第二千九百十六話 鋼鉄世界のミリュウ(四)
マトラ・マトンは、ミストリ・ミストら機人の都市であるとともに、このアルガ・マルガ大陸最大の都市でもあるという話だった。
それはつまり、マトラ・マトンのほかにも機人の都市があるのではないかという推論を浮かび至らせたし、実際のところ、ミストリ・ミストからもそのような話を聞くこととなった。
アルガ・マルガ大陸――通称アルマルには、マトラ・マトンを筆頭に五つの大都市があり、十の要塞、二十の小都市、百の街があるというのだ。それら都市や要塞、街に住むのはすべて機人であるという話だったし、機人以外の種族は、ムンダを始めとする様々な機甲獣だけであり、それ以外の種族はこの大陸にはいなかった。ほかの大陸には存在するかもしれず、その調査のための大船団が組織されている最中だという話は、彼曰く、管理者の間でも最高機密に当たる部分ということだった。
彼の迂闊さは留まるところを知らない。
彼の同僚が彼を迂闊者と罵るのも無理のない話だと思いつつも、ミリュウは、彼のそういう迂闊さに感謝していた。おかげで、ミリュウはミストリ・ミストから必要な情報を必要なだけ引き出すことができていた。
外の大陸に派遣する調査船団の話など興味もないが、大陸の置かれている状況や、彼らが“機構”と呼ぶなにがしかの大がかりな仕組みについて、多少なりとも知っておくべきだと判断したからだ。特に“機構”は、ミリュウの召喚や、世界間転移を観測したという話だった。聞けば、“機構”とやらは、このアルマル内で起きた様々な事象を観測するとともに正確に把握し、必要に応じて調査部隊や戦闘部隊が派遣されるのだそうだ。
このたび、調査部隊ではなく、その上に位する管理者がみずから赴いたのは、世界間転移という事象に対する興味がミストリ・ミストら管理者の中にあったからだという。
「調査部隊に任せるのは、色々と不都合な面があるのだ」
「たとえば?」
「調査部隊の報告は、わたしたちではなく、“機構”に直接送られる」
「それのなにが問題なの? あなたたちは“機構”とやらに頼っているのでしょう? 利用してもいる」
「確かにその通りだ。通常ならばなにも問題はない。しかし、事、世界間転移に関してはそうではないのだ」
ミストリ・ミストは、マトラ・マトンへの道中、ミリュウの際限ない質問にも懇切丁寧に答えてくれていた。そのことがミリュウの彼への信用を増幅させるが、同時に心配にもなる。彼はそこまで話してだいじょうぶなのだろうか。もしこのことが彼の同僚に知られたりすれば、彼の立場が危うくなるのではないか。知り合ったばかりの無関係な他者にここまで心配するのは、ミリュウにとっては不思議な感覚だった。
それは彼が人間ではないからかもしれない。
彼には確かに人格があり、おそらく心も有している。だが、人間とは異なり、そういった感情が表面に出てくることがなく、故に屈託がないといっていいのだろう。
「“機構”は、世界間転移を観測すると、その情報を隠蔽しようとする。すぐさま観測情報を消去し、記録にも残そうとしないのだ。まるでわたしたちに知られることを嫌っているかのようにね。わたしたちが、“機構”が世界間転移を観測していた事実を知ることができたのは、ここのところ、世界間転移が頻発していたおかげだ。管理者のひとりが“機構”による情報操作の痕跡を発見してね。そこからすべての記録を洗い出し、世界間転移が起きていた事実を突き止めることができた」
「なんでまたそんなことに?」
「さてね。そればかりはわたしたちにもわからない。“機構”は、わたしたちが誕生する以前から存在していたものだし、わたしたちは、“機構”によって生かされているといっても過言ではない。“機構”の不興を買うような真似はできない。故にわたしたちは、“機構”が黙して語らないことを問いかけはしないのだ」
「ふうん……」
