第二千八百九十三話 魔人の提案(四)
魔人の話が、続いている。
「だが、あるときに気づいたのだ。ただ漫然と力を求めても、なんの意味もないということにな。力になり得るものの筆頭として聖皇六将が考えられたが、彼らは、呪いによってなんの役にも立たない存在に成り果てていた。竜王たちとて同じことだ。ラグナシアだけが頼りだったが、あれだけでは理不尽なるものには立ち向かえないことは明白だった」
室内の誰もが、懸命に魔人の声に耳を傾けている。アズマリアの正体が判明したことで、室内の空気はいよいよ重みを増してきていた。ただでさえ緊張感に満ちていたのだから、いまや、それは凄まじいものとなっている。
「もっと大きな、それも圧倒的な力が必要だった」
アズマリアが遠い過去に想いを馳せるように、いった。
「そこでわたしは、賭けに出た。この世界を埋め尽くす人間たちに力を与えれば、賢しくも愚かな人間たちのことだ。必ずや競い合うように研鑽と修練を重ね、より大きな力にするだろう。ただし、召喚魔法は駄目だ。並の人間には扱いきれるものではないし、召喚に失敗すれば、世界に甚大な被害をもたらすことだってありうる。おそらくはミエンディアの記憶がわたしに警告したのだろうな」
彼女は、人差し指でみずからのこめかみを叩きながら、いった。
「わたしは、召喚魔法を元に、不完全な召喚魔法として武装召喚術を作り上げた。わたしの目論見通り、それは術式の簡略化および制御難度の低減により、人間の手にも足りる技術となった」
「武装召喚術が……」
「不完全な召喚魔法……」
「召喚魔法がなぜ、ひとの手に余るのか。術式の構築そのものが容易ではなく、その上、制御が困難極まりないからだ。ならば、術式に手を加え、制御しやすくすればいい。わたしは何度となく召喚魔法の簡略化、簡素化に挑戦しては失敗を繰り返した。失敗によって肉体を失うことも少なくなかったが、構いはしなかった。前に進むためには、犠牲は付きものだ。それになにより、召喚魔法の研究は、楽しかったからな」
「楽しかった……か」
「それもミエンディアの……いや、ミエンダの記憶なのだろう。ミエンダは、自分なりの召喚魔法を作り上げたが、そのための研究を楽しんですらいた。その記憶が、わたしの魂を震わせたのだろう」
そう語る魔人の声音も、どこか楽しそうに想えたのは、気のせいではあるまい。そしてそれは、アズマリアが時折見せる人間臭さであり、彼女もまた、決してひとの心を持たない存在ではないことを示している。ファリアやミリュウたちは、アズマリアの発言に衝撃を受けていて、そんなことを感じている余裕もなさそうだったが。
「そうして誕生したのが武装召喚術だ。召喚魔法の術式に召喚対象を強制的に武装化するという変更を加えたおかげで、召喚魔法に比べて遙かに難度が低減し、安定性も増した。制御も容易くなったのだ」
「強制的な武装化……ですって?」
「つまりそれって、あたしたちが召喚している武器や防具って、元々、なにかしらの生き物ってことよね?」
「御名答」
「じゃあさ、召喚武装に宿る意思も、武装召喚師が見る召喚武装の夢も、全部……そういうこと?」
ミリュウが驚きを込めて、アズマリアに質問する。そこには、先程までの剣呑として気配などはなく、武装召喚師としての知的好奇心や興奮を抑えきれないといった様子があった。それはなにもミリュウに限った話ではない。ファリアも身を乗り出していたし、ルウファやグロリア、ダルクスに至るまで、アズマリアの話を一言一句たりとも聞き逃すまいという姿勢が見て取れた。
武装召喚師にとって、アズマリアは、やはり偉大な存在なのだろう。
「生き物だったからってこと?」
「召喚武装が、異世界の意思持つ武器であり防具だというのは、わたしが武装召喚術の真実を隠すために考えた作り話だ。真実は、いまも語った通り、異世界の存在を強制的に武器や防具に変換したものが召喚武装であり、おまえたちの召喚武装のいずれもが、在るべき世界においてはまったく異なる姿をしているはずだ。人間に近しい姿のものもいるかもしれないし、獰猛な獣かもしれない。または鳥や魚かもしれないし、植物である可能性だってある。わたしのゲートオブヴァーミリオンも、セツナのカオスブリンガーも、おまえのラヴァーソウルもな」
「ソードケインも?」
