第二千九百八話 雷鳴世界のファリア(二)
紫水晶の丘の向こう側に広がっていたのは、当然のように無数の紫水晶に彩られた大地なのは変わらないのだが、その景色が想像を圧倒するものだった。まるで大地が口を開けたかのような巨大な窪みがあり、その窪みの周囲を丘陵地帯が囲んでいる。丘陵地帯から窪みの中心に向かって無数の紫水晶が乱立しているのだが、その様はさながら螺旋を描くようだ。つまり、窪みの中心に向かって、紫水晶による通り道が螺旋を描くようにして存在しているということであり、上天に稲光が走るたびに輝く無数の紫水晶が、その中心へとファリアを誘っているかのようでもあった。
無数の紫水晶は、形も大きさも様々だが、その数たるやいまいる丘の比ではない。圧倒的かつ膨大であり、数えることも許さないかのように地に満ちている。そしてそれらのうちひとつでも雷光に共鳴するように光を発すると、波紋が広がるようにして光を放っていくため、ただただ圧倒されるほかなかった。
(あの窪みの中心にいるとでもいうのかしら)
オーロラストームが、だ。
雷光の射撃武器たるオーロラストームのことだ。本来在るべき世界でも、同様に雷光に関連する存在であったことは間違いない。夢現の狭間に見た姿そのままであるとは言い切れないにせよ、雷光と無縁の存在ではないはずだ。ならば、この紫水晶の大地こそ、オーロラストームの住処である可能性はあった。
ゲートオブヴァーミリオンによる転移先は、召喚武装の在るべき場所に近い、という話も聞いている。
あれから多少なりとも歩いたが、まだ、近いと言い切れる距離だった。
(駄目で元々よ)
ファリアは、自分に言い聞かせると、心を奮い立たせた。そして、丘を越え、降り始めると、紫水晶の螺旋回廊とでもいうような道を進んでいくことになる。紫水晶そのものは人工物には思えないが、この螺旋を描く通り道は、どう考えても意図的に作り出されたもののように思える。いや、そうとしか考えられなかった。大地を覆う紫水晶の数の多さもそうだが、自然にはこのような形にはならないのではないか。
何者かが、意図してこのような渦を作ったのだとすれば、渦の中心、窪みの中に何者かが待ち受けていると見ていいだろう。
それがオーロラストームであろうとなかろうと、まずは会ってみる価値はあるはずだ。たとえオーロラストームでなかったとしても、オーロラストームの所在地を聞くことくらいは出来るかもしれない。
もっとも、ファリアは、予感していた。この螺旋回廊の先にオーロラストームが待ち受けていて、ファリアの到着をじっと待っているに違いないと、感じていた。
それは確信に近いものであり、自分がなぜそのような予感を覚えるのかについては、説明しようがなかった。
長年、オーロラストームと一緒に戦い続けてきたから、としかいいようがない。
オーロラストームの気配のようなものが回廊を形成する紫水晶から感じるのだ。螺旋の通路、その両脇に並び立つ巨大な紫水晶は、度々光を放った。雷雲に走る稲光に応じるようにして、発光する。そのたびにファリアは、オーロラストームの気配を感じずにはいられなかったのだ。それはつまり、この紫水晶の螺旋回廊の終着点に待ち受けているということではないか。
そうとしか考えられなくなると、彼女は早足になった。
長時間に渡る移動による疲労も吹き飛んでいる。荷袋の重量も気にならず、首筋を伝う汗も意識の外に消えてしまう。
前へ。
ただひたすら前へ進むのだ。
螺旋回廊の示すまま、ひたすらに前進する。
どれだけ歩いただろう。
さすがに疲労と消耗を感じ始めたファリアが足を止めたのは、その疲れ故ではなかった。
(あれは……)
前方、螺旋回廊を曲がった先になにかがいたからだ。
息を潜め、紫水晶の壁際に身を寄せて慎重に前進し、それを視界に収める。ファリアがそれを見てまず思ったことは、碧いということだ。つぎに思ったのは、オーロラストームに似ているような気がする、ということ。というのも、それはオーロラストームの羽のような、碧く透き通った結晶体の塊だったからだ。ただの塊ではない。獰猛な獣のような造形をしていて、呼吸するかのように体を震わせていた。いや、実際に呼吸しているのだろう。獅子を思わせる面構えは、螺旋回廊を警戒しているとしか思えないものであり、立っている場所が持ち場らしいことは窺い知れた。
