第二千八百八十七話 王家の守護獣(二)
リノンクレア=ガンディアは、ガンディア王家の人間にして、ガンディア国王レオンガンド・レイ=ガンディアの実の妹だ。
ガンディア時代、十数年の昔に遡ると、当時王子にして王位継承者だったレオンガンドは、国のため、暗愚を装わなければならなかった。国王シウスクラウドが病に倒れ、再起の目処が立たなかったからだ。このままでは近隣諸国によって食い物にされると考えたシウスクラウドとナーレス=ラグナホルンは、レオンガンドを暗愚に仕立て上げることにより、近隣諸国を欺き、国の安堵を図った。英邁なる王シウスクラウドの後継者が愚物ならば、放って置いても自滅の道を歩むだろうし、それならば徹底的に国力が弱まったときにこそ侵攻し、国土を奪い取ればいい。近隣諸国の考えを読み切ったナーレスの策は、見事に的中した。愚昧なる王位継承者レオンガンドの評判は、ガンディア国民からも愛想を尽かされるほどに完璧なものであり、近隣諸国のみならず、大陸小国家群の様々な国にガンディアの将来に立ちこめる暗雲を感じさせたという。
一方、リノンクレアは、物心ついたときから聡明であり、それはレオンガンドが突如として愚物に成り果てて以降も変わらなかった。むしろ、愚者の如く振る舞う兄のためにもより一層賢くなろうとした節があるらしい。リノンクレアは、将来、レオンガンドの片腕として、ガンディアの国政に携わっていきたいという夢を持っていた。
しかし、その夢は道半ばにして終わる。
リノンクレアがガンディアの同盟国ルシオンの王子ハルベルク・レウス=ルシオンと、結婚することになったからだ。
リノンクレアは、ガンディアを離れる際、レオンガンドのことを周囲に頼み込んだという。それくらい、彼女はレオンガンドのことを想い、案じていたのだ。
それもいまや遙か遠い昔の出来事のように想えたし、セツナたちにとっては実感の伴わない話だ。レイオーンは、影ながらガンディア王家を見守っていた、というが。
そして、時は流れ、彼女は再びガンディアに戻った。それからというもの、レオンガンドの相談相手となったり、グレイシアの話し相手となっていたが、“大破壊”前後からはレオナの教育係を務めることとなったらしい。レオナの人格形成においてもっとも影響を与えているのは、リノンクレアだというくらいには、つきっきりだったという。
そのリノンクレアに大きな転機が訪れたのは、ザルワーン島がネア・ガンディア軍によって包囲制圧されたときだ。
獅子神皇レオンガンド・レイグナス=ガンディアが姿を見せると、ナージュは、レオンガンドの元へ走った。が、グレイシアとリノンクレアは、そうではなかった。むしろ警戒を強め、レオンガンドとの距離を取るべきだと考えたのだという。
「それもこれも、レオナが彼奴を否定したからだろう」
と、レイオーンはいった。
レオナは、レオンガンドと対面したとき、みずからの意思で発言し、レオンガンドを拒絶している。レオナには、レオンガンドの中に蠢く絶大にして異様なる力が見えたのかもしれないし、本能的に察したのかもしれない。いずれにせよ、それによってグレイシアとリノンクレアは、ナージュとは異なり、レオンガンドについては冷静に考えるべきだという見解を持った。
とはいえ、ネア・ガンディアに対して、仮政府は合流という名の降伏をするほかなく、それについてはレイオーンにもどうすることもできなかった。圧倒的としかいいようのない戦力を誇るのがネア・ガンディアなのだ。空を覆い尽くすほどの飛翔船を目の当たりにして、徹底抗戦を唱えるものなどいようはずもない。
ただ、なんの策も講じず、ネア・ガンディアに降るというのは、どうにも納得ができない、というのがリノンクレアの考えだった。
