第二千八百七十四話 ラグナ(三)
ラグナは、セツナの頭の上に辿り着くと、まるで長年住み慣れた我が家のようにくつろぎ始めていた。この数年間の空白を一瞬にして埋めてしまうかのような、そんな感覚さえある。
「やはり、ここじゃのう」
「うふふ。確かにラグナといえば、そこよねえ」
「わたしの頭の上に乗ってくれてもいいのになあ」
ミリュウが肯定し、エリナがどこか羨ましそうにセツナの頭の上を見つめる様を、彼はなんともいえない気持ちで受け止めた。ラグナがセツナの頭の上を気に入っていることそのものは決して悪い気分ではないし、彼女がそうしていることがいつものことであり、セツナもまた、数年の空白が埋まったような感覚の中で、懐かしさだけではなく、歓喜さえ呼び起こされているのは理解している。しかし、話の腰を徹底的にぶちこわされてしまったという事実には、閉口せざるを得ない。
「……それで、話はどうだったんだ?」
「話……?」
ラグナがまるで理解できないとでもいわんばかりに小首を傾げるのが、頭皮を通して伝わってくる。そののっそりとした動きは、ラグナがいまにも寝入りそうな気配さえあった。ラグナにしてみれば、数年来のセツナの頭の上であり、その居心地の良さに負けそうなのではないか。
「おまえ……」
「じょ、冗談じゃ、冗談。わしの可愛い冗談のひとつやふたつ、笑って受け入れんか」
「冗談なんていっている暇はないんだが」
「むう……おぬし、わしに冷たくなったのではないか?」
「どこがだよ。むしろ優しすぎて自分でも引くくらいだ」
「そうは思えぬが……」
訝しむラグナだったが、そんな彼女の疑念を否定するようにミリュウが口を開く。
「ま、セツナがラグナに甘いのはいまにはじまったことじゃないけど」
「そうよねえ」
「いまならばわかりますな、御大将の甘さの所以」
透かさず口を挟んできたエスクの様子に、セツナは怪訝な顔をした。
「なにがいいたいんだ?」
「ラグナ殿が美女なれば」
「ぶつぞ」
「はっはーっ、できるものならやってみなせい!」
エスクは側にいたネミアを咄嗟に抱き抱えると、セツナから大きく飛び離れて見せた。その人間業とも思えぬ跳躍力は、さすがはエスクというほかなかったが、その場にいるだれもが呆気に取られた。
「あいつ……」
「あやつ、以前にも増してわけのわからぬ男に成り果ててはおらぬか?」
「ああ、そうだよ」
「即答ですかい!?」
「実際そうだろ」
「ぐぬぬ……否定できない」
エスクは、敗北を認めるようにして、その場にネミアを降ろした。ネミアはなにがなんだかわからないという風に彼とこちらを交互に見ていた。
「はっはっは、ざまあねえな」
「主従め……覚えてやがれ」
「てめえもセツナとは主従だろうが」
「そうだった」
シーラとエスクのやり取りを聞き流して、ラグナに意識を戻す。ラグナがセツナの頭の上で大きく伸びをした。あまつさえ、あくびさえ浮かべているようであり、彼女がいかにセツナの頭の上を気に入っているのかがわかろうというものだった。
「……それで、ラグナ。おまえの話だが」
「……そうじゃな。どこからどう話すべきかのう」
「おまえがラングウィン様やラムレシアとなにを話したのかについては、想像がついているんだ」
「ふむ」
「創世回帰、だろ」
「うむ」
ラグナは、静かにうなずいた。
「創世回帰……」
「そうか。三界の竜王が勢揃いしたんだもんね。そりゃそうよね」
「ですが……創世回帰といえば、世界を一新すること、でございますよね?」
「そうよ。およそ五百年前、聖皇と六将が立ったのも、創世回帰を止めるためだった。そのことは、もう話したわよね」
「はい、覚えてまいす、師匠!」
「さすがは弟子ちゃんよね!」
