第二千八百八十話 思わぬ再会(二)
セツナは、エリザに会釈をして、すぐさまマリアたちの声がした方向へと走った。エリザもさすがに引き留めはしなかったが、少しばかり残念そうな表情をしたのは見逃さなかったし、そのことで多少なりとも胸が痛むのは自分にもまだ良心があるという証左だろう。とはいえ、いつまでもエリザに手を握られ、ミリュウたちの熱を帯びた視線に耐え続けるのは拷問に等しくもあり、逃れられる言い訳が出来たのは幸運というほかなかった。
「竜属! 竜属だぞ! マリア!」
「ああ、見りゃわかるよ」
「むう、ここはもっと盛大に驚くところではないのか?」
「竜属は、それなりに見慣れているんだよ」
マリアとアマラの話し声を目当てに走れば、ゲートオブヴァーミリオンを潜り抜けて“竜の庭”に辿り着いた夥しい数のワラル人の中にその姿を発見する。相も変わらぬ白衣姿の長身は、マリア=スコールそのひとであり、彼女の足下でちょこちょこ動き回っている童女はアマラ以外のなにものでもなかった。草花で編まれた冠が、アマラを幻想的な存在に仕上げているようだ。実際に精霊という幻想的な存在以外のなにものでもないのだが。
「マリア先生! アマラ!」
「おお、セツナではないか!」
「セツナ……」
セツナの呼びかけに対し、マリアが虚を突かれたような表情をする一方、アマラは満面の笑みを浮かべて駆け寄ってきた。セツナはすぐさまその場に屈み込み、抱きついてくる童女に応える。
「アズマリアから聞いてはおったが、この目で無事な様子を拝むことができて良かったのじゃ」
「俺もだよ、アマラ。それにマリア先生」
セツナは、アマラを抱き上げると、マリアに視線を戻した。マリアも状況を飲み込めたのだろう。感極まったような表情で、こちらを見ていた。
「ああ、あたしもだよ。それに、皆も……」
マリアがセツナの背後に視線をやったのは、ファリアたちが後をついてきていたからだ。
「本当に良かった……」
「センセならどこにいても生き延びるに違いないって、想ってたけどさ」
「それでも、こうして再会できたことほど嬉しいことはありませんよね」
ファリア、ミリュウ、ルウファらリョハンにいた面々は、“大破壊”後のある時期まではマリアとともに過ごしていたが、アマラのいたずらめいた空間移動によって離れ離れとなって以降、心配で仕方なかったに違いない。セツナがリョハンに辿り着き、マリアの無事を伝えたときなど、だれもが歓喜したものだ。
「たまにはいいこというじゃない、ルウファ」
「たまにはって。俺、いつもいいことしかいっていませんけど」
「旦那様の仰る通りです」
「この夫婦、年がら年中惚気てやがるのか?」
シーラが呆れたような顔でいうと、ルウファはむしろ当然のような反応を見せた。
「ははは、悔しかったら結婚したらどうです? さすれば、年中惚気放題ですぜ」
「なにいってんだか」
シーラはルウファの軽口を取り合わなかったが、ミリュウが反応する。
「そうね、そうよ、それだわ」
「なにがよ?」
まるで妙案でも思いついたようなミリュウの表情に不穏なものを感じ取ったのだろう、ファリアが口を挟む。すると、ミリュウは、セツナの肩を掴んで強引に振り向かせると、目を輝かせながら口を開いた。
「ね、セツナ。いい機会だし、結婚しよ?」
「どこがいい機会なんだよ!?」
「この状況をいい機会だなんて、よく言えたものね!?」
「はあ!? なにいってんだ!?」
「どういうことでございます!?」
「理解不能です、ミリュウ」
「師匠!?」
「結婚……か……」
「いいな、それ」
「そうですよ、隊長もそろそろ覚悟を決めてですね」
「そうですそうです」
セツナとファリアのみならず、女性陣の多くは否定的な反応を見せる中、面白がっているのはもちろんエスクであり、ルウファとエミルは完全に他人事といった態度だった。
