第二千八百九十一話 魔人の提案(二)
三界の竜王による創世回帰に待ったをかけたのは、ミエンダの台頭による。
ただの人間の娘だったミエンダは、六名の師と行動をともにし、世界各地を巡っていた。諸族の戦いの激化とそれによる世界規模の破綻と衰退を目の当たりにした彼女は、世界を救う方法を探したのだ。その旅の最中、三界の竜王の存在を知り、緑衣の女皇ラグナシア=エルム・ドラースと出逢った。いや、遭遇した、といったほうが正しい。
三界の竜王としての役割を果たすべく、竜王の集合地に向かっていたラグナシアの姿を目にしたミエンダは、師の力を借り、ラグナシアとの接触を試みた。
ラグナシアは、大層驚いたという。
まさか、竜王に直接接触を試みる人間が現れるなど、考えたこともなかったに違いない。
「ラグナシアは、ミエンダに興味を持った。持ってしまった、というべきか。それが、三界の竜王という機能に狂いを生じさせるきっかけとなったのだからな」
アズマリアは、懐かしい想い出を語るように言葉を紡ぐ。語るのはミエンダの話だ。しかし、実体験のように語る魔人の様子には、違和感を覚えざるを得まい。
ミエンダは、ラグナシアとの接触によって創世回帰なる御業の存在を知った。創世回帰は、世界中の生きとし生けるものを消し去り、歴史を、文明を、すべてを洗い流すことで、擬似的に原始を作り出すものだった。それが実行に移されれば、ミエンダたちだけでなく、当時の世界を生きていたすべての生き物が死に絶えるのと同義だ。
創世回帰を実行させるわけにはいかない。
かといって、このまま世界を放って置けば、ラグナシアたちの視る通り、世界は滅亡に向かうのは間違いなかった。
諸族は、戦いに勝利すること、敵を滅ぼすことのみを考え、つぎつぎと新たな技術、新たな兵器を生み出しては戦場に投入し、世界全土を焦土とするかの如き戦火を燃え広がらせていたからだ。しかも、ラグナシアたちの予想では、このまま行けば、ただ生物が死滅するだけではなく、世界そのものが滅び去るだろうとのことであり、創世回帰もやむなし、といった状況だったのだ。
だが、だからといって、創世回帰を認めることなどできるわけもない。
創世回帰もまた、すべての生命を消し去ることに違いがないのだ。
つい先日、ラグナたちが出した結論も、そこにある。セツナたちをはじめ、いまを生きるものたちを消し去りたくないからこそ、創世回帰は実行に移さないという結論に至ったのだ。それもこれも、ラグナたち三界の竜王が、本来の世界管理者としての機能ではなくなったからであるらしい。
ミエンダはというと、三界の竜王との交渉の末、創世回帰の実行時期の延期という決定を勝ち取った。
諸族の戦いによる世界の滅亡は近い将来ではあるものの、創世回帰そのものは、三界の竜王さえ揃っていればいつでも実行可能であり、もし、諸族の戦いを終わらせ、世界を滅亡の運命から救うことができるのであれば、それに越したことはないからだ。
ミエンダと彼女の六名の師の苦難は、しかし、そこから始まったといっても過言ではない。
「当然だろう。諸族の戦いは、もはや世界全土を巻き込むものと成り果て、だれもかれもが闘争の狂気に灼かれ、我を失っていたのだ。そんな情勢で、だれが名もなき娘の声に耳を傾けるものか」
自嘲気味に笑うアズマリアからは、やはり、自身の記憶を語っているようにしか想えなかったし、実際、その通りなのだろう。
それは、彼女自身の記憶なのだ。
「でも、彼女は事を成し遂げた。だれもが想定していなかった方法で」
「そうだ。ミエンダは、師から学んだ技術を元に新たな術を開発した。それが召喚魔法であり、ミエンダは、それによって異世界の存在をこのイルス・ヴァレに呼び寄せることに成功した」
「召喚魔法……」
「最初に召喚したのは、ただの小さな異世界の住民だった。が、その異世界の住民こそが重要だったのだ。彼は、ミエンダに様々な知識を与えた。ミエンダは、その知識を吸収し、召喚魔法をより強力に、かつ完璧なものへと洗練していったのだ」
それは、はじめて聞く話だった。最初から完璧な召喚魔法ではなかったということはつまり、その異世界の住民との出逢いがなければ、ミエンダの運命は大きく変わっていたのかもしれない。