ミリュウが手を掲げると、エリナが飛び上がって手を重ねる。そんな師弟にしかわからない反応を見せるふたりの信頼関係を横目にセツナは頭上に意識を注いだ。
「師弟愛の素晴らしさはともかく、創世回帰について話し合ったってことはだ。世界が滅亡の危機に瀕していると考えていいということでもある。そうだな?」
「うむ」
「故にラングウィンは、ラグナシアの覚醒を待ち望み、焦ってさえいた。ラグナシア覚醒の鍵たるおまえが長らくこの世界から姿を消していたからな」
とは、ラムレシアだ。彼女は、一同から少し離れた位置にいる。人間ばかりが集まる場所には居づらいとでもいいたげで、そんな彼女に気を遣ってだろう、ファリアが彼女の側にいた。
「……そうか」
そして、セツナが地獄からこの世界に姿を現し、ラムレシアという連絡手段を得たことで、ラングウィンは一気に動き出したのだ。ラムレシアを通じてセツナと連絡を取り、セツナにラグナの覚醒を促す。すべては、創世回帰に関する話し合いを行うべく、三界の竜王を揃えるための手段に過ぎなかった、ということだ。
「ラグナシアが覚醒し、わたしとラングウィン、三界の竜王が一堂に会した。およそ五百年ぶりにな」
「となれば交わす意見は、創世回帰の有無についてじゃ」
「それはなぜか。イルス・ヴァレは、滅亡の危機に瀕しているからだ」
「わしらは、このイルス・ヴァレを維持し、存続させるためだけに作り出された機能に過ぎぬ。一度目も、二度目も、創世回帰を行ったのは、世界を滅亡の運命から救い、生き長らえさせるため。そのために数多の命を奪い、すべてを洗い流してきたのじゃ」
「そしてすべてを原初に戻した。いや、違うな。新たなる原初を作り出してきた、というべきか」
「……それに反対して立ち上がったのが聖皇で、その意見を聞き入れたんだよな?」
「うむ。わしらは、世界を延命させることがすべてじゃったからのう。方法は問わず、創世回帰を用いずに済むのであれば、それに越したことはなかった」
「しかし、その結果、世界は彼奴によって改変されてしまった」
「創世回帰とは異なる方法で、創世回帰のように作り替えられたのじゃ。天も地もひとの在り様も、なにもかものう」
「ただ、創世回帰と異なるのは、すべてを洗い流し、新たに始めからやり直したわけではないということだ。彼奴は、世界を改変した。創世回帰を必要としない世界に。自分にとって都合のいい世界に」
「それが以前の、ワーグラーン大陸か」
それ以前の世界がいくつもの大陸と無数の島々によって成り立っていたことは、ミリュウの持つレヴィアの記憶によって明かされている。聖皇は、それら陸地を一カ所に集め、ワーグラーン大陸を作り上げた。世界の地形さえ容易く変えるほどの力を持つのが聖皇なのだ。
「うむ。じゃが、あやつは夢半ば、道半ばで命を落とした。自業自得じゃな」
「因果応報ともいう」
「うむ。あやつは、仲間の信頼を裏切り、わしらを裏切り、世界をも裏切った。その報いを受けたまでのこと」
「だが、その結果、世界は呪われた」
聖皇復活の約束こそ、彼女のいう呪いなのだろう。
世界は――ワーグラーン大陸は、聖皇復活の儀式に囚われた。闘争で流れる血も、数多の死も、すべては復活の儀式のための呪文であり、触媒であり、術式だったのだ。それが五百年に渡って積み上げられた結果、復活の儀式は執り行われた。
かくして世界は破局を迎え、大陸はばらばらになった。
およそ三年前のことだ。
「その呪縛を断ち切るには、聖皇を滅ぼす以外にはない。聖皇の力、その器にして継承者たる獅子神皇をな」
「じゃが、現状、あれを討滅するのは不可能に等しい。少なくとも持ちうる戦力では、太刀打ちも出来ぬじゃろう」
「だから、創世回帰、なんだろう?」
セツナが問えば、ラムレシアは静かにうなずき、ラグナは彼の頭の上で沈黙した。
重い空気がその場を満たした。




