……訓戒ですか」

「わたしたちの、ね」

 ルヴェリスは、静かに告げた。先の騎士団長フェイルリング・ザン=クリュースが掲げた訓戒は、革命によって新生した騎士団の標榜するものだった。どこかで救いを求めるだれかを助けることこそ、新生騎士団の活動方針であり、そのために国境を跨ぐことは日常茶飯事となった。国や民を蔑ろにしていたわけではない。どこの国も、どこの民も、救いを求めるのであれば等しく救うべきであり、そのためにこそだれかが立ち上がらなければならない。

 それは、フェイルリングの口癖のようなものだった。

 そして、騎士団はそのために駆け続けた。戦場から戦場へ。救いを求める声を聞けば、どこへでもいった。そのために数多の血を流すこととなっても、だ。

「彼らは違うわ。国民による国民のための自衛組織。それが義勇兵よ」

 シドとて、理解していることを、いう。

 それがシドにも、ほかの騎士たちにも少しばかり不満のあるところだということもまた、ルヴェリスは理解している。実際、彼自身、あまり快いものだとは思っていないのだ。こればかりは、致し方のないことだろう。騎士団騎士は、国や民のためにこそ命を捨てるべきである、という教育を受けている。国民を護るのは自分たちの使命であり、なればこそ技を磨き、力を蓄え、心を鍛え抜いてきた。実際、幾度となく国民のために命を張ってきてもいる。国民のためにどれだけの騎士が血を流し、命を燃やしてきたのか。考えるまでもない。

 だのに、国民たちは、義勇兵なる組織を立ち上げた。立ち上げるに当たって、騎士団の意向を無視したわけではないし、まず、騎士団の許可を得ることを重要視したところに義勇兵たちが生粋のベノアガルド国民によって創設されたことはいうまでもない。

 なにがあっても騎士団なのだ。

 そのうえ、有事の際には、騎士団の指揮下に入ることを容認してもいる。

 そうでなくては騎士団も義勇兵の設立を認めるわけにはいかなかっただろうが。

 ともかくも、義勇兵の設立は、騎士団の不甲斐なさを如実に現しているのは、間違いない。

 騎士団だけでは不安だから、騎士団だけでは頼りないから、騎士団が不甲斐ないから――国民が立ち上がらなければならなかった。

 たとえ、義勇兵設立時に掲げられた文面にそのような文章が乗っていない――いるはずもない――としても、騎士団の騎士たちは、そう受け取らざるを得ない。

 騎士団の負担を減らすため、という彼らの気持ちはよくわかる。

 世界が崩壊して以来、ベノアガルドを取り巻く状況というのは、悪化の一途を辿っていた。国がばらばらになり、十三騎士からも離反者が出てしまった。ネア・ベノアガルドの誕生は、ベノアガルド国民を心底怯えさせたことだろう。もし、あのとき、セツナたちがベノアの地に現れなければ、ベノアガルドはネア・ベノアガルドとの戦いの中で滅び去っていた可能性だってあるのだ。

 国民が現在の体制に不安を抱くのも無理からぬことだ。

「だとしても、わたしは……」

「わたしだって、同じ気持ちなんだけどね。でも、だからといって、彼らの気持ちを無下にも出来ないわ。彼らだって必死なのよ。必死に生きているわ」

 ルヴェリスは、義勇兵の訓練を監督し続けている。ベノアガルドの国民からなる義勇兵たちは、やはり、騎士団騎士への憧憬を強く持っており、ルヴェリスが声をかければ、それだけで天にも昇る気持ちになったかのようであり、その様を見る限り、彼らが騎士団を軽んじているわけではないことは明らかだった。

 それでも、ただ、待っているだけでは不安で仕方がないのだ。

 ベノア市内が戦火に曝された事実があり、ベノア市民が被害に遭った現実がある。

 ベノアガルドの国民たちがみずから剣を取り、立ち上がらんとして、なんの不思議があるのか。

 ルヴェリスたち騎士にできるのは、彼らを正しく導き、間違った力の使い方をしないように教育することだ。そして、騎士団と義勇兵が手を取り合い、ともにベノアガルドのために力を尽くすことこそ、この時代を生き抜くために必要なことだろう。


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