「当然だろう。例外はない」
「へえ……」
魔人のにべもない一言に、エスクは剣帯のソードケインを見下ろした。柄だけの召喚武装の本来の姿など想像もつかないが、その本来の姿形は、アズマリアのいうように召喚武装の形状からかけ離れている可能性のほうが高いだろう。と。
「じゃあ、白毛九尾があんな姿で現れたのはどういうことだったんだ? あれが本当の姿だったってことか? でも、なんでだ? なんで白毛九尾は本当の姿を取ることができたんだ?」
手にしたハートオブビーストを見つめ、首を傾げるシーラの独り言は、アズマリアの興味を引いたようだった。魔人が彼女に視線を向ける。
「おまえは召喚武装の本来の姿を見たというのか?」
「え、あ、ああ。見たぜ。あれが本来の姿なら、だけどな」
「ふむ……つまりおまえは、召喚武装と心を通わせ合うことができているということだ。本来の召喚者でもないというのに、不思議なこともあるものだな」
「えーと……それは褒められてんのか」
「素直に喜ぶがいい。心の底から褒めているぞ」
「喜べねえ……」
アズマリアのどこか皮肉げで冷笑しているような物言いは、やはりどう足掻いても愉快ではなかった。シーラが憮然とするのも当然だったし、そのことが原因で数多くの誤解を招いてきたのではないか、などといらぬ心配をしてしまうくらいだった。いまさら、ではあるのだろうし、もはやどうなるものでもないことはわかっている。
「どういうこと? シーラは、ハートオブビーストと心を通わせ合ったから、召喚武装本来の姿を見ることができた?」
「そういっている」
ミリュウの疑問に、アズマリアは断定するように告げた。
「先もいったが、召喚武装は、異世界存在を強引に武装化したものだ。召喚武装として現れる姿は、術式によって作り替えられたものであり、本来の姿とはかけ離れている。召喚武装の本来在るべき姿と見えるには、召喚武装の全力を引き出さねばならない。そしてそのためには、心を通い合わせる必要がある」
「心を通い合わせる……か」
「召喚者と召喚武装、互いの理解を深め、両者の間に存在するはずの境界を打ち破ることができたとき、初めて、召喚武装はそのすべての力を解放するだろう」
アズマリアの台詞は、セツナがファリアたちから学んだ武装召喚師の心得でもあった。武装召喚師は、多くの場合、愛用の召喚武装をひとつに絞る。それは、複数の召喚武装の同時併用など困難極まりないことであるだけでなく、ひとつの召喚武装を使い続けることで、召喚武装の理解度を深め、心を通い合わせるためだ。そうすることで召喚武装の力を引き出せるようになるのだ。
召喚武装に武装召喚師直々に命名するのも、その方法のひとつだった。
魔人は、武装召喚師たちを一瞥すると、突き放すようにいった。
「それができていないおまえたちは、未熟者だということだ」
「ぐ……」
「う……」
「まあ、そうかもしれませんね……」
「否定できないか」
武装召喚師たちは、一様にうなだれ、口惜しがった。普段ならば猛烈に反発し、噛みつくだろうミリュウさえもなにも言い返さなかったのは、彼女たちが力量不足を認識しているからにほかならない。無論、セツナは、ミリュウやファリアが武装召喚師として実力不足だとは思っていないし、彼女たちが優れた戦士であることはだれもが認めることに違いない。
だが、これからさらに激しさを増す戦いに赴くのであれば、そこで満足していては駄目なのだ。
だれもがそれを理解している。
「だが、案ずるな。わたしは、未熟なおまえたちを導くためにここに来たのだ」
「それがあんたのいうとっておき、ってやつか」
「そうだよ、セツナ。これは、我々の戦力を向上させるためにも必要不可欠な儀式でもある」
「儀式……」
「おまえならばわかるはずだが」
アズマリアのその一言で、セツナは、彼女がなにをもたらすためにここに現れたのか、察しがついた。
「……地獄か」
「正確には違うが、似たようなものだ」
「だが……」
「安心しろ。おまえほどの時間はかからない。かけるわけにもいくまい。この世界に残された時間を考えればな」
「なによ、ふたりだけがわかるような会話してさ! いったいなんの話?」
「この世界の将来についての話さ」
「はあ」
魔人の勿体ぶった物言いに対し、ミリュウは生返事を浮かべた。