この世界の運命さえも。
「そして、ミエンダは異世界の神々を召喚した」
それこそ、聖皇伝説に語られる神々の召喚と、それに付随する魔の出現だ。
「神々の力を借り受けたミエンダは、その絶大な力によって世界に息づくものたちの声を聞いた。闘争に明け暮れるものたちの声なき声を。激しい怒りと憎しみ、哀しみと嘆き、絶望に満ちた慟哭を。ミエンダは、この世界がもはや立ち行かないものと知った。三界の竜王たちの結論が正しかったのだと、理解した。ひとびとは狂気に駆られ、すべての意志は滅亡へと向かっている。世界そのものもまた、滅びに瀕していた。故に、ミエンダは、世界を作り替えることにした。この世から闘争を消し去り、すべてのひとびとが手を取り合って暮らせる、協調性に満ちた世界。生きとし生けるものが互いを尊重し合い、わかり合える世界を、作ろうとしたのだ」
そのための手順として、まず、大海原によってわけ隔てられた大地を一カ所に集め、ひとつの大陸とした。ワーグラーン大陸と名付けられたその大地にこそ、生きとし生けるものが集うこととなった。ただ、それだけでは闘争は終わらない。世界の形が変わろうとも、狂気に追い立てられるひとびとの戦いは、激しさを増すばかりだった。
つぎにミエンダは、天人や森人といった人型の種族を、ひとつにした。つまり、人間だけにしてしまったのだ。そうすることにより、種族間の区別や差別はなくなるからだ。争いのひとつの原因は、種族の差違によるものであり、価値観の違いによるものだ。すべての人種が人間のみとなれば、争いの原因は格段に減るだろう。
さらに言語を統一した。種族や地域によって異なっていた言語を共通のものとすることで、意思疎通を容易とし、争いの一因を潰したのだ。
そしてミエンダによる改変は、思想や価値観にまで及び、歴史そのものが抹消されることとなった。積み上げられた歴史もまた、戦争の原因となるからだ。すべてを真っ白の状態にすれば、因縁もなくなる。
三界の竜王も、ミエンダによる世界改変を逃れられなかった。そして、ミエンダが竜王たちを巻き込んだのは、意図的なものに違いない。三界の竜王による創世回帰は、神々の力を手に入れたミエンダにとっても抗いようのないものであり、竜王を滅ぼすこともできない以上、機能を封印する以外にはなかったのだ。
そうして、ワーグラーン大陸史は始まった。
「いや、始まるはずだった、というべきか」
「どういう意味?」
「聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンと名乗ったほどだ。みずからの手で大陸史を描き、歴史を作るつもりだったのだよ」
「だから、六将に討たれた……」
「そうだ。聖皇六将と呼ばれた彼らは、その立場を認められなかった。当たり前だ。彼らは、ミエンダを聖皇などという化け物に仕立て上げるために助力したわけではない。彼女とともに世界を救うため、身命を賭し、戦い抜いたのだ」
「でも、どうやって?」
ファリアが疑問の声を上げた。
「聖皇は、神々の王と呼ぶに相応しい力を持っていたはずよね? それなのに、どうやって斃したの?」
「確かに……負ける理由がねえよな」
「簡単な理屈だ。聖皇は、六将を保護していたのだ」
「保護?」
「庇護といってもいい。みずからを愛し、育ててくれた恩人たちだ。神々の王たる力を得てもなお、ミエンディアにとってはかけがえのない存在だったのだ。そしてそれこそが付け入る隙となった。六将は、その隙を突いた。故にミエンディアは嘆き悲しみ、怒り狂い、絶望の中で彼らを呪った。世界を呪い、すべてを呪った。そして、いつか復活すると約束し、消え去った」
セツナの脳裏に、かつて“約束の地”で視た光景が浮かんだ。聖皇ミエンディアと思しき人物と相対する六名の幻像。それは、六将による聖皇討伐の記憶であり、記録だったのではないか。
「呪い……か」
ミリュウがみずからの手を見下ろしながら、つぶやいた。が、彼女の心情を察する暇もなかった。
「そして、わたしが誕生した」
アズマリアの発言が混乱を生んだからだ。