「リノンクレアは、彼奴が本物のレオンガンドであるならば、ネア・ガンディアに合流するのも当然だと考えていた。だが、レオナが彼奴を否定した瞬間、リノンクレアは覚悟を決めたのだ」
「覚悟……?」
「レオンガンドを差し違えてでも斃すという、な」
「まさか……」
「そんなこと……」
「リノンクレアにしてみれば、彼奴がレオンガンドならざるものである以上、その存在そのものが敬愛する兄への冒涜にほかならない。いやたとえ彼奴がレオンガンド本人であったとしても、その在り様を認めるわけにはいかない以上、みずからの手で決着をつけたい、と考えたのだろう」
「でも、リノンクレア様にそのような力は……」
「リノンクレアはただの人間だ。しかも相手が神々の王を名乗り、実際にその名に相応しい力を持つ存在であることが明らかな以上、並大抵の力、手段ではどうしようもない。ただ力をぶつけるだけで斃せる相手ではないのだ」
神属がそうだ。
ただ、対象の神を上回る力をぶつけたからといって斃しきれる存在ではない。神属は、祈りの力、信仰の力を源とする不老不滅の存在であり、滅ぼすことは不可能に近い。故に神同士の戦いも不毛なものとなりがちであり、神々の争いになった場合、決着がつかないことのほうが圧倒的に多いのだという。決着をつけるには、相手を封印するか、極限まで弱らせ、取り込む以外にはない。が、いずれも簡単なことではなく、故に痛み分けに終わることの方が多いらしい。
これは、神々の王たる獅子神皇にも、当てはまるに違いない。
セツナは確かに、獅子神皇に神性を感じた。黒き矛の、神々に対する怒りを。
「リノンクレアも当然、そのことを考え、故に我に相談を持ちかけた。我としても、彼奴をあのまま捨て置くわけにはいかぬ。ガンディア王家の将来に影を落とすことにほかならぬ」
だから、レイオーンはリノンクレアの相談に応じた、というのだろう。その厳かな表情と悔恨の残る口調からは、不穏なものを感じずにはいられない。
「……なにをされたのです」
「封神剣を授けた」
「ほうしんけん……?」
「なんなのです、それは……?」
「その名の通り、神をも封じる剣だ」
レイオーンの一言に、その場にいるだれもが愕然とした。
「神をも封じる……!?」
「そ、そんなものがあったのですか!?」
「嘘でしょ……」
セツナたちが驚きの声を上げる中、レイオーンは、沈着冷静に話を進めていく。
「我が力のほとんどすべてを注ぎ、作り出したのだ。神の力そのものを取り込み、封じ込めることができる剣をな。そしてそれを扱えるのは、ガンディア王家の血を引く人間のみだ。故にリノンクレアに託した。ただし、封神剣で彼奴を封じ込められるかは、やってみなければわからない、とは伝えたが……」
それでも構わない、と、リノンクレアはいったに違いない。覚悟を決めていたからこそ、彼女はレイオーンに相談し、レイオーンもまた考えに考えた末、リノンクレアに封神剣を託した。つまり、リノンクレアは、その剣を隠し持ち、ネア・ガンディアに降伏したのだ。
獅子神皇の隙を見出し、刃を突きつける、そのためだけに。
だが。
レイオーンが、空を仰ぎ見た。正午過ぎの空は、相も変わらず晴れ渡っている。どこまでも碧く、どこまでも眩しい。
「……おそらく失敗したのだろう。そして、リノンクレアは消し滅ぼされた」
「え……?」
セツナは、思わず聞き返すようにいった。
「あのとき、レオナが感じ取ったのは、おそらくはそれだ。リノンクレアの死を感じ取り、感情を抑えられなくなったのだ」
「リノンクレア様が……亡くなられた?」
「それも彼奴の手によって、滅ぼされてな」
レイオーンがこちらを見た。
そのまなざしには、深い哀しみと行き場のない怒りが宿っていた。




