第二千八百五十五話 飽くことなき(九)
結局、終わりなき爆撃には敵わなかった。
打ち返せたのは、最初のひとつだけであり、あとは爆撃によって生じる爆風に巻き込まれ続け、空を舞い続けた。爆風を受けるだけでも激痛が生じ、その止まない連鎖はセツナに苦痛を強いた。そのうち、ニーウェも飽きたのだろう。セツナを直接狙うようになり、光球の直撃による爆発がセツナの肉体を粉々に吹き飛ばし、意識をも消し飛ばした。
つまり、ニーウェに敗れ去ったということだ。
が、気がつくと暗闇の中に立っていて、痛みもなにも消え失せていた。
(……だと想ったよ)
これまでの試練と同じだ。
セツナがどれだけ敗れ、どれだけ殺されようとも、諦めない限りは何度だって挑戦できる。ランスオブデザイアも、ロッドオブエンヴィーも、アックスオブアンビションもそうだった。この地獄における死は、厳密に言えば死ではないのだ。本当の死とはかけ離れた、偽りの死。ただし、その擬似的な死の際に生じる痛みは死ぬほどに苛烈であり、意識が焼き切れる寸前の苦痛は、筆舌に尽くしがたいものがある。故に、何度だって蘇るからと死ぬことをよしとはできないし、できるならば死にたくなかった。
ただ、これまでの試練と異なるのは、暗闇の中に立っているという点だ。爆撃によって粉砕された肉体は完全に元通りになっていて、鎧もなにも消え失せている。嫌な予感がした。
(まさかな)
そう想った直後だった。無数の光が頭上に瞬くと、広大な会場を埋め尽くす怪物の姿が目についた。
「全世界六億六千万の視聴者の皆様、お待たせしました! 第六百六十六回、暴飲暴食大会決勝戦のときが、ついにやって参りました!」
「ここからかよ!」
どこからともなく響いてきた実況の大音声とそれに伴う地鳴りのような観客の反応に対し、セツナは思い切り叫んだ。そして、左側を見遣り、ニーウェの存在を確認する。ニーウェは巨大な卓を挟んで、観客席に向かって手を振っている。その優雅な身振りに観客が沸き立つというのも、先のときと同じだ。この会場は、ほとんどすべてがニーウェの味方なのだ。セツナを応援する声もなくはないが、申し訳程度であり、エッジオブサーストが言い訳として用意しただけのことに違いない。
このままでは大量の料理が卓上に並べられるのも時間の問題だ。
腹は、空いている。
しかし、暴飲暴食の限りを尽くし、胃も腹も満たされ、破裂しそうになったという記憶が脳裏を過ぎり、それだけで胃の内容物を吐き出しそうになる。これ以上、なにも食べたくはなかった。そもそも、暴飲暴食対決でニーウェに勝てる要素がないのだ。つまり、付き合う意味がない。
(くっそ……またあんなの食ってなんてやってられるかってんだ!)
