第二千八百五十一話 飽くことなき(五)
「ニーウェ選手の空間咀嚼法の前では、決勝戦名物、焼肉の塔ももはや形無しといった有り様です!」
「暴飲暴食連盟の総本山が最秘奥、空間咀嚼法を会得していたことこそ、ニーウェ選手が決勝戦まで勝ち上がってきた最大の理由でしょうね。これには無限の胃袋を持つセツナ選手も唖然とせざるを得ないでしょう」
「そのようです!」
(なんだよ空間咀嚼法って……連盟とか総本山とか……なんだよその設定……)
セツナは、ただただ唖然とするしかなかった。どれだけ空腹感に突き動かされ、目の前の料理を平らげようとも、ニーウェが一口なにかを口にするだけで、山盛りの料理が忽然と姿を消す様を目の当たりにすれば、あらゆる気力が失せようというものだろう。実況と解説は、それを指して空間咀嚼法なる技術、技法によるものかように賞賛しているが、セツナには、ニーウェがエッジオブサーストの加護によって作為的に勝利に導かれているようにしか想えなかった。
そして、それがすべてに違いない。
空間咀嚼法なるものが存在し、偽物のニーウェが体得しているのだとしても、それこそ、エッジオブサーストによる作為以外のなにものでもないのだ。
ニーウェを勝たせ、セツナを敗北させるためだけの仕組みができあがっている。
だからといって、ここで試練の場から降りるわけにはいかないのが、セツナの立場だ。セツナは、鍵を求めている。鍵を得るためには、この試練に打ち勝たなければならないのだ。だが、果たして、このニーウェの勝利にすべてが傾いた試合に勝利し、エッジオブサーストに負けを認めさせることができるのかどうか、といえば、できなさそうにもほどがあった。
なにせ、どれだけ料理を胃袋に放り込もうとも、ニーウェのゆったりとした優雅な食事によって料理が減る速度に敵わないのだ。
早食い対決ではない。
暴飲暴食というのだから、制限時間いっぱいまで、どれだけ多く飲み食いできたかが勝敗を決するものとなるのだろう。
その場合であっても、ニーウェの側に用意された台座の上に並べられている皿のほうが、もはやセツナを上回っており、セツナが追い抜くどころか追いつくことすら困難に想えた。ニーウェは、もはや焼肉の塔を完全に攻略し、その大皿さえも自分のものとしているのだ。
皿の数や大きさが即ち得点と考えて良さそうだった。
(くっそ……ふざけやがって……!)
ニーウェの優雅な食事ぶりを見ていれば、エッジオブサーストの高笑いが聞こえてくるかのようだった。
エッジオブサーストはきっと、この状況をどこかで眺めながら、満足しているに違いない。
なにせ、憎きセツナが苦戦を強いられているどころか劣勢に立たされ、敗色濃厚という状況に追い込まれているのだ。エッジオブサーストが主催し、作り上げ、仕込みに仕込んだ状況とはいえ、セツナを敗北させることに執念を燃やしていた彼女のことだ。嬉しくてたまらないのではないか。
エッジオブサーストがニーウェのどこにそこまで惚れ込んだのかはわからないが、決して悪い気がしないのもまた、セツナにとっては複雑なところだ。
セツナは、ニーウェを嫌ってはいなかった。
ニーウェは、最初こそ、セツナを殺すためだけに行動を起こしたが、結果的に正々堂々たる一対一の戦いを繰り広げることとなり、その死闘は、セツナにとって大いなる糧となった。そして、ニーウェのひととなりを知り、彼の想いを知った。彼の生い立ちや境遇を考えれば、なんとしてでも黒き矛を破壊し、エッジオブサーストの力を増大させたいと想うのも無理のない話だった。同情とは違う。違うが、ニーウェのことを嫌いになれず、生かすことになったのもそのためだったのかもしれない。
同一存在だ。
異世界に存在するもうひとりの自分。
同一世界に存在すれば、決戦し、生き残るひとりを決めなければならないさだめ。
それがセツナにとってのニーウェであり、ニーウェにとってのセツナだった。
だから、ニーウェは、セツナを殺さねばならず、セツナもまた、ニーウェを殺さなければならなかった。だが、運命は、死闘の末に歪み、彼もセツナも生き残り、生き続けることが許された。
