第二千八百五十二話 飽くことなき(六)
召喚とともに生じた爆発的な光の中から出現したのは、黒き剣だ。矛でもなければ、これまで下した眷属たちでもない。ランスオブデザイアの試練のときから変わらない、一振りの剣。黒き矛や眷属が召喚に応じてくれない以上、ほかの召喚武装を呼び出す以外にはなく、黒き剣はいまや使い慣れていた。そのため、セツナは黒き剣の召喚に躊躇しなかった。
黒き剣の柄に触れ、握り締めれば、力が湧いた。あらゆる感覚が強化され、身体能力も向上する。
「おおっと、セツナ選手、武装召喚術を使いました! これは試合規定違反です!」
「ニーウェ選手との差を目の当たりにし、勝てないと踏んだのでしょうが、これはいけません。暴飲暴食大会を戦ってきた何千何万の選手たち、そのすべてを蔑ろにする暴挙です」
「まったくその通りです! 暴飲暴食大会は今回で六百六十六回目! つまり、六百六十六年の歴史を誇る由緒正しい大会なのです! もちろん、最初から完璧な試合規定ではありませんでした! しかし、時を経て、回数を重ねて、いま現在の無駄がなく、美しいとさえいえる試合規定へと纏まっていったのです! それを根底から覆すようなセツナ選手のやり方は、百万世界全土で大会を見守る方々を哀しませ、失望させたことでしょう!」
実況と解説が大声を上げて非難してくると、観客席を埋め尽くす怪物たちもまた、大音声でもってセツナを責め立てた。試合会場が激しく揺れるほどの大音声は、怒りに満ちたものであり、失望や非難そのものでもあった。
「うるせえよ……っぷ」
思わず嘔吐しそうになりながら席を立つと、セツナは、ニーウェを睨んだ。相も変わらず優雅な食事を続けていたニーウェだったが、セツナが一瞥すると、食器を手元に置き、こちらを見た。彼は、多少の失望を隠さず、しかし紳士的な態度で口を開くのだ。
「敗北を認めるかい?」
柔らかな口調は、普段のニーウェを模しているに違いない。
「そうだな。俺の負けだ」
「あっさりと、まあ」
「どう足掻いても勝てない試合に張り合うことに意味はないさ」
「勝てない? 勝とうとしていないだけだろう。努力が足りないんじゃないかな」
「はっ」
セツナは、一笑に付すと、剣を掲げた。振り下ろし、卓を叩き切る。真っ二つに断ち切られた卓から無数の皿と料理が飛び散り、空中で消滅する。いや、消滅したのは卓と料理、食器だけではない。セツナが座っていた椅子も、周囲にいた女給悪魔も、会場そのものも消えてなくなる。代わりに視界を埋め尽くすのは鬱蒼と生い茂る木々だ。場面が切り替わるようにして、森の中へ。
当然、ニーウェも座っていた椅子を失い、立ち上がっていた。
「創造主の寵愛を受けたお方はいうことが違うねえ」
「寵愛? よくわからないな」
ニーウェは、いつの間にか手にしていた一対の短刀を構えながら、告げてきた。身に纏う衣服が戦闘用のそれへと変わっている。動きやすそうな装束に黒い軽鎧。武装召喚師ならば、重武装を避けるのは当然のことだったし、セツナも同じだ。
軽装の鎧を、いつの間にか身に纏っていた。それも見知った鎧だった。
(これは……)
その特別製の軽鎧は、セツナが得意とする高速戦闘の邪魔とならないよう極限まで軽量化されたものだ。防御能力に関しては、必要最低限のものしかない。武装召喚師同士の戦いでは、どれだけ堅固な防具を身につけても、一撃が致命傷となるためだ。セツナは武装召喚師を相手にする場合が多く、そのため、防御能力よりも機動性を重視した防具を選ぶことが多かった。
この鎧もそうだ。
「ただひとついえることは、君のそれは負けたことへのくだらない言い訳だってことだ」
「そう受け取ってもらって構わないさ。おかげで、遠慮なく負けることができた」
そして、エッジオブサーストがどこかで大喜びしているに違いないこともわかるが、そんなことはもはやどうでもよかった。エッジオブサーストは、ニーウェを勝たせることで、セツナを負けさせることで溜飲を下げたいのだ。かつてニーウェがセツナに敗北したことの腹いせだ。
