第二千八百九十話 魔人の提案(一)
「とっておき? なんだそれは」
反芻とともに問いかければ、魔人は、室内を見回した。
戦宮の広間に集まっているのは、セツナ一行にアスラとグロリアを加えた十数人だ。ファリア、ミリュウ、レム、シーラ、エリナにミレーヌもいれば、ダルクス、ウルク、イル、エルもいる。当然、エスクとネミアもいて、ルウファとエミルの夫婦も一緒だ。エリルアルムの部下たちはゲインとともに船に残ってもらったが、エリルアルム自身はここにいた。龍神ハサカラウは、当然のようにセツナの肩に乗ったままだ。
そして、セツナの腕の中、膝の上で眠るレオナ。
レオナを除く全員が、アズマリアを見つめている。そのうち、反芻以上が彼女を睨んでいるのは、成り行き上致し方のないことだろう。煽りに煽ったのは、アズマリアのほうだ。
室内の空気が緊迫しているのも、そのためだ。
「おまえたちは、獅子神皇を討ち滅ぼすための戦いを行っている。いや、行おうとしているといったほうが正しいか」
「……ああ。それで、なんだ? あんたが力を貸してくれるっていうんなら、それほど心強いことはないが」
セツナがレオナのことを気遣いながら言葉を発すれば、ミリュウを始め、何人かが激しく反応した。
「心強いって本気でいっているの!?」
「そうだぜ、本気かよ」
「アズマリアの実力が本物なのは、みんなだって知っていることだろう?」
「そりゃあ……でも、納得できないわ!」
ミリュウは、アズマリアを睨み据え、告げる。その厳しい表情には、アズマリアへの明らかな拒絶反応が見て取れる。これまでの経緯を考えればアズマリアを受け入れがたいという彼女の気持ちもよくわかる。セツナ自身、アズマリアの言動には疑問符の浮かぶこともあり、全部が全部、理解しているわけではなかった。それでも、紅き魔人の実力は大きい上、ゲートオブヴァーミリオンの能力は代えがたいものなのだ。彼女が味方に加わってくれれば、それだけで戦力は大きく増強される。
「納得できない? 違うな。受け入れたくない、ただそれだけのことだろう。レヴィアの子孫にして、オリアスの子よ」
「……そうよ、それのなにが問題なのよ」
「なにもかもだ。感情に翻弄される余り冷静さを失い、状況を見誤るなど、獅子神皇との戦いに赴くもののすることではない。それでは、むざむざ殺されに行くようなものだ」
「あんたに説教なんてされたくもないわ」
「そういうところが駄目だといっている。オリアスは、どのような苦難に満ちた試練であろうと、むしろ喜んで受け入れたものだがな」
「あたしはあたしよ。あのひとと一緒にしないで」
ミリュウは、怒りに満ちたまなざしを向けながら、しかし凍てつくほどの冷ややかさで告げた。彼女は、父親に対し愛憎入り交じる複雑な感情を抱いているのだ。そこを突かれたことで、激情に駆られるよりもむしろ冷静さを取り戻したのかもしれない。ただ、アズマリアへの反目は、より一層深くなったようだが。
ミリュウだけではない。弟子であるエリナや、それ以外の面々も、アズマリアに対し、強い懸念を持ち始めているようだった。
「そうだな……おまえは、継承者ではない」
「継承者……?」
ミリュウが疑問を浮かべると、アズマリアはなぜか一瞬視線を逸らした。その視線の先にはダルクスが身構えている。ダルクスが飛びかかってくるのを懸念してのことかもしれない。ダルクスはミリュウを第一に考えて行動しているようなのだ。ミリュウを嘲笑うアズマリアに対し、なにがしかの行動を取ったとしても、不思議ではない。
「レヴィアの一族は“血”の呪いを継承してきたが、おまえは継承できなかったのだろう。聖皇の呪いを。不滅の呪いを」
「……なんでもお見通しってわけ」
「そうでもないさ。ただ、ひとより知っていることが多いというだけのことだ」
