第二千九百十九話 息を潜めるように(三)
“大破壊”以来、ある種の沈黙を守っていた世界が、再び、天地を震撼させるほどの災害に見舞われたのは、つい先日のことだ。
二度目の“大破壊”というには小さな、しかし大規模な破壊は、南ザイオン大陸をふたつに裂いた。元々、ワーグラーン大陸の一部であり、そこからばらばらに引き裂かれて生まれたのが南ザイオン大陸だが、さらに引き裂かれることになるとは、想定外のことだったし、その際には凄まじい衝撃が大地を駆け抜けた。
真っ二つに裂かれたというよりは、大陸南方の一部が切り離された、と表現したほうが正確に近い。
ビノゾンカナンより南に巨大な断裂が刻まれ、そこに流れ込んだ海流によって大河が生まれたのだ。
統一ザイオン帝国政府は、即座に被害状況の調査に乗り出したが、その調査によって被害地付近には近寄らない方が賢明であることがわかった。引き裂かれた地点はものの見事に結晶化しており、周囲に棲息していた生物の多くが神威に毒され、白化症を発症していたのだ。もし、近辺に都市のひとつでもあれば、多くの住人が神人化していただろうことは想像に難くない。
その調査によって明らかになったのは、もうひとつあった。
結晶化した被害地と白化症の発症状況から、大地を穿ったのは神威であるということだ。それも猛烈な神威であり、以前帝国を影から支配していた女神ナリアとも比べものにならないだろうと結論づけられた。遙か遠方より放たれた力が大地を断ち切り、さらに周囲に猛毒を撒き散らしたのだ。その力たるや、帝国の守護神にも防ぎきれるものではなかった。
つまり、つぎまた同じようなことがあったとしても、被害を甘んじて受け入れる以外にはないということだ。
「……こればかりは、戦力を集めてどうにかできることではないものな」
ニーウェハイン・レイグナス=ザイオンは、苦い顔になるのを自覚しながら、つぶやいた。
卓上に広げられた地図には、南ザイオン大陸全体の様子が描かれているのだが、その南方には大きく斜線が入れられていた。その斜めに入った直線こそ、大陸に刻まれた断裂であり、いまや大河――というよりは、海の一部となった部分だった。その斜線の北東にビノゾンカナンがあり、南西にワゴートサールがある。それ以外にも数多の都市名が刻まれている。
いますぐ影響があるとすればビノゾンカナンとワゴートサールだろう。
どちらも被害地に近いこともあり、白化症に冒された動物の襲撃を受けないとも限らなかった。神獣や神鳥は、皇魔ではないのだ。皇魔は、都市を囲う城壁を越えようとはしなかった。しかし、神獣や神鳥は、城壁を平然と突破し、都市を攻撃した。
そのために、ビノゾンカナンやワゴートサールには戦力を派遣しており、いつ神獣等が攻め寄せてきても撃退できるようにはなっている。
国民の安全を確保することが最優先だ。
故にこそ、彼は頭を悩ませていた。
再び、同じようなことが起きた場合、現状では防ぐ手立てがないのだ。
あの日、光は南ザイオン大陸のみならず、世界を引き裂いていた。ほとんど一瞬だった。ほとんど一瞬で天地は引き裂かれ、数多の命が消滅した。
彼は瞬時にニヴェルカインをその身に降ろし、大陸を護ろうとしたが、出来なかった。ならば常に大陸を護り続けていれば、防ぎきれるのか。
不可能だろう。
あの日、世界を引き裂いた力は、ナリアの比ではないのだ。そして、ニヴェルカインの力は、ナリアよりも遙かに小さい。ナリアに打ち勝てたのは、ニヴェルカインの力によるところではない。セツナや多くの要素が組み合わさって、初めて、ナリアを凌駕することができたのであり、単独では相手にもならなかっただろう。
そんなナリアを軽く凌駕する力が、世界を切り裂いたのだ。
さながら二度目の“大破壊”というべき現象は、しかし、“大破壊”というには規模が小さく、されど“大破壊”に等しいくらいの衝撃があった。
