第二千九百十五話 鋼鉄世界のミリュウ(三)
ミストリ・ミストと名乗った鋼鉄の人型は、再び口笛を吹いた。彼の目の前に集まった数体のムンダは、踵を返し、のそのそと群れの元へ戻っていく。その短い尻尾を振り回しながら歩く様は、可愛らしいといえば、そうかもしれない。
「機構? 管理者?」
「ああ、君は異世界の存在だったな。なにもわからなくて当然だった。失礼」
ミストリ・ミストの態度というのは、常にミリュウを気遣うかのように丁重なものだった。そのことが不思議に思えるのは、ミリュウ自身が異世界からの乱入者であるという自覚があるからだ。ここは異世界であり、ミリュウは無法者と呼ぶに相応しい存在なのだ。敵と認識され、攻撃されても文句ひとついえなかった。なのにミストリ・ミストは、ミリュウが気分を害することがないように細心の注意を払っているような、そんな雰囲気さえある。
「機構とは、このアルガ・マルガ大陸を管理するため、遙か昔に作られた仕組みのことだ。歯車と呼ぶ愚か者どももいるが、そのようなちっぽけなものではない。現状、この大陸の命運を握る存在であり、いずれは世界全土をも掌握するだろう代物なのだ。わたしたちにとってはなくてはならない、生命線そのものといっても過言ではない」
「……へえ」
「まあ、この説明ではよくわからないのも当然だ。が、上手く説明することもできそうにない。機構は、わたしが生まれたときには既に存在していたし、この千年、ただの一度たりとも休むことなくこの大陸を管理し続けていた。大陸の何処かに不備が生じれば警告を発し、わたしたちがその場に赴いて修復する。そうやって、大陸は生き続けてきた。わたしたちにとってはそれが自然なのだ」
「たち、ってことは、あなた以外にもいるのよね?」
「……? ああ、わたしの種族のことか。もちろんだ。機甲獣がムンダ以外にも数多にいるように、わたしの同属も数多といる。まあ、管理者は百人といないが」
付け足したそれは彼なりの自己主張だったのかもしれない。その百人足らずの管理者たるミストリ・ミストは、彼ら同属の中でも取り立てて優れた存在であり、高位の階級に位置すると考えていいのだろう。
「わたしたちは、自分たちのことを機人と呼ぶ。いつからそう呼んでいたのか、機構を当たっても判然としないが、まあともかく、昔からそう呼んでいたようだ。どうやらわたしたちのような姿形をして、人型、というらしい。機甲の人型、故に機人、なのだそうだ」
「機人……」
「そしていまようやく、その言葉の意味が理解できた気がする。異世界からの来訪者……君のおかげでね」
「どういうこと?」
「人型というのはつまり、君のような姿形をしたもの、ということなのではないかな」
それは、彼の自問であり、ミリュウが口を挟むのは憚られた。しかし、ミリュウの意見は、彼と同じようなものだった。機人。機甲の人型、人型の機甲。いずれによせ、人型という言葉の意味を考えれば、そこに辿り着く。人間の姿形に似た機甲故に、そう名付けられたのではないか。
「だとすれば、納得もいく。長年、疑問だったのだ。人型とはどういう意味で、機人という言葉の意味する本当のところはなんなのか、とね。それがいま、氷解したのだ。異世界からの来訪者、いや、ミリュウ=リヴァイア。君に感謝したい」
「感謝されてもねえ。あたしはなにもしてないわ」
「君がこの世界を訪れてくれた。ただそれだけで感謝に値する。なにしろ、千年以上の長きに渡る疑問が氷解したのだ。これは、わたしたち機人属にとって大いなる出来事だ。歴史年表にも大きく刻まれるだろう。君の名とともにね」
「そこまでのことかしら」
「君は、自分の種族の秘密が明らかになったとして、それに感動を覚えたりはしないのか?」
「いやまあ、自分のことなら……感動する……かな」
「そうだろうそうだろう。いやいや実に素晴らしい。君に出逢えたのは幸運以外のなにものでもない」
ミリュウは、殊更に感動している様子のミストリ・ミストを見つめながら、なんだか取り残された気分だった。彼がひとり興奮し、感動しているのだ。ミリュウはただ、突っ立っているだけであり、その感動の渦に飲み込まれようもない。むしろ困惑の波が押し寄せてきていて、彼女は呆然とした。
「さて、そこでひとつ質問なのだが、君がこの世界を訪れた目的はなにかな? なんの目的もなく、ただ偶然辿り着いたわけではないんだろう? これまで幾度となく観測された世界間転移は、この世界から異世界への転移現象だった。それが今回ばかりは、異世界からこの世界への転移現象だった。それが意味するところはひとつ。なにがしかの目的がこの世界にあるということだ。違うかね?」
「ええ、まあ、目的があってきたんだけど……」
ミリュウが多少なりとも迷ったのは、彼に話していいものかどうか、判断しかねるところがあったからだ。ミストリ・ミストは、これまでのところ、ミリュウに対して一切の害意を持たず、それどころか最初から友好的なところがあった。ミリュウがムンダに手を出さなかったことを喜んだり、ミリュウの存在そのものに興奮したり、そして極めつけはミリュウの手助けでもしてくれようとでもいいたげな勢いだ。だが、それらがミリュウを騙すための手段である可能性も、一切否定できなかった。
ここは異世界。イルス・ヴァレとはあらゆる面で異なる世界であり、警戒するのに越したことはなかった。
「話せないか? まあ、それもそうか。出逢ったばかりでわけもわからない相手に馬鹿正直にすべてを打ち明けるものもいない。いや、わたしがいたか。ふむ……」
「馬鹿正直なのも考え物ね」
「そうだな。少々、話しすぎた。君がわたしの敵になるかもしれないという可能性をまったく、微塵も、これっぽっちも考えていなかった。迂闊だな。いやはや、これではネルネルの言い分を否定できない」
「ネルネル?」
「ネルナ・ネルノル。わたしと同じ管理者の機人だよ。辛辣でね、わたしのことを迂闊者だの、楽観主義者だの、希望論者だの、言いたい放題だ。そしてそれに反論できないのが困ったところなのだ」
彼は、心底困り果てたような態度だった。
ネルナ・ネルノル。新たな名前だが、どこか韻を踏んだような名称は、ミストリ・ミストがいっていたような理由からかもしれない。音の響きが大事なのだろう。
そうやって話す内に、ミリュウは、ミストリ・ミストのひととなりを知っていった。彼が警戒の必要すらない人物であることは、質問すればするだけ答えてくれることからも明らかだった。彼のいう機構がどこにあり、彼ら機人がどこに住んでいるのか。そして、この大陸がどのような状況にあるのかについても、彼の知る限りの情報を得ることができた。
ネルナ・ネルノルの評するとおり、彼は迂闊者なのだろう。
故に、ミリュウのような異世界人の質問にも答えてしまう。とはいえ、なにもかもすべてを洗いざらい話したわけではない。おそらく彼らにとって命に関わるような重要なことには触れられていないのだ。そういう部分だけは、しっかりしているようだ。
ミリュウは、彼について、彼ら機人の都市に向かうことにした。
というのも、ミストリ・ミストらの都市マトラ・マトンは、ゲートオブヴァーミリオンの南方、丘陵地帯を越えたところにあるという話であり、ゲートオブヴァーミリオンの近くという捜索条件に当てはまったからだった。そして、情報収集のためには、機構を活用するのが手っ取り早い、というミストリ・ミストの提案があったからだ。
そのころには、ミリュウはすっかり彼を信用していた。