第二百九十一話 目的地(二)
「グレイ将軍の目的は、龍府だと思いますが」
「それには同意しよう。いまさらザルワーンに戻るとは思えませんね」
「ザルワーンの窮状を見て、翻した反旗を収めるという可能性は?」
「ないな。それなら我々を無視するわけがない」
ロックの疑問に、レノが首を横に振る。
ロックの疑問も判らないではないが、ここはレノのいうことのほうが正しいだろう。ザルワーン側としては、どんな手を用いてもグレイ軍を手に入れたいとは思っているだろうし、そのために手練手管を使っているはずだ。ザルワーンの最強部隊なのだ。離反の罪を帳消しにしてでも取り戻したいと思うのは、当然だった。だが、グレイがザルワーンに戻るのならば、ガンディアの軍勢である北進軍を黙殺し、素通りしていくはずがなかった。
それに、彼らがザルワーンに戻る気があるのならば、北進軍のマルウェール攻略に対し、なんらかの行動を起こしたはずなのだ。彼らはガロン砦に籠もったまま、ガンディア軍の侵略を見て見ぬふりをしてきた。
グレイは、ザルワーンに戻ろうなどと考えてもいないのだ。彼がザルワーンに敵対して二月ほどの時が流れている。戻る機会はいくらでもあったはずだ。ザルワーン側にも、グレイを受け入れる準備はあっただろう。
ザルワーンがグレイを征伐するために軍を動かさなかったのは、グレイ軍の恐ろしさを一番知っているからであり、同時に、その戦力を取り戻したいという思いがあったからに違いない。グレイ軍を征伐するためには、多大な出血を覚悟しなければならないのだ。もちろん、ザルワーンが全力を投入すれば、グレイの軍勢を征伐することくらい難しくはなかっただろうが、だとしても、戦力の低下は今後のザルワーンの運営に支障をきたすほどのものだったかもしれない。
ザルワーンは周囲に敵を作りすぎた。ガンディアのみならず、ジベルやメレドもザルワーンの大地を欲している。戦力が低下すれば、それだけ、国土侵蝕の危険性が高まる。だから、グレイに対しては穏便に対処したいと思っていたはずだ。
ザルワーンの立場に立って考えれば考えるほど、頭の痛くなるような状況だった。
「彼らは、ガンディア軍に荒らされた現状を好機と判断したのかもしれん。いまなら、龍府まで直行できるとな」
そう考えるのが自然だった。
デイオンは、視線を地図に戻した。
マルウェールで手に入れた地図には、ザルワーンの都市の位置関係が詳細に記されており、街道も克明に描き出されていた。ザルワーンの領土自体は、いびつな台形をしている。その北東部にデイオンたちが制圧したマルウェールがあり、グレイ軍が拠点としていたガロン砦はマルウェールから南東に位置しており、グレイ軍がガロン砦から龍府を目指すのならば、ファブルネイア砦を目指す北進軍とかち合うのも必然ではあったのだ。
ガロン砦から龍府へと直進するにはファブルネイア砦を突破しなければならず、それならばマルウェールからファブルネイア砦へと至る街道を辿るのは当然の道理でもあった。ただ、北進軍の休憩中に街道を通過していくというのは、偶然に違いない。まさか、北進軍がマルウェールを出発したという情報を得てからガロン砦を発したわけではあるまい。いくらブフマッツの脚力が軍馬のそれを大きく凌駕しているとはいえ、マルウェールとガロン砦は近いというわけでもないのだ。情報の伝達だけでも時間がかかる。
「五方防護陣……ファブルネイア砦を攻略するつもりでしょうか?」
「この街道の先にあるのはファブルネイア砦だ。まさか、砦を無視することはできまい」
「そしてあの軍勢なら、簡単に砦を抜くでしょう」
「ああ、間違いない」
ザルワーン最強の部隊が皇魔ブフマッツを軍馬としているのだ。ファブルネイア砦など、容易く突破してしまうのではないか。砦自体は堅固な要塞であり、通常の戦力では攻略も難航するものと思われているのだが、グレイ軍が擁するのは通常の戦力とは言い難いものだ。皇魔の群れをけしかけるだけで、勝敗が決してしまうかもしれない。しかも、短期決戦ならば、五方防護陣の特性が活かされることはないのだ。
五方防護陣とは、龍府の周囲五ヶ所に建造された堅牢な砦の相互干渉による強力な防衛網のことなのだ。その大仰な名前とは裏腹に極めて原始的な代物であり、隣り合った砦同士で戦力を出しあうことで、敵軍を撃退するというものにすぎない。敵軍が一箇所、二箇所の砦に攻め寄せた程度ならば、上手く機能しうるだろう。