「……癪に障る言い方ね」
「それで、敵ばかりを作っているんだから、馬鹿馬鹿しいのさ」
そういったのは、セツナだ。ミリュウがこちらを見て、頭を振った。ふたりの口論を一刻も早く終わらせるには、アズマリアの注意をこちらに向けさせる必要があったということもある。
「酷い言いざまだ。だが、的を射ている」
などと、アズマリアは苦笑する。
「……で、とっておきってのはなんだ? どうも、俺たちに協力するつもりもなさそうだが」
「いや、協力はする。そのためにわたしはここにいるのだから、当然のことだ。だが、それだけでは、わたしひとりがおまえたちの戦力に加わった程度では、ネア・ガンディアとの戦力差を覆すには至らないのは、明白な事実だ」
「本当に協力してくれるの……? あなたが?」
「わたしはいつだって協力的だっただろう。リョハンの武装召喚師ならば、知って当然のことと想うが」
アズマリアの皮肉に満ちた言い様は、リョハンがアズマリアを武装召喚術の始祖として崇め称えなくなったことにも関係があるのか、どうか。単純に、セツナが指摘した通り、アズマリアの性分のせいなのかもしれない。だとすれば、彼女がこれまで孤独だったのも頷けるというものだ。
「リョハンに武装召喚術という偉大な力と叡智を授けてくれたのもあなたなら、その信頼を踏みにじったのもあなたじゃない」
ファリアが務めて冷静に告げる。彼女には、アズマリアに父を殺され、母を依り代とされていたという事実がある。アズマリアが父メリクスを殺害したのには深い理由があったとはいえ、だからといってそう簡単に割り切れるものではないだろう。
「否定はしないが……おまえのいう偉大な力と叡智が誕生した理由も意味も知らず、我が物顔で振り回す様は滑稽としか言い様がないのもまた、事実だ」
「理由? 意味?」
「だったら教えてくださいよ、その武装召喚術の理由と意味って奴。当然、知っているんでしょう? 始祖召喚師様」
ルウファが皮肉たっぷりに尋ねると、アズマリアは、軽く肩を竦めて見せた。ルウファは、エミルを背後に庇いながら、魔人を見つめている。その碧い瞳には、複雑な感情が宿っていた。
「もちろんだとも。それもまた、わたしがここにいる理由と意味のひとつだからな」
アズマリアは、そういうと、しばし間を置いて、語り始めた。
「そもそもわたしは、聖皇に呪われた世界を救うために存在していることを伝えておこう」
「はあ……?」
「かつて三度目の滅亡の危機に瀕したイルス・ヴァレは、三界の竜王の決議の元、創世回帰によって洗い流されようとしていた」
アズマリアが突如として語り出したことは、セツナたちもよく知る話だった。ミリュウがレヴィアの記憶から引き出し、竜王たちによって語られた、失われた過去の情報。聖皇ミエンディア・レイグナス=ワーグラーンによって改変され、改竄された世界の記憶。
「当時、世界には数多の種族が存在した。天人、森人、地人、魔人……多種多様の種族が混在した世界は、悠久の時を経て過渡期を迎えていたのだ。それが闘争に次ぐ闘争を呼んだ。原因は、わからない。おそらくは、世界がそのように出来てしまった、ただそれだけのことなのだろう。だれが悪いわけでもない。もちろん、竜王たちもだ。ただ、そうなるようになっていたのだ」
アズマリアは、まるで見てきたように語った。その言葉のひとつひとつに実感が籠もっていて、セツナは、彼女が五百年どころではなく、もっと長い時を生きてきたのではないかと想えてならなかった。
「諸族の戦いが長引くに連れ、世界は滅亡へと加速していった。竜王たちがその機能を用いようとしたのもまた、当然の結果だ。だが、そこに待ったをかけるものが現れた」
それが、後に聖皇を名乗る人間の娘、ミエンダのことだということは、聞かずともわかった。




