第二千九百七話 雷鳴世界のファリア(一)
荒涼とした大地は、どこまでも続いているように見えた。
起伏に富み、凹凸の激しさ故にはっきりとした形状を把握することのできない地形。草木ひとつ見当たらず、視界に映り込むのは、地面より突き出た紫水晶のような結晶ばかり。それらがまるで樹木のように天に向かって伸び上がり、枝葉を生やすかのようにして伸びている光景は、幻想的とさえいっていいだろう。草木の代わりが紫水晶であるかのような、そんな印象さえ受ける。
紫水晶は、地中から飛び出してきているのだ。まるで草木が生えるように。
ここは異世界。
イルス・ヴァレと同じ尺度で物事を考えてはいけないことは、わかっている。
昨日、異世界での修行を行うことが決まってから、異世界修行の先達ともいえるセツナから色々と話を聞いていた。セツナの体験談ほど貴重な情報源はなく、ファリアだけでなく、ミリュウもルウファも、食い入るように彼の話を聞いたものだ。それによれば、イルス・ヴァレの常識は一切通用しないと思ったほうがいいようだった。
セツナの場合は、数え切れないくらい殺されたといい、地獄という死んでも死なないような状況に放り込まれたということもあり、あまり参考にならないかもしれない、という前置きこそあったが、彼の話は大いに意味があった。
少なくとも、異世界に固定観念を持ち込んではならないことは確かなようだ。
ファリアは、大荷物を背負ったまま歩くのも疲れてきて、足を止めた。
見渡す限りの荒野が延々と続いている。天候も相変わらずの荒れ模様であり、いつ降り出してもおかしくなさそうな天気だった。時折、雲間を駆け抜ける稲光が雷鳴を引き連れてくると、そのたびにびくりとなった。雷鳴は天地を震撼させるほどに凄まじいものであり、そのたびに紫水晶の草木(と彼女は思うようにした)が輝くものだから、目にも眩しかった。それも雷光を反射しているというよりは、共鳴しているとでもいうかのような反応だった。
不思議なことだが、イルス・ヴァレならありえないことも、異世界ならば起こりうる。
天候こそ荒れているものの、気候そのものはイルス・ヴァレと大差はなさそうだった。少なくとも人間が生きていける世界ではあるようだ。でなければ世界間転移が成功した瞬間に命を落とすか、これだけ長時間、歩き回ることも出来まい。
既に数時間、歩き続けている。着替えや食料の入った荷袋を背負ったままだ。それも修行と考えればやる気がでないわけではないが、彼女はついに荷袋を地面に降ろさなければならなかった。疲労が体内でのたうっている。たかだか数時間。されど、数時間。これが見慣れたリョハンならばいくらでも歩き回れるのだろうが、見知らぬ世界であり、代わり映えのしない景色の中をあてどなくさ迷い続けていることが精神的に消耗させるのかもしれない。
アズマリア曰く、召喚武装の力を辿るのだから、召喚武装の本体ともいうべき存在は、転移先の近くにいるはずだった。
だのに、この数時間、探し回っても見つからない。それどころか風景ひとつ変わらないものだから、いい加減、ファリアも辛くなってきていた。
(どういうことなのよ……)
アズマリアに向かって不満のひとつもぶちまけたいくらいの気分だった。
この数時間、どれだけ歩き回っても、オーロラストーム本来の姿と思しき存在の気配すら感じ取れないのだ。どこを見ても、周囲を見回しても、目に映るのは荒れ果てた大地であり、紫水晶の塊であり、雷雲に覆われた空だけだ。
それ以外、なにもない。
生き物の気配もなく、孤独感が忍び寄ってくるかのようだった。
(どこにいるの? オーロラストーム)
声に出して呼ぼうとして、止めた。そんなことをしても意味はないだろう。オーロラストームがファリアのことを知らないはずはないし、あちらが彼女を見つけていたら声をかけてくれるはずだ。なにせ、彼女とオーロラストームは、十年以上の付き合いなのだ。何度となく夢現の狭間で逢い、そのたびに様々なことを話した覚えがある。目が覚めれば忘れてしまうような、そんな儚くも不確かな出来事ではあるのだが、そのたびにオーロラストームとの絆が深まったのは事実として、残っている。
そうなのだ。
ファリアとオーロラストームの信頼関係というのは、とうの昔に築き上げられているはずなのだ。なのに、まだ足りないという。もっと深く、もっと強くしなければならないのだという。でなければ、ネア・ガンディアとの戦いに、獅子神皇との戦いに貢献できない。
セツナの力になれない。
ファリアは、静かに息を吐くと、立ち上がった。荷袋を背負い、歩き出す。目的地などあろうはずもない。見当もつかないし、さ迷い続けるしかない。それでも、いつかは辿り着くと信じて歩くほかなかった。前進しなければ一生辿り着くことはない。が、前進を続けるならば、いつか必ず目的地に辿り着くだろう。そのためにも虱潰しに探していくのだ。
体力ならば自信がある。
さんざん鍛え上げてきたのだ。並の人間はいうに及ばず、歴戦の猛者すら及ばないほどの戦士でもあるという自負があった。実際、ファリアたちほどの経験を踏んだ戦士が、世の中にどれほどいるのだろうか。数多の戦場を潜り抜け、数え切れない死線を乗り越え、地獄を見て、それでも生きている。
(こんな程度で音を上げてちゃ、駄目よね)
たかが数時間。
試練を終えるまでにどれほどの時間がかかるかわからないというのに、その最初の数時間で心折れるようでは、ネア・ガンディアとの戦いなどできるわけもない。
セツナの隣に立ってなどいられない。
セツナに相応しい人間にならなくては。
そう想うと、自然と力が湧いた。荷袋が軽くなったように思えた。そして一歩一歩踏みしめるようにして前に進みながら、時折、周囲を見回しては場所を確認する。既にゲートオブヴァーミリオンは見えなくなっている。ただ、道中に目印はつけてきているため、引き返すことに関しては問題がなかった。
目印というのは、紫水晶の樹に短刀で刻んだ傷だ。紫水晶の樹は、どれもこれも傷ひとつないため、傷のついた樹を辿れば、道を間違えることはないだろう。
そんなこんなで、さらに一時間以上歩いたファリアは、一先ずの目標としていた丘の上に達した。紫水晶の丘とでもいうべきその丘は、無数の紫水晶の草木に覆われており、ほかの丘陵地帯とは一線を画する存在感があった。ファリアがその丘を目指すことにした理由もそこにある。起伏に富んだ地形だ。丘はほかにもたくさんあった。しかし、その丘だけが天辺まで紫水晶の草木に覆われているのが、奇妙なほどに目立っていた。
なにかが待ち受けているのではないか。
オーロラストームではなくとも、修行の糧になるなにかが。
ファリアは、そんな期待を胸に、丘を目指したのだ。この際、オーロラストームではなくともいい、という判断を下したのは、目的を思い出したからだ。
悲願といってもいい。
セツナの隣に立ち、彼とともに戦うこと。それこそ、いまの彼女のすべてだった。
そしてそのために拘るべきは修行の形ではなく、成果だ。
だからこそ丘を目指し、丘を登ったファリアだったのだが、丘の頂に至ったとき、彼女は想像だにしない風景を目の当たりにして、言葉を失った。
それは、丘の向こう側に広がっていた。