第二千八百七十六話 魔人は語る(一)
便宜上アルと名付けた量産型魔晶人形の姿そのままの魔人は、セツナたちの前に現れると、訝しげなまなざしをラグナに向けた。ウルク同様灰色だった頭髪は、紅蓮の炎の如く真っ赤に染まっていて、双眸からは魔晶石の光とは異なる金色の光が漏れているものの、それ以外にこれといった変化は見られない。無機的な表情や顔立ち、体型などは、イル、エルとなんら変わらないものであり、アズマリアがそれらに手を加えない理由はわからなかった。
アズマリアは、魂のみの存在であり、依り代として他者の肉体に入り込むことでこの世に干渉してきた。そして、肉体が持たない時が来れば新たな肉体へとその寄生先を変えてきたというのだが、そのたびに彼女は、その姿を同じものへと変化させた。ファリアの母ミリア=アスラリアを依り代としていたときも、そうだった。しかし、アルの外見が大きく変化していないのは、どういうことか。
案外、気に入っているからという単純な理由なのかもしれない。
「最初からじゃ」
アズマリアの登場に一同がざわつく中、ラグナが尊大に告げた。セツナは、彼女が彼の手の上でふんぞり返っている様を見て、口元をほころばせる。
「最初からだと?」
「おぬしが門を用いてこの集落に現れたときから知っておったわ」
「……やはり、竜王は竜王か」
「ふふん。わしを見くびっておったか」
「まさか」
アズマリアは、ラグナの言に苦笑を返す。
「見くびっているのであれば、セツナを任せたりはせぬよ」
「ふむ……それもそうじゃな」
「納得、できるのかよ」
セツナには、まったく理解できない会話だったが、本人たちの間では疑問の余地もないことのようだった。
「おぬしは、あやつの切り札なのじゃ。なんとしてでも失いたくない存在じゃった。それをわしに任せたは、わしを信用するが故」
「まあ、そういうことだ」
ラグナの台詞をすべて肯定するようなアズマリアの発言を聞くと、すべての黒幕が目の前の魔人のように思えてくる。
「……全部、あんたの手のひらの上だったってわけだ」
「全部が全部、そうではない。実際、世界の現状はわたしの手に余っている。まさかこうも変わり果てるとは、想像もしていなかった」
アズマリアは肩を竦めて見せたが、その言い分では、“大破壊”に近いことが起きる可能性については考慮していたということにほかならないのではないか。少なくとも、聖皇復活の儀式が執り行われ、それを防ぐために多大な犠牲を払うことは了承済みであり、クオンたちが犠牲になることも視野に入れていたのではないか。でなければ、セツナだけを地獄に転送させるという行動は取らないはずだ。
「これでも、クオンたちやラグナのおかげで、犠牲は最小限に近く抑えられたって話だが」
「そうだな……彼らやラグナシアがいなければ、世界はもっと破壊されていただろう。より多くの命が奪われ、より多くの死が天地に満ちた。聖皇の力、その器たる獅子神皇はさらなる力を手にし、我らは万にひとつの勝利を得ることもできなくなっていたかもしれない」
「我ら……か」
セツナは、アズマリアが発した言葉を反芻し、彼女を見据えた。注目の的の人形少女は、ウルクたちとなにひとつ変わらない無表情で、そこにいる。
「なにを疑問に思うことがある。わたしは味方だよ、おまえたちのな」
「信用できるわけないでしょ! 長年ファリアのお母さんを乗っ取っておいて!」
ミリュウが牙を剥く一方、ファリアは、複雑そうな表情を浮かべていた。ファリアにとっては父の命を奪った相手であり、母の肉体を十数年もの間奪い去られていたのも事実だ。しかし、アズマリアがファリアの父メリクスを殺害したのには理由があった上、母ミリアは、諸々納得の上で肉体を差し出していたという真実を知れば、彼女もなんといっていいのかわからないのかもしれない。それにファリアがセツナたちと行動をともにすることができているのは、アズマリアが扉を繋げてくれたおかげでもあった。様々な感情が複雑に絡み合うのも無理はない。
「信用しろとはいわない。わたしはおまえたちを利用するだけのことだ。そして、おまえたちもわたしを利用すればいい。利害関係とはそういうものだろう」
「……そんなこと――」
「ミリュウ、俺たちとアズマリアの利害が一致していることは疑いようがないんだよ」
「セツナ……あいつを信用するの?」
「少なくとも、俺がここにいるのは、彼女のおかげだ」
セツナは、ミリュウのやり切れないとでもいいたげな表情を受け止めて、いった。ミリュウも、セツナが“大破壊”直前から二年あまりの間どこにいっていたのかを知らないわけではない。地獄に転移したからこそ、“大破壊”の直撃を免れ、生きている。もし、あのとき、アズマリアがセツナを転送しなければ、セツナは“大破壊”に巻き込まれ、命を失っている可能性は高かった。
同じく“大破壊”の爆心地付近にいたエスクが生き残っているのは、精霊たちが彼に同情するという奇跡的な出来事があったからであり、そうでなければ命を落とす以外の未来はなかったはずだ。
「……それは、そうかもしれないけどさ」
「いまは納得できないだろうが、我慢してくれ」
「……セツナがそういうなら、うん。わかった」
「ありがとう、ミリュウ」
「感謝されるようなことでもないよ」
ミリュウは、少し照れくさそうにした。
「ファリアも」
「わたしは……なにもいうことはないわよ。アズマリアには、感謝しなければならないこともあるし……」
ファリアが言葉を濁したのは、複雑な感情が入り交じっていて、その処理を仕切れていないからに違いない。そんな彼女の気持ちは、決して理解できないものではない。どんな理由があれ、実の父を殺された事実が覆ることはなく、その哀しみや怒りといった感情が消え去ることもないのだ。かといって、もはや敵討ちできる状況などであるはずもなければ、そんなことをしても無意味であることを知っている。アズマリアへの感情を処理するにはどうすればいいか。そのことで思い悩んでいる節がある。
ラグナがこちらを振り返る。
「わしは?」
「おまえにはいつも感謝しているよ」
「いつもじゃと?」
「ああ、いつも」
「ふふふふん」
ラグナは、セツナの手のひらの上でふんぞり返った。
「人間に褒められて上機嫌なものだな……三界の竜王とあろうものが」
「なんじゃ? 三界の竜王ならば三界の竜王らしく、創世回帰を行ったほうがよかったとでもいうのか?」
「……いや、そういうわけではないが」
「ならば感謝せよ。セツナたちにな。セツナたちがいなければ、わしは創世回帰を実行していたかもしれぬのだぞ」
などと、ラグナはセツナの手のひらの上で大見得を切る。すると、アズマリアはむしろしたり顔でいうのだ。
「やはり、わたしの選択は間違っていなかったわけだ」
「む?」
「おまえをセツナに預けたからこそ、このような状況が生まれた。創世回帰によって洗い流されるべき状況が維持され、世界が滅亡に向かうなか、獅子神皇討滅のために総力を結集するときがきた。これはわたしが待ち望んだ状況そのものだよ、ラグナシア」
「おぬしが望んだ状況じゃと……?」
ラグナが訝しげな声を上げると、魔人は、双眸を金色に輝かせ、告げてきた。
「かつて、イルス・ヴァレは数多の異世界と……百万世界と繋がってしまった。繋げられてしまったのだ」




