第二千八百九十七話 魔人誘う試練の門(四)
ファリアたちが異世界転移の準備に駆け回る間、セツナはずっと広間にいたわけではない。
戦宮の広間は、広間だけあって、たったひとりで居座り続けるには居心地の良い場所ではなかった。そもそも、戦宮自体が過ごしやすい場所ではない。扉という扉がなければ窓もなく、死角こそあれど、部外者と呼ぶに相応しいセツナには身の置き場に困る場所といってよかった。そもそも、戦宮は戦女神の住居であり、リョハンにおける神域といっても過言ではないのだから、当然といえば当然かもしれない。
『護山の英雄様がなにを遠慮しているのかしら』
そんなセツナを面白おかしそうに笑ったのはミリアだった。戦女神代行を務めるミリアは、レオナのお守りという重要な役割から解放されたことで、ようやく職務を全うすることができるということで意気込んでいた。お守りの疲労もなんのその、わずかな休息すらせずに張り切るミリアの姿は、これから異世界に旅立つ我が子に心配をかけまいとする親心に溢れているように見えた。
ファリア、ミリュウ、ルウファの三人が試練を受けるため、異世界に旅立つことが決まったという話は、ミリアら一部の人間にのみ伝えられた。御山会議に護峰侍団の隊長たち、六大天侍の残り三名だ。御山会議の議員たちは、戦女神が安全かどうかもわからない異世界に旅立つことに関して難色を示したとのことだが、当代の戦女神の意向となれば否定するわけにも行かず、渋々認めたという話だった。
一方、六大天侍のシヴィル=ソードウィン、ニュウ=ディー、カート=タリスマの三名は、異世界修行の話を聞くと、ルウファを殊更に羨んだ。直属の上司ともいえる戦女神と、いまや六大天侍の一員ではなくなったミリュウよりも、いまもなお同僚であるルウファのことを羨むのは、当然の話だろう。しかし、アスラやグロリアから、ルウファたちが試練を終え、帰還を果たした暁には、アズマリアが新たな人選をすることも可能であるという話を聞くと、三人が三人、その候補者に名乗りを上げた。
六大天侍の一員として、という以上に、武装召喚師として、愛用する召喚武装と真に心を通い合わせることができるのであれば、それに越したことはない、という想いのほうが強いようだった。
それは、護峰侍団の隊長たちも同じだった。護峰侍団は、リョハンの武装召喚師によって構成される戦闘集団であり、その隊長たちとなると、実力者揃いであり、いずれもが武装召喚術の研鑽に余念がない。そんな彼らからしてみれば、武装召喚術を極めることのできる機会など、見逃せるはずもない。彼らもつぎの試練に立候補すると口々に宣言したといい、アズマリアが人選に頭を悩ませる姿が目に浮かぶようだった。
セツナがそういった話を聞いたのは、御陵屋敷でのことだ。
御陵屋敷は、リョハン空中都におけるセツナたちの拠点といっても過言ではなく、ミリュウもファリアも御陵屋敷に荷物のいくつかを置いていた。それらの荷物の中に必要なものはないかと走り回った挙げ句、ウルクナクト号にこそ本当に必要なものはあるはずと、船着き場へと飛んでいったのは、つい先程のことだ。その際、セツナはファリアやミリュウから様々な話を聞いたのだ。
ファリアたちの異世界での試練がどれほどかかるものかは、想像しようもない。
セツナが地獄にいた期間はおよそ二年あまり。それがそのまま修練の期間であり、ほとんど休みなく修練と研鑽を重ねた結果、彼は黒き矛とその眷属の力を以前よりも余程引き出せるようになっていた。修行は決して無意味ではなかったし、地獄での、それこそ地獄のような鍛錬を乗り越えたからこそ、神々との戦いにもなんとか食らいついていけているのだ。もし、地獄に堕ちる以前のままの実力ならば、セツナはあっという間に命を落としていることだろう。