たとえば、北進軍のみがファブルネイア砦の攻略を開始したとすると、隣り合ったふたつの砦、リバイエンとヴリディアから援軍が差し向けられるのだ。北と南から挟撃された上、砦の中からも打って出てこられれば、北進軍といえども多大な被害を負いかねない。そこでガンディア軍が考えた五方防護陣の攻略方法は、至って単純なものだ。ザルワーンの各地を制圧するために分けた戦力を三つの砦にぶつけることで、五つの砦の相互干渉力を低減させるというものだ。西進軍は龍府南西のビューネル砦、中央軍は龍府南のヴリディア砦、北進軍は龍府東のファブルネイア砦を担当し、同時期に攻撃を仕掛ける。これによって、少なくとも中央軍には両隣の砦から援軍を差し向けられることはない。西進軍と北進軍はライバーンやリバイエンからの援軍に注意しなければならないが、一方からの援軍ならば対処もしやすいというものだ。無論、龍府からの戦力には警戒しなければならないのだが、首都の防衛戦力をそう簡単に動かせるとは思えない、というのがガンディア軍の総意だった。
それが、北進軍がリバイエンではなくファブルネイアに向かう理由だ。マルウェールから両砦までの距離に違いはなく、どちらの砦の戦力も大差はないという話であり、デイオンとしては、攻略の対象がリバイエンでもファブルネイアでも同じことではあった。
さて、ガンディア軍はそのようにして五方防護陣を攻略する予定だったが、グレイ軍はそうではないだろう。兵数はおよそ三千。しかし、皇魔ブフマッツも同数、軍馬として用いており、戦力は単純に二倍から三倍と考えても構わないだろう。圧倒的な戦力だ。突破力だけならば、黒き矛擁する西進軍にも引けを取らないだろうし、破壊力も凄まじいものがありそうではあった。防御力は《白き盾》を連れている中央軍のほうが上だろうが、この場合、防御力はたいした問題ではない。グレイ軍は、その圧倒的な戦力でファブルネイア砦を突破するだろう。どれだけ強固な城壁で囲われていようと、あの軍勢がぶつかってくれば一溜まりもない。
五方防護陣がいかに強力とはいえ、援軍が到達する前に砦を攻略されれば意味はないのだ。そういう意味では、ガンディアは西進軍に五方防護陣攻略を任せても良かったのかもしれない。バハンダールを陥落させた黒き矛ならば、砦のひとつやふたつ、たやすく制圧してしまうのではないか。
「グレイ=バルゼルグがファブルネイア砦を落としてくれるというのなら、我々にとってはこれほどありがたいこともないがな」
デイオンは、地図に描かれた砦の先、龍府を睨んだ。グレイの軍勢が、こちらの予想通りにファブルネイア砦を突破し、龍府への道を切り開いてくれるというのなら、北進軍は無人の野を行くように龍府へと至ることができる。戦力をまったく消耗することもなく、ザルワーンの中枢へと到達できるのだ。幸運以外のなにものでもない。
「しかし、そうなると、中央軍の加勢に向かったほうがいいのかもしれませんね」
「なるほど……それもいいかもしれません」
エリウスの提案にデイオンは低く唸った。ファブルネイア砦攻略に戦力を割く必要がないのならば、ファブルネイアからヴリディアに向かい、中央軍と合流するというのもいいだろう。中央軍の戦力は潤沢だと聞くし、《白き盾》や《蒼き風》といった強力な傭兵団を擁し、ルシオンの白聖騎士隊、ミオンの騎兵隊が従軍している。わざわざ手を貸すまでもないとは思うが、攻略対象を失った戦力を遊ばせておくのも勿体無いともいえる。中央軍と合流すれば兵力は六千ほどには膨らむだろうし、そうなればヴリディア砦の攻略など赤子の手をひねるようなものだ。圧倒的な戦力で火が出るほどに攻め立ててやればいい。
もっとも、合流についてはデイオンの一存で決められるわけもない。ファブルネイアへの道すがら、中央軍のアルガザード大将軍に意向を伺うしかないのだが、そうすると当然のように時間はかかるだろう。とはいえ、それは既定路線でもある。中央軍、北進軍、西進軍が足並みを揃えるには、時間をかけて連絡を取り合うほかないのだ。
五方防護陣攻略開始までに数日を要することになる。
砦まで急ぐ必要はないが、中央軍への報告は迅速に行うべきだろう。
「戦略通りにいかないというのは、ままあることだと聞きますが」
「仰られる通りですな。戦略、戦術通りに事が運ばなかったときどう対処するのか。それが指揮官の腕の見せどころでもあります」
デイオンはエリウスの言葉を肯定しながら地図を丸めた。
「準備が整い次第、進軍を再開する。目的地は変わらず、ファブルネイア砦だ」
「はっ」
デイオンの命令に、ふたりの軍団長と武装召喚師、エリウスが異口同音に応じ、姿勢を正した。