第二千八百七十一話 滅びの兆し
“竜の庭”には、無数の集落が存在する。
人間のみの集落もあれば、皇魔のみの集落もあり、さらには人間と皇魔が共生する集落も存在するという話には、驚きを禁じ得なかった。
トランたちから聞いた話によれば、“竜の庭”は元々、竜も人間も皇魔も共存共栄する、まさに地上の楽園と呼ぶに相応しい領域だったのだという。それが人間は人間、皇魔は皇魔という風に別々の集落を持つようになったのは、この数年のことであり、“竜の庭”本来の在り方とは異なるのだ、と、トランは嘆いていた。が、致し方のないことなのだ。
この数年で起きている“竜の庭”の変化は、“竜の庭”の領域拡大に伴うものであり、“大破壊”以降、恐怖と混乱に包まれた大陸に安定をもたらすべく、事を急いでいるからだ。そのため、“竜の庭”に住むことを希望する人間も皇魔も際限なく受け入れたのであり、それら“竜の庭”の歴史とは無縁の部外者たちにしてみれば、なぜ敵対種族と共存しなければならないのか、という想いを汲み、人間は人間の、皇魔は皇魔の集落を作り、相互不干渉の掟をも掲げたのだという。
皇魔がこの世界への召喚に巻き込まれておよそ五百年。その間、大陸中で人間と皇魔の間に血の歴史が積み重ねられてきた。人間は皇魔を天敵として忌み嫌い、皇魔もまた人間を憎みきった。その溝を埋めることは容易くなく、竜王の力をもってしても困難を極めるものなのだろう。故にラングウィンは、それぞれ別々の集落に住むことを認め、許した。そうでもしなければ大陸全土を“竜の庭”で包み込み、大陸に安息をもたらすというラングウィンの願いもかなわないからだ。
が、セツナたちにしてみれば、それこそ当然の話であり、“竜の庭”では当たり前のように人間と皇魔が共存共栄していたという話のほうが驚いたし、理解の出来ないことだった。いや、もちろん、セツナたちは、人間に友好的な皇魔がいることも知っているし、そういうものたちがたまたま“竜の庭”に住んでいた可能性もあるにはあったのだが。
話によれば、そういうことではない。
“竜の庭”は、およそ五百年前に誕生した。つまり、皇魔たちが神々の召喚に巻き込まれ、この世界に紛れ込んだ前後のことだ。そして、そこに“竜の庭”で人間と皇魔が共存共栄できていた理由がある。要するに“竜の庭”で共存していた人間と皇魔というのは、互いに先入観を持たずに邂逅を果たしのであり、おそらくは竜王の執り成しによって友好的な関係を結ぶことに成功したのだろう。
人間と皇魔が互いに忌み嫌い合う敵対関係となったのは、血で血を洗うような歴史の積み重ねの中でのことだ。そしてそれは、最初の接触に端を発する。人間が皇魔の姿に恐怖心を抱き、攻撃してしまったことが悲劇の始まりなのだ。皇魔は当然反撃する。皇魔は、人間よりも圧倒的な力を持ち、人間など容易く殺せてしまう。人間はますます皇魔を恐怖し、嫌悪した。人間は皇魔を滅ぼすために軍事行動を起こし、皇魔は、そんな人間たちを憎んだ。憎悪によって紡がれる連鎖。それは、一代や二代で解決する問題ではないだろう。
一方、元々“竜の庭”に住んでいた人間と皇魔の間には、憎悪という感情そのものが存在しない。最初から友好的だったのだ。もっとも、それも竜王や竜属が執り成してくれたからこそ結ばれた関係であり、もし、第三者がいなければ、ほかの地域と同じように悲劇的な邂逅を果たしていた可能性も少なくはない。が、“竜の庭”ではそのような悲劇は起こらず、故に人間と皇魔が共存する集落もまた、当然のように存在するのだ。
竜騎士に選ばれた皇魔もいるという話を聞けば、ラングウィンが人間と皇魔、どちらかを贔屓している様子がないこともわかる。
ラングウィンは、“竜の庭”に住むものすべてを等しく愛しているのだろう。
だからこそ、“竜の庭”に住むだれもがラングウィンを偉大なる地母神の如く尊崇し、敬愛しているのだ。竜属は当然のことながら、人間も皇魔も動物たちも、植物たちすらも――この“竜の庭”に生きるすべてのものがラングウィンからの愛情を受け取り、愛情でもって返している。故にこそ、“竜の庭”では争いも諍いも起きない。