エッジオブサーストの能力が、ニーウェとセツナの同一性を歪めたからなのは間違いない。だとすれば、エッジオブサーストが、ニーウェを失いたく一心で、彼の運命を変えたのかもしれない。
それほどの想いがエッジオブサーストにあるということは、ニーウェがそれだけ認められ、愛されていたということであり、同一存在だったセツナにしても、悪い気分がしないというのがなんともいえないところだ。
エッジオブサーストを悪し様に想えない。
とはいえ、この愚にもつかぬ試練は、なんとしても早急に終わらせなければならない、とも想うのだ。
なぜならば、胃袋が持たなくなりつつあったからだ。
(なんてこった……)
ニーウェの食事の速度は、変わらない。気品に満ち、作法に乗っ取った優雅な手つきで一品一品口に運び、皿ごと消化し、戦利品に加えていく。ただの一品口にするだけで皿の上の料理がすべて消滅するのはいくらなんでもやり過ぎだろうといわざるを得ないのだが、そんなことをいったところでだれも聞いてくれないことはわかりきっている。実況も解説も観客もだれもかれもがニーウェの側に立っているのだ。ニーウェが皿を平らげるごとに物凄まじい拍手と歓声が巻き起こり、実況と解説の熱も入る。
一方、セツナが大皿を平らげようとも、拍手も歓声もまばらであり、実況と解説は申し訳程度といったところだった。
そうするうち、セツナは、自分の胃袋が限界に近づきつつあることに気づいたのだ。振り向き、戦利品の皿が飾られる台を確認すれば、大小数百枚の皿が塔のように聳え立っている。つまり、セツナはいまに至るまでそれだけの皿に盛り付けられた料理の尽くを胃袋に流し込んできたということだが、それさえ、我が目を疑いたくなるくらいだ。セツナは、大食いの気がないわけではないにせよ、いくらなんでも何百皿もの料理を平らげられるわけもない。ただの人間だ。たとえ大男でも、これだけの数の料理を食べ尽くすことなど不可能だ。肉体の質量を遙かに上回る量だった。それをなぜ胃袋に流し込めていたのか、いまさらながら不思議というほかない。
もちろん、それもこれもエッジオブサーストの仕掛け以外のなにものでもないはずだ。
セツナがある程度戦えなければ、ニーウェが圧倒的な勝利を収めるだけであり、そのような最初からわかりきった勝負では、セツナを完膚なきまでに叩きのめすことができないからに違いなかった。つまり、少しでも善戦させることでセツナに希望を見せさせ、その遙か上を行くニーウェの戦いぶりを見せつけることで、絶望のどん底に突き落とそうというのだ。
だからこそ、セツナがこれほどまでの数の皿を平らげることができたのであり、この健闘すらもエッジオブサーストの思う壺に過ぎない。
なにもかも、エッジオブサーストの思い通り、目論見通りに運んでいる。
かといって、戦況を覆す方法などあろうはずもない。
この暴飲暴食大会は、すべてエッジオブサーストが考え、作り、用意したものであり、彼女の望みがニーウェの勝利とセツナの敗北である以上、セツナが逆転できる要素が準備されているはずもなかった。
(最初からわかりきっていたこととはいえだ)
故にこそ悔しいという感情はないが、しかし、エッジオブサーストを出し抜き、見返すことは出来ないものかと想像を巡らせるのも当然だった。
「おおっと、セツナ選手、手が止まってしまった」
「セツナ選手は、既に決勝戦の歴代記録を抜き、三千皿を突破しております。人間の身でここまで積み上げることができたのですから、大健闘も大健闘でしょう」
「しかしですね、ニーウェ選手はまだまだ食べ続ける気ですよ!」
「そうですね。しかもニーウェ選手は、一万皿を突破し、暴飲暴食大会に絶対的な金字塔を打ち立てる勢いです。記録がどれだけ伸びるのか、いまやそこに興味が映ってしまいますね」
「つまり勝敗は……」
実況と解説が言いたい放題に続ける中、セツナは、起死回生の策を練っていた。もうこれ以上食べるのは無理だ。満腹を通り越し、少しでも動けば、逆流してくるのではないかというくらい追い詰められている。では、どうやっていまもなお皿の上の料理を消滅させ続けるニーウェに打ち勝つのか。
「武装召喚」
呪文を口にした瞬間、戻しそうになって口元を抑えながら、全身から噴き出した爆発的な光が卓上の料理を空中に舞い上げる様を見た。