(警備兵みたいなものかしら)
それ以外に考えられないが、だとすれば、オーロラストームの息のかかったものと見るべきなのだろうか。この螺旋回廊の終着点にオーロラストームがいれば、の話だが、それはファリアの中で確定事項となりつつある。つまりファリアの結論は、その碧き異形の獅子は、オーロラストームの配下ということになった。
とはいえ、彼の目の前に姿を現し、話しかけていいものかどうか、判断に迷うところだ。迂闊に話しかけて攻撃されれば、迎撃する以外の手はなくなる。
(そうはいってもね)
周囲を見回しても、道はふたつにひとつだ。
引き返すか、前に進むか。
逡巡はなかった。
オーロラストームに逢うためにこの異世界に来たのだ。ファリアは、覚悟を決めると、荷袋をその場に置いた。もし戦闘になったとき、この重量は大きく足を引っ張ることだろう。もし、話を聞いてもらえるのであれば、取りに戻ってくればいいだけのことだ。
そして、碧き獅子の元へと足を向ければ、獅子はあからさまにこちらを警戒し、低く唸った。
「止まれ」
それは、ファリアの耳にもはっきりとわかる言葉だった。大陸共通語。だが、どうやら獅子の口は、発声とまったく異なる動きをしているように思えた。実際には、共通語を話してなどおらず、どういうわけかファリアの耳にはそう聞こえるようになっているのではないか。だとすれば、それはおそらくゲートオブヴァーミリオンの能力だろう。
「ここより先は、我らが主の寝所なり。許可なきものを通すことはできぬ。許可はありやなしや?」
碧き獅子は、まさに獅子としかいいようのない姿をしているが、ところどころに獅子とは大きく異なる部分があった。全身が碧い結晶体で構成されていることがもっとも大きな違いだが、それ以外の部分でいえば、胴体に突起がいくつもあり、それが羽のように見えなくもない。
「許可の有無をいう前に、ひとつ質問してもいいかしら?」
「……質問を認める」
「あなたの主というのは、オーロラストームと呼ばれている方?」
ファリアが問うと、碧き獅子はあからさまに警戒を強めた。
「なぜ、その呼び名を知っている? あの方をその名で呼ぶことが許されるのは、ただひとりなり」
「ただひとり? そんなことはないはずだけど……」
というのは、ファリアの素直な感想だった。オーロラストームは、ファリアが名付けた呼称だが、ファリアだけが呼んでいい、という決まりはない。ファリア以外のだれもがそう呼んでいる。
「ただひとりなり。ファリア・ベルファリア=アスラリア様、ただひとりなり」
「……様?」
「我が主の盟友ただひとりなり」
「盟友……」
ファリアは、獅子の言葉を反芻するようにつぶやいた。盟友。その言葉を始め、獅子が紡いだ言葉の数々が意味するとことは、やはりこの先にオーロラストームが待っているということであり、オーロラストームがファリアのことを認めてくれているということだ。それも盟友として、配下のものにも話すくらいに、だ。ファリアの胸が熱くなるのは、当然のことだった。
そのとき、碧き獅子の鬣に埋もれていたらいい耳が雷でも打たれたかのようにびくんと動いた。跳ねるようにして起き上がったかと思うと、獅子の表情に変化が生まれる。
「ファリア・ベルファリア=アスラリア様とお見受けするが、如何か」
「……ええ、そうよ。わたしがファリア・ベルファリア=アスラリア」
しばらく名乗らなかった名を告げると、碧き獅子は、静かにうなずいた。そして、こちらに背を向ける。
「我らが主の寝所まで、案内する。ついてこられよ」
「……え、ええ」
ファリアは、碧き獅子の態度の変化に驚きつつも、納得することがあった。獅子の耳が先程反応したのは、おそらく、彼の主からなにかしらの言葉がかけられたからだろう。それもファリアの耳には聞こえないような声であり、命令だったのだ。だから彼はすぐさま態度を変化させた。
碧き獅子の進む先にオーロラストームが待っている。その事実は、ファリアの胸を高鳴らせるのに十分だった。