第二千八百五十三話 飽くことなき(七)
苦悶の声を吐きながら浮き上がったニーウェに向かって、セツナは、猛然と突っ込み、体当たりをぶちかました。すると、ニーウェの体はさらに吹き飛び、空中で状態を崩す。その隙を見逃すまいと、黒き剣を掲げて詰め寄るセツナだったが、振り抜いた刃は空を切った。ニーウェの姿が掻き消えている。おそらくニーウェは、セツナの攻撃を受けている間にエッジオブサーストの片方を何処かに投げつけ、能力を発動させたのだ。
エッジオブサーストの能力のひとつ、座標置換だ。二刀一対の召喚武装であるエッジオブサーストは、短刀の位置を空間転移によって置き換えることができ、その発動時、短刀に触れているものごと空間転移を起こすのだ。ニーウェはそれによってセツナと距離を取り、戦況を振り出しに戻そうとしたのだろう。
が、実際には戦況は、彼にとって悪くなっている。
なぜならば、彼はいま、エッジオブサーストの一本を失っているからだ。座標置換は、使い方次第では極めて有用な能力だが、一方で、今回のような使い方では、片方の短刀を置き去りにせざるを得ず、戦力の低下を強いられてしまう。
事実、セツナの目の前に黒き短刀が落ちている。
そしてニーウェは、左後方に立ち尽くしていた。彼がエッジオブサーストを使いこなすには、セツナの足下にあるもう片方を取り戻さなければならない。片方だけでは、真価を発揮しないのがエッジオブサーストなのだ。もちろん、片方だけで戦えないわけではない。だが、全力を発揮できない以上、エッジオブサーストを用いたニーウェの戦い方を知っているセツナには、不利だ。
「知っている。知っているんだよ、おまえの、ニーウェの戦い方はな」
「俺も知っているよ。君の戦い方はね」
「それは、黒き矛の使い手としての俺の戦い方だろ」
告げ、ニーウェに向き直る。
そのとき、セツナは、この戦場が試練の場であるという事実を改めて思い知った。ニーウェは、エッジオブサーストを両手に握っていたのだ。咄嗟に振り向けば、地面に落ちていたはずの短刀は消え失せている。ここは、エッジオブサーストの意思が介在する試練の場。エッジオブサーストが作り出したニーウェにとってなにもかもが有利に働くようにできているのだとしても、なんら不思議ではない。
そんなニーウェとの戦いこそが試練であり、故にこの試練を突破するのは生半可なことではない。
「だったら、なんだい? 俺が君に勝てないとでも?」
「勝てるかどうかといったら、勝てるだろうさ」
セツナは、苦笑とともにニーウェを見遣った。彼が一対の短刀を交差させるのを目の当たりにする。
「だが、勝つのは俺だ」
時間差のない空間転移の如く左側に現れたニーウェを剣を握ったまま殴りつけ、怯んだ隙に足を払い、転倒真っ只中の彼に向かって黒き剣を振り下ろす。確かな手応え。だが、再びニーウェに逃げられる。今度は、彼が短刀を投げつける瞬間を見逃さなかった。ただ、あらぬ方向への短刀の投擲そのものがセツナの気を逸らせるための策である可能性もあり、ニーウェが消失するまで目を離すわけにはいかなかったため、結局は空間転移を成功させてしまう。そして、地面に残ったもう片方の短刀が消滅するのも見届け、ニーウェに向き直る。
ニーウェは、両手に握った一対の短刀を構え、こちらを睨んでいる。セツナにぶん殴られたはずの顔面も、斬りつけられたはずの腹部にも傷ひとつ残っていない。座標置換による空間転移の際、傷もなにも完全に回復してしまっているということだろう。
「俺に勝つというのかい? 君が? どうやって?」
「いままさに示したはずだぜ。おまえのいまの戦い方じゃあ、俺は倒せない」
「……認めるよ。確かにいまのやり方じゃあ、君を追い詰めるどころか、傷ひとつつけることもできそうにない」
ニーウェが苦々しく、いった。
エッジオブサーストの能力であるところの時間静止は、確かに強力だ。なにせ周囲の時間を止め、自分だけが動き回れるのだから、自分にとって有利な状況を作るには打って付けの能力といっていい。しかしながら、時間静止中は攻撃ができないこともあり、場合によってはただ精神力を消耗するだけとなることもある。さっきまでのように、時間静止の発動を認識され、行動が読まれていればなおさらだ。もっとも、いまのニーウェには、精神力の消耗などなんの問題もなく、いくらでも時間静止できるのだろうが。
時間静止中、相手を攻撃できないという能力の不備だけは、変わらないようだ。
エッジオブサーストが改変できるのはこの戦場に於ける事象だけであり、エッジオブサースト自身の能力を改変することはできない、ということなのだろう。もし、エッジオブサーストの能力までもが改変できるのであれば、時間静止能力の発動中の攻撃さえ可能としただろうし、そうなればセツナに勝ち目はなかったはずだ。自分になにが起こったのかわからないまま死に続けるしかない。
そういう意味では、エッジオブサーストの制限には感謝するしかない。
「君には、どういうわけか俺の戦い方がわかるようだ」
「その理由がわからないんじゃ、どうしようもねえな」
「なんだって?」
「俺とおまえは、同一存在で、全存在を賭けた決戦を行った仲じゃあないか」
だから、わかる、と、セツナは声を大にしていいたかった。
ニーウェとの決戦は、それこそ、互いの全存在を賭けたものだった。全身全霊を込め、命を燃やし、魂をも焦がすかの如き死闘を繰り広げた。あれほどの激闘はそれ以降なかったように想えるほどだ。セツナは、ニーウェを超えるためにすべてを注ぎ込んだ。ニーウェもきっと、そうだろう。持ちうる限りのすべてを叩き込み、その中で、セツナはニーウェのことを知り、ニーウェもまた、セツナのことを知ったはずだ。互いに手の内を見せ尽くし、力を出し尽くした。
その結果、セツナが勝利したのが、現実での出来事だ。
それが許せないから、エッジオブサーストは、試練にかこつけてニーウェとセツナの決戦を再現し、今度こそニーウェに圧倒的な勝利をもたらそうとしているのだろうが、しかしながら、エッジオブサーストが再現したニーウェは、セツナの知っているニーウェに過ぎなかった。ニーウェの戦術に違いがなければ、セツナにも対応できるというものだ。
どれだけエッジオブサーストの能力が高かろうとも、だ。
「俺にはおまえの手の内が読める」
「なるほど……そういうことか。確かにそれはそうだ。あのとき、俺はすべてを出し切った。君を超えるため。君を倒し、俺がすべてを手にするために」
ニーウェは、セツナの発言を認めると、構えていた短刀をくるりと翻した。
「が、それが出し切ったつもりだったなら、どうかな?」
「なんだと?」
ニーウェが、二本のエッジオブサーストを自身の胸に突き刺したのを見て、セツナははっとした。確かにそれは、見たことがなかった。
ニーウェは、セツナとの戦闘では、二刀一対のエッジオブサーストの片方だけで、それを行ったのだ。エッジオブサーストの異界召喚とでもいうべき能力。ニーウェが片方だけでその能力を発動した結果、彼は半身が悪魔の如き異形と成り果てたが、二本のエッジオブサーストで発動した場合は、どうなるのか。やはり、半身のみならず、全身が異形化するのだろうか。
ニーウェの胸に突き立てられた二本の短刀から黒い波紋が全身に広がっていく。すると、彼の全身が瞬く間に黒き異形の怪物へと変容していった。
黒き悪魔。
そうとしか形容しようのない異形の存在が誕生した。