そんなものを正面から受け止める必要がどこにあるのか。
セツナは黒き剣を構えると、ニーウェとの間合いを計った。間合いは、変わらない、巨大な卓を挟んでいたときのままだ。つまり十分すぎるくらいの間合いがあり、セツナのほうが不利だということなのだ。黒き剣は、近接戦闘ならばそれなりに戦えるが、中遠距離では、後れを取らざるを得ない。
なにせ、ニーウェは、エッジオブサーストを手にし、エッジオブサーストの加護を受けている。
ここは、エッジオブサーストの世界だ。
先程の試合会場も、この広大な森も、エッジオブサーストが支配し、演出している世界なのだ。すべてがニーウェにとって有利に働いたとしてもなんら不思議ではないし、むしろ当然だった。
その点では、これまでの試練と同じだ。どの試練でも、セツナは不利であり、相手が有利だった。それはそうだろう。試練を受けるものと、試練の主催者が平等なことなど、あるはずもない。だが、それでもここまで勝ち進んできたのだ。
ランスオブデザイア、ロッドオブエンヴィー、アックスオブアンビション、メイルオブドーター。それぞれに異なる試練だったが、突破し、鍵を得ている。
エッジオブサーストの試練に負ける道理はない。
「だが、こっからは違う」
「なにが違う?」
「なにもかもさ」
告げ、地を蹴った。ニーウェが苦笑とともに両腕を差し出した。一対の短刀を前面に掲げると、その黒き刀身に光を奔らせる。エッジオブサーストの能力のひとつ、光弾発射。鋭い発射音とともに解き放たれた光弾は、極めて真っ直ぐに飛んだ。それもひとつやふたつではない。ニーウェは、光弾を連射しながら、セツナの接近を阻もうとする。セツナはといえば、光弾の一つ目を黒き剣で叩き切って見せたものの、その際生じた爆風に吹き飛ばされた上、立て続けに発射された光弾が追い打ちとなって直撃してきたため、考えを改めざるを得なくなっていた。爆風による痛みに続き、直撃と爆発による激痛が体の至る所に生じる。そして地面に叩きつけられたところに光弾が殺到し、つぎつぎと炸裂した。
当然、凄まじい痛みが全身を襲い、苦悶の声さえ漏らすことになるが、それでどうなるものでもない。
セツナは死んでいない。戦いは続いているし、なにも終わってはいないのだ。
光弾の嵐が止めば、激痛の中で立ち上がるほかなかった。ニーウェが、待ち続けている。止めを刺そうともしてこないのは、セツナをいたぶるのが目的だからだ。無論、エッジオブサーストの、だが。
「変わらないじゃないか」
「うっせえ。これからだろ」
「これから……ねえ」
ニーウェが苦笑交じりにいった。彼は余裕の態度を崩さない。まるで勝利を確信しているかのようであり、その表情にはセツナへの哀れみさえあった。
「あのときとは、状況が違うんだよ」
「……そうだな」
「君は、黒き矛を使えない」
「それはおまえも同じだ、ニーウェ。そのエッジオブサーストは、俺が戦ったエッジオブサーストじゃない」
セツナが告げると、ニーウェは少しだけ表情を歪めた。頭を振り、口角を上げる。
「負け惜しみだ」
「違うね」
セツナは、黒き剣の切っ先をニーウェに向けた。
「あのときのエッジオブサーストなら、とっくに決着がついているさ」
「つけなかっただけのこと」
「だったら、やってみろよ。負け惜しみじゃないならな」
「安い挑発だ。必死にも程がある」
「はっ。どっちが――」
必死なのか。
そういおうとした瞬間、セツナはニーウェが一対の短刀を交差させるのを目の当たりにした。そしてニーウェの姿が視界から掻き消えたときには、セツナは背後を振り向くとともに剣を振り上げ、眼前に火花が散る様を見た。火花の向こう側、エッジオブサーストを猛然と振り下ろしたニーウェが愕然とこちらを見ていた。
「な、いったとおりだろ」
セツナは、ニーウェのがら空きの腹を蹴り上げて、告げた。
「それじゃあ、俺を殺せない」