「えーだってー、いまを逃したら、もう機会はないかもしれないじゃない」
ミリュウのその一言は、彼女の実感としてある想いなのは間違いないのだろうが、セツナは、その目を見つめ、告げた。
「そんなことはないさ」
「セツナ?」
「確かに状況は絶望的だ。未来が暗雲に閉ざされているのも、世界が滅亡の危機に瀕しているのも事実なんだろう」
“大破壊”は、世界に致命的な楔を打ちつけた。それが獅子神皇という形で目覚め、君臨している以上、このまま安穏たる日々を送り続けることは不可能だ。獅子神皇が聖皇の力を完全に制御できていないのであれば、なおさらだったし、残された時間は、それほど長くはない。
このままでは、世界は滅亡を免れ得ない。
獅子神皇を討ち、聖皇の力を消し滅ぼすことができなければ、そうなるだろう。
そして、獅子神皇を討ち滅ぼすことができるのかどうかについては、なんともいえない状況なのだ。たとえ獅子神皇の元に辿り着くことができたとしても、返り討ちに遭う可能性だって十二分にある。いや、その可能性のほうが高いのではないか。
少なくとも、現有戦力では、太刀打ちできそうにないのが実情というものだ。
彼女が、今生の想い出の如く、セツナとの結婚を望むのも無理のない話でもあった。
「だがな、俺がこのまま世界を終わらせてなんてやるものかよ。必ず獅子神皇を討ち斃し、聖皇の力も滅ぼしてやる」
宣言した瞬間、ずきりと胸が痛んだ。
それはきっと、獅子神皇の姿が脳裏を過ぎったからだ。それは、レオンガンド・レイ=ガンディアそのものの姿をし、魂までも、かつての主君そのものだった。しかし、それは聖皇の力の器に過ぎず、そのためだけに蘇らされた存在に過ぎないのだ。そこに本当のレオンガンドがいるのかどうか。
「ええ、そうね」
「じゃあつまり、戦いが終わったら、結婚してくれるってこと?」
ミリュウは、期待を込めたまなざしで、純粋に尋ねてくる。
「なんでそうなる」
「そういうことでしょー」
ミリュウは食い下がってくるが、セツナは、彼女の疑問に答えようがなく、頭を振った。すると、セツナの頭の上に寝そべっていたラグナがずり落ち、セツナが抱き抱えるアマラの胸元に着地する。
「むう?」
怪訝な顔をする小飛竜に対し、アマラが興味津々の顔を近づける。
「おぬしは小さな竜属じゃのう。うちより小さいではないか」
「ふふん、なんとでもいうがよいわ。おぬしのような取るに足らぬ精霊など、相手にもならん」
「うちが取るに足らぬ精霊じゃと! マリア!」
アマラが憤懣やるかたないといった様子でマリアを呼びつけると、マリアは困ったような顔をした。
「どうしたんだい、アマラ」
「こやつにうちの有用性をじゃな!」
セツナの側に駆け寄ってきたマリアは、アマラを宥めようとしたようだったが、精霊が口論していた相手に気づき、はっとした。
「なにかと想えばラグナじゃないか……!」
「うむ、わしぞ、マリアよ」
「生まれ変わった……ってことで、いいんだね?」
「そうじゃ!」
「良かった……本当に良かったよ……」
ラグナを両手で包み込み、抱え上げると、マリアは大粒の涙を零しながら、彼女との再会を喜んだ。かつて、マリアはラグナの死を心から惜しみ、哀しんでいた。
ふと、セツナは、アマラが黙り込んでいることに気づいた。
「アマラ、気を悪くしないでやってくれ。ラグナは、俺たちにとって大切な仲間でな」
「わかっておる。うちは、マリアから色々な話を聞いておるのじゃ。ラグナなる竜の話もな。じゃから、マリアが心の底から喜んでおるのが嬉しいのじゃ」
「アマラ……」
「それにセツナが相手をしてくれておるから、寂しくもないしの」
アマラはそういうと、セツナに向かって満面の笑顔になった。童女姿の精霊の笑顔には、心を蕩けさせる力があるようで、セツナも笑い返すしかなかった。