トランたちも、ラングウィンへの敬愛から竜騎士になったということだ。
そんな話を聞いたりして一日を過ごすと、翌朝、ウルクナクト号がセツナたちのいる集落に戻ってきた。
もっとも、ウルクナクト号が着陸するための開けた場所が近くに存在しないため、ファリアたちは、集落直上からマユリ神の力でもって転送されてきたのだが。
転送されてくるなり、ミリュウはセツナに飛びつくようにして駆け寄ってきた。ファリアがミリュウの抜け駆けに憮然とする横でルウファが笑い、セツナもなんともいえない顔をしたものだ。
場所を屋内に移し、に落ち着いたところで、ファリアたちから聞いたのは、東ヴァシュタリア大陸が真っ二つに切り裂かれている現状であり、その周囲に起きている異変についてだった。
ファリアたちがウルクナクト号で被害のあった地域に赴いたのは、ラングウィンからの依頼だった。ラングウィンは、“竜の庭”の構築と維持のため、その場を離れることができず、現地に赴くこともできない。かといって、竜騎士たちを総動員するわけにもいかず、竜属だけでは不安が大きい。そこで、マユリ神とハサカラウ神の加護を受けたウルクナクト号ならば、そのまま船で赴いたとしてもなんら問題もないはずだ、と、竜王は考えたらしい。
ただ、ファリアたちに任せるだけでは面目が立たないということで、二名の竜騎士が同行することとなり、その竜騎士というのが皇魔のウィレドだったという。竜騎士に選ばれたものの中に皇魔がいることは聞いていたが、それがウィレドだったというのは、奇縁というべきか否か。ウィレドは元々争いを嫌う温厚な種族であり、故に人間とも争いたくないというものたちがいたことは、セツナたちもよく知っている。
温厚なウィレドたちにとっては、“竜の庭”はまさに楽園であり、召喚早々ラングウィンと出逢えたことは幸運以外のなにものでもなかったに違いない。
事実、彼らは、“竜の庭”の外では、人間と皇魔が憎み合い、殺し合っているという話を聞き、嘆き悲しんだというし、自分たちがそうなったかもしれないと考えると、ぞっとせずにはいられなかったようだ。
話を戻す。
ファリアたちの被害地域調査はというと、なにごともなく終わったわけではなかったらしい。
「なにがあったんだ?」
「大陸を引き裂いたのは、獅子神皇の力……つまり、神威よ。そこからある程度は想像もつくでしょう」
「結晶化……か」
「ええ。引き裂かれた断面から結晶化が始まっていたのよ。それもかなりの速度でね」
「ラングウィン様の力に護られた“竜の庭”は結晶化とは無縁だったという話だけど、そういうわけにもいかなくなったみたい」
「それに、獅子神皇の力が破壊したのは、ここだけじゃありませんしね」
ウルクナクト号で現地調査に向かった面々が目の当たりにした光景は、想像するだに恐ろしいものだったに違いない。
結晶化とは、神の力たる神威がもたらす現象のひとつだ。白化症に似て非なるそれは、神威に内包されたある種の毒に蝕まれた結果だという。本来、神威は神属以外の存在にとって猛毒であり、多くの生物は神威を浴びると、白く変容し、すべてが作り替えられてしまう。それらを神化と呼び、神人や神獣と呼んでいるのは便宜上のことだが、鉱物や植物は神化の代わりに結晶化するということがわかっている。
そしてそれは、死に等しいのだ。
「世界中に大量の神威がばらまかれたってことか」
セツナは、苦い顔にならざるをえなかった。
元々、この世界には膨大な量の神威が満ちてしまっていた。だからこそ、世界各地で白化症に発症する生物が現れ、土地の結晶化という現象が見受けられるようになったのだ。それこそ、世界が滅亡に瀕しているということであり、世界に残された時間がそう多くはないというのも、そういう意味だった。世界が神威に蝕まれ、すべてが結晶化したとき、そこに命の拠り所はなくなる。
もっとも、そうなるときにはほとんどすべての生物も白化症に冒され、神化しているのだろうが。