そういう意味では、アズマリアの強引な手法に感謝しなければならなかった。アズマリアがほとんど強制的にも地獄に送り込んでくれたおかげで、セツナは、確かな力を得た。この混沌とした、地獄のような世界を生き抜くための力を得た。
黒き矛と六眷属を同時併用する完全武装も、地獄の試練を経て、体得したものだ。
ファリアたちもまた、異世界での試練を突破することができれば、間違いなくさらなる力を得られるだろう。召喚武装と心を通い合わせ、真価を発揮させられるようになるのだ。
それは、喜ぶべきことなのか、どうか。
“大破壊”以前には、不要な力だった。
ただでさえ、武装召喚術は過剰な力だ。ただの人間を塵のように蹴散らし、紙くず同然に切り捨てる。そのような力を当然のように制御し、振り回すのが武装召喚師たちだった。並の人間と武装召喚師では、天と地ほどの力の差があり、それだけでも十分過ぎたのだ。
だが、いまこの世界において、それだけでは不十分なのは火を見るより明らかだ。
これまでの戦いは、なんとか潜り抜けてこられた。
セツナの戦いは、ベノアガルドに始まった。邪神ともいうべきアシュトラとの戦いは、完全武装こそ必要としなかったものの、その戦いの中で、セツナは神の力の恐ろしさを知った。海神マウアウとの出逢い、闘神ラジャムとの遭遇を経て、第二次リョハン攻防へ至る。そこでようやく完全武装を解禁したのは、そうでもしなければ間に合わないという判断からだったが、その決断に間違いはなかった。第二次リョハン攻防に間に合わなければ、セツナは大切なひとたちを失うところだったのだ。
それから、ザルワーン島、ログナー島の戦いを経て、ザイオン帝国に身を投じた。聖皇が召喚した神々の中でも大なるもの、二大神の一柱にして女神ナリアとの死闘は、終生忘れ得ないだろう。ナリアに打ち勝つことができたのは、セツナひとりの力ではない。様々な要因が上手く重なり合い、噛み合った結果、セツナたちは勝利を得ることができたのだ。セツナたちひとりひとりの力、神々の助力、帝国臣民の想い、なにひとつ欠けてはならなかった。
セツナひとりでは、どうにもならない。
そのことは、ザルワーン島を制圧したネア・ガンディア船団にひとり戦いを挑み、惨敗を喫したことからも明らかだ。
そして、ネア・ガンディア本国に乗り込み、獅子神皇に挑もうというのであれば、ザルワーン島以上の防衛網を突破しなければならないのは必定であり、現状の戦力では為す術もないのは、火を見るより明らかだ。故に戦力の確保が必須であり、アズマリアが試練による戦力の向上を提案したのも、それだろう。アズマリアにも、現状の戦力不足が理解できているのだ。
故にこそ、ファリアたちが試練を受けることそのものに疑問はないし、必要不可欠なことだとは想う。
ただ、それだけで不足分を補えるかどうかは、わからない。
ネア・ガンディアの戦力が明確でない以上、どれだけの戦力が必要なのかも不明なのだ。ただ、無数の神々を従える世界最大の戦力ということ以外明らかになっていない。その頂点に君臨する獅子神皇が、完全武装状態のセツナを赤子の手を捻るように封殺するだけの力を持っているということとともに、だが。
(力……か)
セツナは、レオナを抱き抱えたままの自分の手を見下ろした。この手に余るような力、そのすべてを制御することが求められている。
世界を改変することも容易く、滅ぼすこともまた、容易いほどの力を持ったものが相手なのだ。黒き矛の、魔王の杖の力のすべてを引き出せなければならない。
ふとしかいに映り込んだレオナは、いまやすっかりと安心しきった顔を見せている。その穏やかな寝顔が視界に入り込むだけで、セツナ自身の心まで落ち着くのが不思議だった。
セツナの御陵屋敷への移動の際、脚になってくれたレイオーンも、レオナの柔らかな寝顔を見て、安堵していた。
ラグナは、セツナの頭の上で寝そべっているだけだが。
セツナたちの時間は、そんな風に過ぎていった。