防ぐ手立てがないということは、これから先、また同じ事が起こるかもしれない恐怖を抱きながら生き続けなければならないということだ。
帝国臣民の心の安寧を第一に考えるニーウェハインにとって、これほど悩ましいことはなかった。このままでは、統一ザイオン帝国に安息の日々は訪れない。それどころか、日々、いつ起こるかもしれない大災害に怯えながら暮らさなければならないのだ。
「あれは……なにものかが発した力だ。それは間違いない。それも大いなる女神ナリアよりも強大な力を持つものがな……」
「そのようなものが、本当にいるのですか?」
「いる。だから、このような目に遭った」
ニーウェハインは、断言し、地図を再び見遣った。
帝都ザイアスは至天殿の一室に、彼はいる。三武卿、大総督をはじめとする重臣が勢揃いしていた。
「大いなる神をも越える力を持つもの……か」
「仮にいたとして、打つ手なんてあるんですかね。ナリアのときだって、奇跡みたいなものだったでしょう?」
ランスロットの疑問には返す言葉もなかった。まったくもって彼のいう通りだ。様々な条件が整った上で起こされた奇跡。それがナリアへの勝利であり、その勝利さえも掠め取られたことを思い出す。セツナたちの勝利を掠め取ったのは、ネア・ガンディアに属する神なのだが、それ以外にも数多の神々が膝を屈しているネア・ガンディアの支配者こそ、ニーウェハインたちが想像する大いなる存在なのは間違いない。
それをネア・ガンディアは獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアと呼んでいる、という話をセツナから聞いた。
ネア・ガンディアとは、新生ガンディアという意味を持つ言葉であり、ザルワーンやログナー、リョハンを制圧するべく軍勢を派遣した組織がそう名乗り、その主君として掲げる人物こそレオンガンドを名乗っている事実には、運命の皮肉を感じざるを得ない。
ガンディアは、かつて三大勢力が引き起こした世界大戦における最終決戦の地となり、三大勢力の膨大な戦力によって蹂躙され尽くしたからだ。それもこれも、ガンディア王都ガンディオンの地下にこそ、三大勢力を主催する神々が探し求めた“約束の地”があったからにほかならず、故に世界大戦は引き起こされ、結果として“大破壊”が引き起こされた。そしてガンディアは“大破壊”の爆心地となって滅び去ったはずだ。
だが、新生ガンディアを名乗るものたちが現れ、その頂点には、亡国の王たるレオンガンドが君臨しているという。
そしてその戦力たるや、帝国の総戦力をもってしてもどうしようもないほどに圧倒的であるらしいことは、セツナたちの話を総合すれば浮かび上がることだ。至高神ヴァシュタラを騙った神々のほとんどがネア・ガンディアの軍門に降り、また、神に近しい力を持った獅徒なるものたちがいる。
統一ザイオン帝国には、それこそ数千名の武装召喚師がいるものの、それでは神を相手に戦えるはずもないことは、ナリアとの戦いで明らかとなった。
神の加護があり、数多の要素が上手く絡み合ったからこそ掴み取れた勝利であり、もしそういったものがなければ、もしあのときセツナたちが助力してくれていなければ、いまごろ帝国領土は、ナリアのものと成り果てていただろう。
「つまりわたしたちにできるのは、奇跡が起きるのを期待することだけ、と、そういいたいのか? 卿は」
「それが現実だろう」
「陛下……」
「だが、起きるかどうかもわからない奇跡を期待してなにもせずにいることと、自分たちにできる最善を突き詰めることは違う。と、わたしは想うよ」
「それには心底同意しますよ、陛下」
ランスロットがこちらを見て、微笑した。
「差し当たって、俺は俺にできることをするとしましょう。それが陛下の御為なれば」
なにかを覚悟したかのようなその表情は、いつになく真剣そのものだった。