第二千八百九十九話 魔人誘う試練の門(六)
十一月二十九日。
修練御座は、空中都東部の遺構群、そのさらに東の果てに存在する。
修練御座と呼ばれるようになった由来は、始祖召喚師アズマリア=アルテマックスが、後に四人の高弟と呼ばれることになるものたちに最初に武装召喚術を授けた場所であり、武装召喚術の師弟が日々、鍛錬と研鑽を繰り返し、修行を行っていたからだ。リョハンの武装召喚師にとっては聖域中の聖域といってもよく、リョハン独立以降は御山会議によって管理されるようになり、だれもが簡単に立ち入れる場所ではなくなったという。
ちなみに、修練御座の管理は、その後《大陸召喚師協会》に移譲されている。
アズマリアによるリョハン襲撃以降、彼女は、《協会》およびリョハンの敵と認定され、アズマリアを始祖召喚師という尊称でもって言い表すことが禁じられたものの、修練御座を始め、数多くの魔人の遺産とでもいうべき事物の多くは、そのまま保存されているのだ。魔人は敵だが、魔人が教え広めた技術や理論は正しいものであり、有用であるからだ。感情論でアズマリアに関するすべてを否定するのであれば、武装召喚術そのものを否定しなければならなくなる。
それでは、リョハンは立ち行かない。
リョハンとしては、アズマリアを否定しつつも武装召喚術を肯定しなければならなかった。アズマリアの遺産を破却し処分するようなことがないのも、そのためだ。
それがアズマリアに両親を奪われたファリアには受け入れがたかったという話を、セツナは、修練御座への移動中に聞いた。アズマリアは、ファリアの両親を奪い去っただけではないのだ。リョハンを襲撃し、多数の被害を出している。その事実は、ぬぐい去ることの出来ない爪痕として、いまも残っている。
「そんなアズマリアに頼らなきゃならないなんて、皮肉なものよね」
「手段を選んでいられる状態じゃないからな。我慢してくれ」
「我慢なんてしてないわよ。わたしだって子供じゃないもの。利用できるものはすべて利用させてもらう。それで目的が果たせるというのならね」
「ああ……」
ファリアの凜とした横顔に見惚れかけながら、うなずく。
空は晴れ渡っており、雲の上にいるわけでもないのに雲ひとつ見当たらなかった。快晴も快晴であり、気候も暖かく、常春の国たる“竜の庭”上空にいるだけのことはあった。そして、“竜の庭”にいるということもあって、リョハンは高度をいつになく下げていた。
また、リョハンが“竜の庭”に滞在することについては、ラムレシアがラングウィンに話をつけてくれている。
修練御座は、空中都に存在する数多の遺構、遺跡の中でも独特の雰囲気を持っていた。巨大な四角錐の構造物の尖端を地面に突き立て、四方から伸びた階段によって四角錐そのものを支えているような、そんな造りなのだ。巨大で、階段がどれかひとつでも崩れたら、途端に平衡を失い、転倒するのではないかと思えるのだが、階段がしっかりとしているのか、空中都の記録上、修練御座が倒壊したことは一度もないという。
修練御座の周囲を囲う柵は、《大陸召喚師協会》によって設置されたものであり、許可なく立ち入ることを禁じていると主張するものだった。
四方を囲う柵の一方、西側に警備員の詰め所となっている建物があり、セツナたちは、柵を通過するため、詰め所に立ち寄った。《協会》の許可は、戦女神の権限によって降りており、警備員は、ファリアの姿を目にするなり、慌てたようにして柵へ走った。おそらく武装召喚術で作ったものらしい柵は鉄製で、大人でも乗り越えるのは不可能な高さがあり、子供が擦り抜けられるような隙間もなかった。もちろん、セツナたちの手にかかれば吹き飛ばすのも簡単だが、そんなことをする道理はない。
警備員が柵の鍵穴に鍵を差し込むと、音を立てて柵が開く。長年の風雨によって錆び付いているのだろう。警備員が柵を開ききるまでに多少の時間を要した。