セツナは、咄嗟に呪文を口走った。
「武装召喚!」
爆発的な光とともに黒き剣が目の前に現れると、ニーウェがこちらを一瞥し、微笑んだ。
「早いね?」
「前座は飽きたぜ」
「飽きるだなんて、勿体ない。この世のものとも思えない美味なる料理ばかりだったというのに」
「幻影だろ、すべて」
卓に飛び乗り、その上を駆け抜けて、ニーウェに迫る。実況がなにか大声で叫び、観客たちが怒号や悲鳴を上げる。それも幻影だ。エッジオブサーストが作り出した舞台装置に過ぎない。
「なにもかもが幻想だ。おまえも、この会場も、料理も、なにもかもな」
「その幻想に負ける君が哀れでならないよ」
「はっ、いってろ」
「武装召喚」
ニーウェが呪文を唱え、エッジオブサーストを召喚したときには、セツナは彼の懐に潜り込んでいる。振り上げた剣は、エッジオブサーストに受け止められ、そこにもう片方の短刀が重なる。ニーウェの姿が掻き消えた。時間静止能力。不意打ちを警戒するも、ニーウェは戦闘を仕切り直すために距離を取っただけのようだった。
(ちっ……)
セツナは、ニーウェが武装召喚術を発動するよりも前に決着をつけようと考えたのだが、さすがにそれは無理だったようだ。ニーウェは本来ただの武装召喚師であり、武装召喚術の発動には術式を構築する必要がある。そのため、本来ならば長たらしく複雑な呪文を唱えなければならないのだが、偽物のニーウェは、セツナのように武装召喚の四字だけでエッジオブサーストを呼び出して見せたのだ。
わかりきっていたことだが、幻影のニーウェは、本物のニーウェの完全再現ではない。ニーウェを極端に美化した上、あらゆる能力が向上している。さらに武装召喚術をセツナとクオンのように使うことができるという。
「不意打ちにしては、距離がありすぎたよ」
「そうだな」
声に振り向くと、卓を挟んだ反対側――つまり最初にセツナが立っていた場所辺りに彼は立っていた。
「君が最初からその気だっていうのなら、俺も最初から本気で行こうか」
いうが早いか、ニーウェは、エッジオブサーストを二本とも自身の胸に突き刺した。ニーウェの体に変異が起きるのとともに舞台が崩れ去り、会場そのものが光に包まれていく。そして、視界が開けると、使者の森近郊の風景が広がっていた。吹き抜ける風は冷ややかで、空はどこまで青ざめている。太陽は遠い。なにもかもが先程と同じだ。違うことがあるとすれば、ニーウェが最初から異界転身によって悪魔の如く変身しているということだ。
距離は、遠い。
セツナがこの状態のニーウェに打ち勝つには、接近して黒き剣による渾身の一撃を叩き込む以外に方法はない。が、ニーウェは空を飛ぶことができる。飛ばれれば最後、先と同じ爆撃の嵐によって完封されて終わるだろう。
地を蹴り、ニーウェに接近する。
ニーウェが変身を完了させたのか、俯けていた顔を上げた。異形の怪物へと成り果てた彼は、その紅く輝く双眸でもってこちらを見つめた。両目が見開いたかと想うと、瞳孔が大きく開くのがわかった。異様な寒気。セツナは咄嗟に左に飛ぶと、ニーウェの瞳孔から黒い熱線が迸る瞬間を目の当たりにした。黒い眼光のようなそれは視線上をまっすぐ突き進み、ニーウェが視線を動かすと、当然、それに追従した。ニーウェは、目でセツナを追う。セツナは、熱線をかわすため、逃げ続けなければならなかった。逃げ回りながら、ニーウェへの距離を詰めていく。
轟音が聞こえた。
見ると、熱線によって切り倒された木が倒れ落ちていた。それも一本ではない。ニーウェの視線上の木々がつぎつぎと切断され、倒れていく。黒い熱線の射程は極めて長く、しかもその威力たるや巨木をも容易く切り裂くほどだということがわかる。つまり、直撃はなんとしても避けなければならないということだ。ただ、視線上にさえいなければ当たらないということは、避けやすくもあり、光球の乱射よりは余程対処しやすかった。対処といっても、回避できるということだけだが。かわせない攻撃よりは、遙かに増しだ。
大回りに駆け抜けて、ニーウェに迫る。人間の首は、三百六十度、自由自在に回るわけではない。それは、幻影のニーウェでも、異界転身したニーウェでも変わらないようだった。後ろに回り込めば、ニーウェは体ごと振り返らなければならず、そのわずかな時間がセツナに移動距離を稼がせた。
もっとも、それはニーウェの首を振る速度が極めて緩慢だということも大きい。
(怪光線を撃っている間は、あんまり早く動かせないんだな)
セツナはそう認識し、ニーウェがそのような攻撃手段を取ったことを感謝した。
そして、こちらを振り返ろうとするニーウェの背中を捉える。