「ただ、興味はある。“機構”はなぜ、世界間転移の観測をひた隠しにするのか。ミルリバ、君のこともそうだ。“機構”は、君が転移してきた事実も隠そうとした。運良くわたしが発見し、直接出向いてきたわけだが」
「おかげであなたのような話のわかる機人に逢えたってわけね」
そういう意味では、“機構”とやらに感謝しなければならないのだろうが。
ちなみに、ミルリバとは、ミストリ・ミストのミリュウの呼び方だった。彼ら機人は、名前を短縮して呼ぶという習慣があるのだろう。ミストリ・ミスト自身、ミスミスと呼んで欲しがっていたし、同僚の管理者ネルナ・ネルノルのことをネルネルと呼んでいた。ミルリバとは、ミリュウ=リヴァイアの機人流短縮呼びであるミリュリヴァをさらに崩したものだ。
ミリュウが途中から口を閉ざしたのは、“機構”が隠蔽してきた世界間転移がなんであるかについて、考え込んでいたからだ。ミストリ・ミストの話によれば、ミリュウがこの世界に転移してくるまで、この世界の外に向かっての転移現象が観測されていたということだ。それがなんであるかは、想像がつく。ミリュウによるラヴァーソウルの召喚であろうし、あるいは、別の武装召喚師による別の召喚武装の召喚も含まれるだろう。ミリュウの召喚だけでは、頻発、という表現にはなるまい。イルス・ヴァレ以外の異世界が数多にあるとはいえ、同じ世界の召喚武装を呼び出す武装召喚術がほかに存在したとしても、なんら不思議ではないのだ。
それは、いい。
気になるのは、“機構”がなぜ、召喚による世界間転移の事実を隠蔽しなければならないか、ということだ。
ミリュウのこの世界への到来すらも隠蔽しようとしていたという。
(まさか……ね)
ミリュウは、その“機構”とやらがラヴァーソウルに関わるものではないかと思い至ったが、それはあまりにも出来過ぎだと思い直した。
やがて、マトラ・マトンに辿り着いたのは、夜を迎えた頃合いだった。さすがにミリュウもくたびれていたものの、都市の光が視界に飛び込んでくると、疲れも吹き飛んでいた。
当初は、ミストリ・ミストが重水湖への移動に用いた転移機能により、マトラ・マトンまでひとっ飛びに移動するはずだったのだが、転移機能はどうやら機人にのみ作用するものであり、ミリュウひとり重水湖に取り残される羽目になったため、急遽、歩いて移動することとなったのだ。そのためにわざわざ舞い戻ってくれたのだから、ミストリ・ミストには感謝しかない。
彼は、ミリュウに多大な気遣いをしてくれている。
それは彼の目的を叶えるためなのだから、当然といえば当然だろうが。
彼は、ミリュウのことを調べたがっている。ミリュウがなぜこの世界に転移してきたのか。その目的、真意について、知りたがっている。当然のことだ。異世界の存在が現れたのだ。害をなさないとも限らず、問答無用で拘束しにかかってきてもおかしくはなかった。だが、彼はそうせず、紳士的なまでの対応でもって、ミリュウの警戒を解こうとしていた。
ミリュウは、といえば、ミストリ・ミストを信用こそすれ、警戒を解いてはいなかった。彼から様々な情報を引き出したものの、だからといって警戒を解けるような状況にはないのだ。
ここは異世界。
なにが起こっても不思議ではなかった。
そう、たとえば、マトラ・マトンの鋼鉄の門を潜り抜け、まばゆいばかりの街灯の中、見知った女が立っていたとしても、なんらおかしいことではなかったのだ。
「え?」
ミリュウは、マトラ・マトンの大通りであろう道路の真ん中に佇む女の存在に気づいたとき、思わず呆然とした。
「待っていたわ、ミリュウ。ずっと、待っていた」
女、だった。
真っ赤な、炎のように紅い装束を身に纏った美しい女。女神のように慈愛に満ちた表情を浮かべ、こちらを見ていた。その姿は、夢にまで見たものであり、ミリュウの脳裏には彼女の名前が浮かんでいた。
「あなたがこの地に辿り着くときを、待ちわびていた」
ラヴァーソウル。