「ご苦労様」
「戦女神様に声をかけて頂くなど、恐縮の至り!」
ファリアの何気ない一言に対し、警備兵は、緊張の余り最敬礼のまま凍り付いた。
戦女神への信仰は、リョハンにおいてはいまだ衰えてはいない。いやむしろ、度重なる存亡の危機を乗り越えてきたことで高まってさえいるのかもしれない。
出入り口を通り抜ければ、石造りの階段が目の前に立ちはだかっている。その階段を登りきった先が修練御座であり、そこにアズマリアは待ち受けているはずだった。
「いまさらだけどさ」
階段を上り始めた矢先、ミリュウが口を開いた。
「ん?」
「あの女の試練って、本当にだいじょうぶなの?」
「本当にいまさらだな」
「本当にいまさらね」
「うん、だからいったじゃない。いまさらだって。でも、あのときは状況に飲まれて正常に判断できなくなっていたと想うのよね」
「……まあ、そうかもね」
「わかります、わかりますよその気持ち。あの状況だと、試練を受けられるほうがいいことのように思えましたもの」
「そうそう。選ばれたことがよかったかのような錯覚がさ、あったわけよ」
同調的なルウファの意見を受けて、ミリュウがうなずく。確かにあのときのあの場の熱量というのは、少々おかしかったかもしれない。
紅き魔人にして始祖召喚師アズマリア=アルテマックスによる、武装召喚師として新たな段階に進むための試練だ。向上心溢れる武装召喚師たちにしてみれば、逃す手はなかった。アズマリアも上手だったのかもしれない。煽るような言い様は、ミリュウたち武装召喚師の向上心に火を点けるには十分過ぎたのではないか。
「……俺は、アズマリアの試練を受けた」
それこそ天まで続くような長い長い階段を上りながら、セツナはいった。ファリアたちにも散々話したことではある。
「地獄に堕ちて、そこで修行を積んだ。二年くらいかな。おかげ俺は以前よりも遙かに強くなれたと自負しているよ」
「そっか。セツナはそうだったんだよね。だから、選ばれなかったんだ」
「なるほど、そういうことでしたか」
「それにあいつが、その目的のために戦力が必要なのは事実だ」
そのために武装召喚術を発明し、流布したのは、武装召喚術の進化による戦力の拡充を図るためだった。だが、それは彼女の思惑通りには運ばなかった。武装召喚術が世界中に広まりこそすれ、さらなる段階へと進化することはなかったからだ。極一部の優れた武装召喚師だけが、武装召喚術を進歩させることに成功したが、それは結局、アズマリアの期待に応えるものではなかった。
この世界の人間への失望が、彼女を異世界の力に頼らせた。
それがクオンの召喚であり、セツナの召喚なのだろう。
クオンは絶対無敵の盾の、セツナは最強不敗の矛の使い手として、覚醒した。
その両極の力が揃えば、まさに無敵にして最強の存在たりうるのかもしれないが、それも叶わなくなってしまった。クオンは、命を落とし、いまや獅子神皇の使徒と成り果てている。
クオンもまた、強大な障壁として立ちはだかるのは、火を見るより明らかだ。
力が、いる。
それも並大抵の力では足りない。
世界を改変するほどの力を誇る神々の王すらも討ち滅ぼすだけの力が必要なのだ。
「だから、安心していい?」
「俺は、アズマリアを信じている」
「ふうん……あたしたちの知らないところで、信頼関係を築き上げたのね」
「そういう言い方をするからおかしくなるんだろ。あいつは目的のためならば犠牲を厭わない奴だが、逆をいえば、目的を達成するために必要なことはするということだ。そして、あいつの目的には、俺たちが必要不可欠だ」
セツナが断言したのと同時に、修練御座へと至った。
晴れ渡る空の下、広々とした正方形の石床の上で、アズマリアは、ひとり立ち尽くしていた。